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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2026年3月8日マルコによる福音書12章13~17節 「神のものは神に」 副題:神と人との関係と献身の意義を問い直す

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並行箇所:マタイによる福音書 22章15~22節 皇帝への税金
:ルカによる福音書 20章20~26節 皇帝への税金

起:本文紹介と問題提起(背景・状況説明)

・皆さんおはようございます。
本日は、マルコによる福音書12章13〜17節から「神のものは神に」というテーマで
ご一緒に聖書から御言葉聴き、信仰の歩みを深めたいと思います。
この箇所は、イエスがファリサイ派やヘロデ派の人たちから「納税」に関する問いかけを受ける場面です。彼らはイエスを陥れるため、「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」(12:14b)と尋ねます。これは、当時ローマ帝国の支配下で生きるユダヤ人にとって非常に複雑な問題でした。納税は支配者への服従を意味し、同時に神への忠誠との板挟みとなっていました。
イエスが直面した問いは、単なる政治的な問題ではなく、神と人との関係、信仰と世俗の狭間に生きる私たち人間の在り方そのものを問いかけています。
私たちの生活にも、社会のルールや義務と、神への献身とのバランスをどう取るか悩む場面があります。イエスの応答は、今を生きる私たちにも大切な示唆を与えてくれます。
・イエスの時代、ユダヤ人はローマ帝国の支配下にありました。ユダヤ地方は直接ローマ総督によって統治されていましたが、一部地域はヘロデ王家(ヘロデ大王の死後、彼の3人の息子が分割統治)の支配も受けていました。ヘロデ王はローマ帝国の傀儡として王位を授かり、ローマとの協力関係を築いていました。
ヘロデ派は、ヘロデ王家を支持しローマ帝国との協調を重視する政治グループで、ユダヤ人社会においては宗教的・民族的アイデンティティよりも現実的な政治的安定や利益を優先しました。一方ファリサイ派は、ユダヤ教の律法や伝統を厳格に守ることを重視した宗教的指導者のグループであり、民衆の間で大きな影響力を持っていました。普段は宗教観や政治観において対立することが多かった両者ですが、イエスに対しては共通の警戒心を抱き、協力してイエスを罠にかけようとしました。
そしてユダヤ人の多くはローマ支配に対して反発や葛藤を抱きつつ、律法や伝統を守ろうと努力していました。このような複雑な力関係の中で、イエスは宗教的・社会的問いかけを受け、神と人、信仰と世俗の関係を問われたのです。
今回の納税に関する問いかけは、両者(ファリサイ派とヘロデ派の人々)がイエスの言葉尻を捉えて陥れようとした策略の一つであり、イエスは知恵をもって彼らの意図を見抜き、神と人との本質的な関係について語られます。
・イエスの時代、ローマ皇帝はティベリウス・カエサルでした。デナリオン銀貨は、ローマ帝国の標準的な通貨であり、皇帝の肖像が表面に刻まれていました。銀貨には「神の子ティベリウス・カエサル」といった称号も記されており、ローマ皇帝の権威と支配を象徴するものでした。このため、ユダヤ人にとってデナリオン銀貨は単なる貨幣以上の意味を持ち、納税の問題が宗教的にも政治的にも大きな葛藤となっていたのです。
・この時代の「納税」に使用されたデナリオン銀貨には、ユダヤ人にとっては偶像や異教的な意味合いも含んでいたため、納税の問題は宗教的にも非常に敏感なテーマでした。
・イエスの時代、ユダヤ地方の神殿での献金や神殿税には異邦人の「ティルスのシェケル銀貨(テュロス銀貨)」が主に用いられていました。
ユダヤ人社会から見て「異邦人」の都市国家であるフェニキアのティルス(テュロス)で鋳造されたものでした。ユダヤ人が自分たちで通貨を鋳造することもありましたが、ローマ帝国統治下では制約が多く、またユダヤ人独自の通貨は純度や重さにばらつきがありました。
一方、ティルスのシェケルは非常に高い銀純度(94~97%)と正確な重さ(14~14.4g)が保証されており、長年にわたり東地中海地域で広く信頼されていました。神殿税や献金は「神の前で正確・公正であること」が重視されたため、信頼性の高い通貨が選ばれたのです。そのため、異邦人由来であっても、宗教的儀式や制度の厳格性を守るためにティルスのシェケルが用いられ続けました。

