はじめに
おはようございます。本日は申命記30章から「前に置かれた祝福と呪い」についてご一緒に考えて行きたいと思います。申命記は、イスラエルの民がカナンの入り口に立ち、モーセが語った言葉を記録しています。モーセは民に、祝福と呪いという二つの選択肢を示し、その意味と結果について判断を促します。
モーセは、神の前に立つ民に対し、これから歩む人生において「選択の自由」と「神の導き」が常に伴うことを強調しました。イスラエルの民が約束の地を目前にしているこの場面で、私たちもまた自らの歩みを振り返り、神が与えてくださる道を意識し直す時です。神は、民が困難に直面し、迷いや葛藤の中にあっても、決して一方的な裁きだけを望まれたのではなく、悔い改めと回復のチャンスを何度も用意されました。それは、神の律法や戒めが単なる規則ではなく、私たちに寄り添い、日々の選択を通して新たな祝福へと導く恵みであることを示しています。今、私たちもまた心の奥底に響く神の声に耳を傾け、それぞれの人生の岐路や日常の小さな決断の中で、主が前に置かれた命と祝福の道を選び取る者でありたいと願います。
1、回復の約束 悔い改める者への恵み(1-10節)
・申命記30章の冒頭で、モーセはイスラエルの民に、神の契約に従って生きるよう勧めます。同時に、民が不従順になり、祝福だけでなく呪いを受け、散らされる可能性についても語ります。しかし、それで終わりではありません。神は、民が心から悔い改めて立ち帰るなら、どこに散らされていても再び集めてくださると約束されます。
・神が与えるのは、やり直しの機会、回復の道です。人は失敗し、時には神に背を向けることもありますが、神は一度背を向けた者にも/もう一度立ち返ることを望み、悔い改める者を再び祝福されます。「たとえ天の果てに追いやられたとしても、」(30:4)神はそこから呼び戻してくださいます。
・この約束は私たちにも当てはまります。どんな過ちや失敗があっても、神のもとに立ち返ることを選ぶなら、新しい命と希望に生きることができるのです。
・神の約束は、ただ回復や赦しを与えるだけでなく、心の内側から新しく造り変え、神の愛と恵みに応答できる存在へと導かれることにも及びます。神の命令を守り行うことによって、民が再び豊かな実りと繁栄を経験できることが約束されています。神は民の心を開いて、ご自身を愛し、いのちを得て歩むことができるよう助けてくださいます。このように主の憐れみは、過去の失敗を越えて新たな希望と歩みを約束し、どんな状況でも主に立ち返る選択が祝福への第一歩となるのです。
2.選択の自由 命と祝福を選ぶ(11-14節)
・続く11節から14節では、モーセは神の命令やおきてが決して私たちの手の届かない遠いものではなく、「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、」(30:14)と語ります。つまり、神が求めていることは、私たちの選びと応答にまかされているのです。
・神は私たち一人ひとりが、命か死か、祝福か呪いかを自ら選ぶことができるようにされました。神の言葉は「口」と「心」にある それは知識や形式だけでなく、心からの信仰と応答が求められているということです。神の御心は私たちの生活の中にあり、日々の選択や態度に現れていきます。
・このように申命記30章は、神の言葉が遠く離れたものでも難解なものでもなく、私たちのすぐそばにあり、日々の暮らしの中で何度も選び取り、応答できるものであることを語ります。モーセは、神が命を選ぶことを強く望んでおられることを強調しつつも、その選びが私たち自身に委ねられている現実を示しています。神の約束と導きに信頼し、心を開いて御言葉を受け取ることで、新しい命の道が開かれ、私たちの人生と後に続く者たちの歩みも祝福へと導かれていくのです。
3.命の道と死の道 前に置かれた二つの道(15-20節)
・15節から20節にかけて、モーセは「見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。」(30:15)と語ります。この「置く」は、ヘブライ語ナターティ・直訳は(与えた)です。神が私たち一人ひとりに自由意志と責任を与えておられるという意味があります。
・命と祝福の道は、神を愛し、神の道に歩むことで開かれます。反対に心が迷い、神から離れて他の神々に仕えるなら、死と呪いの道に至ると警告されています。モーセは「命を選べ」と強く勧めます。命を選ぶことが、自分自身だけでなく子孫にも祝福をもたらすからです。
・私たちは日々、多くの選択に直面しています。その決断の積み重ねが人生を形作ります。だからこそ、神が示す「命の道」を選ぶことが、最も価値ある選択となるのです。
・このように、申命記30章の最後の部分では、選択の重要性が強調され、私たちが日々の歩みの中で神の導きをどのように受け取るかが問われています。目の前に置かれた命と祝福の道は、単なる抽象的な理念ではなく、現実の私たちの人生に深く関わっています。迷いの中にあるときも、神の約束と招きは常に私たちに向けられており、自らの意志で主の道を歩む決断こそが、新しいいのちと希望への扉を開いていくのです。
