2019年7月28日説教(創世記40:1-23、忍耐の時を超えて)

投稿日:2019年7月28日 更新日:

2019年7月28日説教(創世記40:1-23、忍耐の時を超えて)

1.監獄でのヨセフ

 

・創世記からヨセフ物語を読み続けています。ヨセフは族長ヤコブの息子として生まれましたが、11番目の子であるにもかかわらず相続権を与えられ、それを妬んだ兄弟によりエジプトに奴隷として売られます。ヨセフが売られた先は、エジプト王の侍従長ポティファルの家でした。ヨセフは勤勉に働き、主人の信任も得ましたが、ヨセフが主人の妻の性的誘いを断った故に、無実の罪で告発され、投獄されます。その投獄先は「王の囚人をつなぐ監獄」(39:20)でした。私たちは物語の結末を知っていますから、出来事の意味(将来起こること)を理解できます。この投獄を通して、異邦人奴隷にすぎないヨセフがエジプト王の前に出る道が開かれて行くのです。しかし当のヨセフには未来はわかりません。その中で、ヨセフは主なる神の導きを信じ、監獄の中でも自分のやるべきことを忠実に果たしていきます。その結果、「監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手に委ね、獄中の人のすることは全てヨセフが取りしきるように」なります(39:21-22)。

・物語は進展します。ヨセフが投獄されて1年が過ぎた時、ヨセフのいる監獄に、エジプト王の役人二人が投獄されてきました。「エジプト王の給仕役と料理役が主君であるエジプト王に過ちを犯した。ファラオは怒って、この二人の宮廷の役人、給仕役の長と料理役の長を、侍従長の家にある牢獄、つまりヨセフがつながれている監獄に引き渡した。侍従長は彼らをヨセフに預け、身辺の世話をさせた」(40:1-4a)。二人は獄中で不思議な夢を見ますが、夢の意味が分からず、ふさぎ込んでいます(40:4b-6)。現代においては、夢は無意識下に抑圧されていた過去の再体験であるとか(フロイト派)、無意識下における世界のリアリティー(ユング派)とか言われますが、古代において夢は「神の未来への啓示」とされ、夢の解釈は大事な仕事でした。ヨセフは二人に「解き明かしは神がなされる」と語り(40:7-8)、夢の内容を話すように勧めます。

 

2.夢を解くヨセフ

 

・給仕役は自分の見た夢をヨセフに話します。「私が夢を見ていると、一本のぶどうの木が目の前に現れたのです。そのぶどうの木には三本のつるがありました。それがみるみるうちに芽を出したかと思うと、すぐに花が咲き、ふさふさとしたぶどうが熟しました。ファラオの杯を手にしていた私は、そのぶどうを取って、ファラオの杯に搾り、その杯をファラオに捧げました」(40:9-11)。ヨセフは、その夢は「あなたが三日後に許されて復職する」ことを示すと夢を解きます。「三本のつるは三日です。三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて、元の職務に復帰させて下さいます。あなたは以前、給仕役であった時のように、ファラオに杯を捧げる役目をするようになります」(40:12-13)。そしてヨセフは給仕役に、「解放されたら自分のことを思い出し、牢から出してほしい」と頼みます(40:14-15)。

・他方、料理役もその夢を語ります。「私も夢を見ていると、編んだ籠が三個私の頭の上にありました。いちばん上の籠には、料理役がファラオのために調えたいろいろな料理が入っていましたが、鳥が私の頭の上の籠からそれを食べているのです」。ヨセフはその夢解きをします「その解き明かしはこうです。三個の籠は三日です。三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて切り離し、あなたを木にかけます。そして、鳥があなたの肉をついばみます」(40:16-19)。

・二人の夢はその通りになり、給仕役は釈放され、料理役は処刑されました。「三日目はファラオの誕生日であったので、ファラオは家来たちを皆、招いて、祝宴を催した。そして、家来たちの居並ぶところで例の給仕役の長の頭と料理役の長の頭を上げて調べた。ファラオは給仕役の長を給仕の職に復帰させたので、彼はファラオに杯を捧げる役目をするようになったが、料理役の長は、ヨセフが解き明かした通り、木にかけられた」(40:20-22)。しかし給仕役の長は、夢を解いてくれたヨセフのことを思い出さず、忘れてしまい、ヨセフは牢獄に残されたままです(40:23)。