なぜペルシアの通貨だったのか

ティルスのシェケル自体はフェニキア由来ですが、ユダヤ地方では歴史的にペルシア帝国時代から「シェケル」という重さの単位や銀貨が使われていました。ペルシア帝国(アケメネス朝)は紀元前6~4世紀にユダヤ地方を支配し、その時代にペルシアの「シグロス銀貨」などが流通しました。
その後アレクサンドロス大王の征服やローマの支配を経ても、ユダヤ人社会では伝統的に「シェケル」が神殿税・献金の単位として存続し続けました。ペルシア時代の影響が残ったのは、長い歴史の中で「公正・純粋な銀貨」が宗教儀式にふさわしいと考えられ、後にフェニキアのティルス銀貨がその要件を満たしたため、神殿で正式に採用されたのです。
・デナリオン銀貨は主にローマ帝国で流通し、ローマの標準的な通貨として納税や日常の取引に広く用いられました。特にイエスの時代のユダヤ地方では、ローマへの納税にデナリオン銀貨が使われていたため、政治的・宗教的な意味合いも強く持っていました。
又、ドラクメ銀貨はギリシア圏で主に使用された通貨で、ギリシア世界やヘレニズム時代の都市国家における日常的な取引や貯蓄の単位として用いられていました。新約聖書では、ルカによる福音書15章の「失われた銀貨」のたとえ話などに登場し、ユダヤ地方の一部でもギリシア文化の影響下で流通していたことがうかがえます。
ローマ帝国のデナリオン、ギリシアのドラクメ、ペルシアのシェケルと3つの通貨が使われ、それぞれの歴史的・文化的背景や用途に違いがありました。

現在のイスラエルの通貨について

現在のイスラエル国(2026年時点)では「新シェケル(ヘブライ語:שקל חדש、New Shekel、略号はILS)」が公式通貨として使用されています。1新シェケルは100アゴラ(agora)に分かれています。
新シェケルは1985年に導入され、イスラエル銀行が発行・管理しています。紙幣や硬貨には、イスラエルの歴史的・文化的な人物やシンボルが描かれています。
「シェケル」という名称は、古代の重さの単位・通貨名であったことに由来しており、現代のイスラエルもその伝統を受け継いでいます。
ローマや他の地域の貨幣ではなく、神殿の規定によってティルス産の銀貨が特別に選ばれていたことが明らかになっています。
イエスの時代には、ユダヤ地方を含む東地中海世界で複数の通貨が流通していました。その背景には、ペルシア、ギリシア、ローマという歴代の大帝国の支配と影響が関係しています。まず、ペルシア帝国時代(アケメネス朝、紀元前6~4世紀)には、ダレイコス金貨やシグロス銀貨といったペルシアの通貨が広く使われました。続いて、アレクサンドロス大王の征服以降、ギリシアのドラクメ銀貨などが地中海全域で標準通貨となり、ヘレニズム時代の諸都市でも流通しました。
そしてローマ帝国の支配が確立すると、ローマのデナリオン銀貨が公式な納税や商取引の通貨として用いられるようになりました。しかし、地域によってはギリシアやペルシア由来の通貨も慣習的に使われ続けていたため、三つの通貨体系が並存する形となったのです。このような多通貨状況は、国際的な交易や多様な民族・文化が交差する社会構造を反映しています。
これらの貨幣は、それぞれ異なる時代や文化の背景を持ちつつ、聖書や信仰の歴史の中で重要な役割を果たしてきました。共通点として、どれも社会的・宗教的な意義を持ち、信仰者の日常や礼拝、歴史的な出来事と深く結びついていることが挙げられます。貨幣の選択や使用方法は、その時代の価値観や信仰を映し出しており、現代の私たちにも「何を大切にするか」を問いかけています。

承:イエスの応答の意味と解説(神と人の関係)

・イエスは、「12:17 皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と答えます。この言葉は、単なる税金問題の解決策ではありません。イエスは、デナリオン銀貨の肖像がティベリウス皇帝でその裏面に皇帝の息子・ティベリウス・カエサル・アウグストウスの文字があり、カエサル(皇帝)に税金を納めるために用いられた銀貨であることを認めつつ、「神のもの」とは何かを問いかけています。
デナリオン銀貨は皇帝のものですが、私たち自身は神に属しています。人間は神のかたちに似せて創造されました。つまり、私たちの存在そのものが神への献身と忠誠を求められているのです。
創世記1章27節「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」

