1.アダムの系図
・人間は神のかたちに創造された。その創造は人間が子を持つことによって継続する。
―アダムは130歳になった時、セトを得た。この生命の継承の中に、神の祝福が継続している。
・ここにある系図は歴史であるが、他の国々の歴史観と大きく異なる。
―通常の歴史は「何をしたか」を書く。創世記は個個の人間が「何をしたか」について何の興味も示さない。記述は「子を生んだこと・何年生きたか・いつ死んだか」のみ。神との関わりの中で歴史を見ている。(神の目から見れば、個個人が何をしたかは枝葉末節のことである)
―メソポタミアでもエジプトでも、一番古い歴史記述は王や王朝の歴史である。人間の目から見た歴史は支配者の歴史であるが、神の目より見れば一人一人の人間が問題となる。
2.聖書の歴史観の持つ意味。
・人は神のかたちに創造され、子供を生み、生きて死んでいく。
―それが歴史の中心であり、誰が何をしたかは二義的なことである。もし、人が神のかたちに創られているのであれば、神のかたちを持ったものとして生きていく。
・しかし、人間は神のかたちを失ってしまった。だから、神のかたちを回復するために、神のかたちであるキリストが来られた。それが新約聖書の主張である。
―ピリピ2:6‐7「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。」
3.人間の寿命は段段と短くなっている。
・創世記は神から与えられた生命力(祝福)がうすくなり、ために寿命が短くなっていることを認識している。
―アダム 930年、セト 912年、エノシュ 905年、ケナン 910年、マハラエル 895年、イエレド 962年、エノク 365年、メトシェラ 969年、レメク 777年、ノア 950年、・・・アブラハム 175年、イサク 180年、ヤコブ 147年、ヨセフ 110歳。
・ルカ福音書は創世記5章の系図をそのまま継承する。
ルカ「3:23イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。・・・3:34 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、3:35 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、3:36 カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、3:37 メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、3:38 エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。
4.系図の継承は救済の継承である。
・現実の歴史では、人間は人間は神との交わりを絶たれている。しかし、神の側からは人間に対する祝福(神のかたち)の廃棄はない。
・イエスが遣わされたことにより、人間は神のかたちを回復するとパウロは理解する。
―ローマ5:17‐19「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべて
の人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。」