・給仕役がヨセフのことを思い出したのは、それから2年後、王が夢に悩まされた時でした。「二年の後、ファラオは夢を見た・・・朝になって、ファラオはひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師と賢者をすべて呼び集めさせ、自分の見た夢を彼らに話した。しかし、ファラオに解き明かすことができる者はいなかった。その時、例の給仕役の長がファラオに申し出た『私は、今日になって自分の過ちを思い出しました。かつてファラオが僕どもについて憤られて、侍従長の家にある牢獄に私と料理役の長を入れられた時、同じ夜に、私たちはそれぞれ夢を見たのですが、そのどちらにも意味が隠されていました。そこには、侍従長に仕えていたヘブライ人の若者がおりまして、彼に話をしたところ、私たちの夢を解き明かし、それぞれ、その夢に応じて解き明かしたのです。そしてまさしく、解き明かした通りになりました』」(41:1-13)。こうしてヨセフはファラオの前に出る機会を与えられ、新しい物語が始まります。

 

3.未来は誰の手にあるのか

 

・現代人は「未来は自分たちの手の中にあり、努力と選択によって形成される」と考えていますが、聖書は私たちには未来の選択権はなく、それは神にあると語ります。なぜなら私たちは自分の寿命さえも支配できない存在だからです。今日の招詞にマタイ6:33-34を選びました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」。ヨセフは夢を解きましたが、夢は神が与えられる啓示であり、その解き明かしは神がされると理解しています。そして夢解きにより給仕役を助けたのに、給仕役は忘れて、ヨセフは更に2年間を獄中で過ごします。つらい日々でした。神に対する信仰が揺らぐような日々であったと思われます。

・しかし、その忍耐が彼の人格を磨き、視野を広げました。私たちもまた、「時が満ちる」まで待たなければいけない時があります。今日、一人の姉妹に証しをいただきました。姉妹は隣居する姑の介護を一人でせざるを得ない状況下に追い込まれました。彼女は話されました「介護の現場は、想像を絶する想定外の枠を超えた惨状が目の前に繰り広げられます。隣のマンションに住んでいたのですが、毎朝5時にドアを開ける時部屋の中がどうなっているのかを考えると心臓が飛び出しそうな動悸でした。このまま破裂して死ねたらどんなに楽だろうと思うようになりました。私は、どうにもならない・誰にも言えない・言ってはいけない・我慢しなければならない思いを、『毒吐きノ-ト』というタイトルをつけたノ-トに殴り書きをしてどうにか平常心を保っていました」。

・彼女は苦しさの中で10年間行っていなかった教会を再訪し、祈祷会で牧師に「毒吐きノ-ト」の話をしたところ、牧師から「自分を守る最良の方法です。そういうノ-トを書く事はいいことなのです。最初に『神さま、あのね』と書いて下さい。そうするとそれは、神さまへの今日1日の報告になりますから」との言葉をもらい、新しい光を見出しました。1カ月後に姑は亡くなり、姉妹は1年間の介護の牢獄から解放されます。姉妹もまた先の見えない監獄に閉じ込められたヨセフの体験をし、時が来て、ヨセフのように解放されたのです。ヨセフはもし投獄されなければエジプト王の前に出ることはなかった。その意味で投獄が救いの一歩でした。姉妹も介護の苦役がなければ教会に戻らず、神学校に行くこともなかった。不思議な神の摂理です。

・先が見えない時、私たちはどうすべきか。「信仰的に開き直る」ことです。テモテ書は語ります「私たちは、何も持たずに世に生まれ、世を去る時は何も持って行くことができない。食べる物と着る物があれば、私たちはそれで満足すべきです」(第一テモテ6:7-8)。今を生かされている、それがどのような環境であっても良いではないか。毒吐きノ-トも「神様、あのね」をつければ、立派な祈りの言葉になる。そして神は私たちの苦しみ、悩みを聞いて下さる。いつの日か、苦難の時が終わり、希望がかなえられる日が来る。イエスは語られました「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む」、何故ならば、「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じだから」(マタイ6:32)。神がご存じであれば、それで十分ではないか。ヨセフはそれを信じた故に、牢獄での失望の連続の日々を超えて、やがて来る栄光を見ることが出来た。証しをして下さった姉妹はそれを信じ、介護という牢獄の日々を乗り越え、今神学校で学ぶ時を持たれています。「信仰的開き直り」が二人の方を救った。それは過去において私たちにも起こったし、将来において皆さんにも起こる素晴らしい未来です。

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