イエスは、世の義務を果たす重要性を否定することなく、もっと深い次元で、私たちが何に属し、何に献げるべきかを示しています。神と人との関係は、日常の中にこそ現れ、社会の中の役割と信仰の在り方を調和させて生きることが求められているのです。

転:現代社会への適用と信仰の問いかけ

・現代社会でも、私たちは様々な義務や責任を負いながら生きています。仕事や家庭、社会的役割、経済的な義務などが重なり合い、時には信仰と矛盾する場面もあるでしょう。しかし、イエスの言葉は、どんな状況でも「神のものは神に返す」ことの大切さを教えています。
例えば、日々の忙しさの中で神への献身や祈りの時間が疎かになることはありませんか。社会の価値観や成功への焦りが、神への忠実さを薄めてしまうこともあるかもしれません。イエスが語る「神のものは神に」という言葉は、私たちの心と生活の優先順位をもう一度問い直す招きです。
このメッセージは、信仰者としてのアイデンティティを改めて省みる機会を与えます。どんな義務を果たす時も、私たちの根本は神に属し、神に献げるべきものがあることを忘れないようにしましょう。

招詞:詩編103編1節「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。」

・招詞に、詩編103編1節を選びました。皆さんとご一緒にお読みしたいと思います。
「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。」 ありがとうございます。
この詩は、神への賛美と感謝を心の深いところから捧げることを促しています。人間の全存在が神に向かい、魂も心も体も、すべてを神に献げるという姿勢が表現されています。
この詩編のメッセージと、マルコによる福音書12章13~17節の「神のものは神に」というイエスの言葉は、深く響き合います。イエスは、デナリオン銀貨を例に社会的義務を認めつつ、私たち自身が神に属していることを示しました。詩編103編1節が「内にあるものはこぞって」神を賛美するように促すように、イエスも私たちの心や人生そのものを神に献げるべきことを教えています。
両者に共通するのは、形式的な義務や行動だけでなく、私たちの存在そのもの・存在の全てが神に向けられるべきだという点です。つまり、社会の中で責任を果たしつつ、日々の生活や思いのすべてを神に献げることこそが、信仰者としての真の歩みであり、神との深い関係を築く道なのです。

結:信仰者としての応答と実践への励まし

「神のものは神に」というイエスの言葉は、単なる道徳的な教えではありません。私たちが神に属していること、人生のすべてを神に献げることの意義を深く示しています。
信仰者として、社会的な責任や義務を果たしつつ、常に神に心を向けて歩むことが求められています。日常の中で祈りや感謝を忘れず、神の御心に従って生きることこそ、真の献身の姿です。
私たちの時間、才能、財産、心のすべては神から与えられたものです。そのすべてを神に返す、献げることが、キリスト者の歩みの根本です。社会の中で生きる者として、与えられた場所で誠実に義務を果たしつつ、何よりも神への忠実さを第一にしていきましょう。
このメッセージを心に留め、日々の生活の中で「神のものは神に」献げる歩みを実践していきましょう。神は私たちの誠実な応答を喜び、豊かな恵みをもって導いてくださると信じます。
皆さんの歩みの上に、神の平安と祝福が豊かにありますように。

 

 

 

 

祈り

・お祈りします。恵み深い真の命の神様、

今日、マルコによる福音書12章13~17節の御言葉を通して、

「神のものは神に」というイエス様の教えに心を向けることができたことを感謝いたします。

私たちのすべて―時間も、才能も、財産も、心も―あなたから与えられた大切なものです。

どうか、私たちが日々の生活の中で、社会的な責任や義務を果たしつつ、何よりもまず、

心からあなたに従い、あなたにすべてをお献げできる者となれますようにお導きください。

主よ、形式的な行いにとどまらず、私たちの存在のすべてがあなたに向けられ、

あなたが喜ばれる歩みとなりますようお助けください。困難や迷いの中にあっても、

あなたの御心に従うことができるよう、知恵と力をお与えください。

どうか、この一週間も私たち一人ひとりの歩みを守り、あなたの平安と祝福で満たしてください。

主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。

アーメン。

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