4.詩編119編14節を招詞に選び、申命記30章との響き合いを論じる
神の道を喜ぶ心と「前に置かれた祝福と呪い」の選択
・招詞に詩編119編14節(新共同訳)を選びました。ご一緒に読みたいと思います。
「どのような財宝よりも/あなたの定めに従う道を喜びとしますように。」ありがとうございます。
・この詩編の言葉は礼拝の冒頭にふさわしく、私たちの心を神の前に静め、日々の選択の基準を示してくれます。詩人は「定めに従う道」、つまり神がお示しになる生き方を、すべての富や価値より大切にし、心から喜び歩むと告白しています。神の御言葉・掟・命令を人生の中心に据え、その導きに従うことが豊かな人生への道となるのです。
・詩編の「定めに従う道を喜びとします」という告白は、私たちの内面に響き、神の教えに沿う選択を日々の生活の中で積み重ねることの価値を示しています。祝福と呪いという岐路に立たされたとき、目の前にある神のご意志を受けとめ、心から応答する姿勢が、人生の豊かさと希望を育みます。詩人が財宝に勝る喜びとして神の掟を選んだように、私たちも日々の歩みのなかで、神の言葉を土台として選択し続けることで、命と祝福の道を確かなものとしていくことができるのです。
5.申命記30章「前に置かれた祝福と呪い」との響き合い
・申命記30章で、モーセは民の前に「命と幸い」「死と災い」を置き、どちらを選ぶか問いかけます。神は私たちに命と祝福、あるいは死と呪いの道を選ぶ自由と責任を与え、不本意な強制ではなく、心からの応答を求めておられます。
ここで語られる「命の道」は神を愛し、その掟に従うことで開かれる祝福の道です。反対に、心が神から離れ、他の神々に仕えるなら、呪いと滅びの道に至ると警告されます。「命を選べ」というモーセの呼びかけは、自分と子孫への祝福のために神の道に従うことを勧めています。
・詩編119編14節の「定めに従う道を喜びとします」という言葉は、申命記30章の選択と深く響き合います。詩人は神の律法を心から受け入れ、喜びとし、選択の道しるべとして歩もうとしています。申命記の「命の道」は、私たちの日常の選択の中に具体的に与えられているのです。
・申命記30章の最後に示された選択の重要性は、私たちが日々直面する決断の本質にも通じています。神が差し出す「命の道」は、単なる思想や目標ではなく、具体的な行動と心のあり方に根ざしています。詩編119編の言葉が私たちの内面に響くように、神の定めを喜びとして受け止める姿勢が、人生の岐路で祝福につながる選択を可能にします。目の前に広がる二つの道に向き合うとき、神の導きと約束を信じて応答することが、揺るぎない希望と新しい生き方への一歩となるのです。
6.心の応答 喜びとしての従順
・申命記30章では、「この戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。……あなたの口と心にあるのだから、」(30:11~14)と記されています。神の言葉は遠い理想や抽象的な規範ではなく、日々の言葉や行動、心の中に息づいています。
・詩編119編で語るように、神の道を「喜び」として生きるとき、従順は義務や重荷ではなく、豊かさと自由の源となります。祝福と呪いの分かれ道は自分の選択に委ねられていますが、その根底には、神の道を喜び、信頼して歩む心があります。
・神の招きに応えて歩む者にとって、その道は決して独りきりのものではありません。私たちは日々の歩みの中で迷いや葛藤に出会いますが、神は常に近くにあり、語りかけ、励ましてくださいます。従順の先にある喜びや平安は、困難な選択の局面においても、神の約束と愛を信じることから生まれてきます。心が揺れる時も、祈りと御言葉によって神に寄り添い、自らの進むべき道を見いだしていくことができるのです。
7.選択の自由と神の愛
・申命記30章では、神が私たちに自由意思を与え、各々が自分の人生を選び取ることを強調しています。同時に、神は「立ち返る」道を備え、悔い改める者に祝福を回復させてくださいます。これは詩編の「喜び」とも通じ、神の愛に生かされながら、命と祝福の道を何度でも選び直すことができる希望でもあります。
・私たちが日々選び取る小さな決断の積み重ねが、やがて人生の大きな流れを形作ります。神は一人ひとりを尊重し、それぞれの歩みの中で語りかけてくださるのです。命と祝福の道は遠い理想ではなく、現実の中に息づいており、神の導きによって新たな一歩を踏み出す力が与えられます。困難や迷いのある時も、神の約束を信じて前進することで、豊かな実りと平安がもたらされるでしょう。
8.命の道を喜び選ぶ
・礼拝の招詞として詩編119編14節を選ぶことで、神の定めの道の価値と喜びを新たに心に刻みます。そして申命記30章の問いかけに応答し、日々の小さな選択の繰り返しが、やがて大きな祝福へと導かれることを覚えましょう。
・神の御言葉に心を開き、命の道を選び続ける者に、豊かな祝福がありますように。
・私たちが神の道を喜び選ぶ瞬間、内側に生まれる希望と確信は、日々の歩みを支える力となります。信仰に根ざした選択は、見えない未来への一歩でもあり、神の導きによって確かな実りが約束されます。迷いや試練の中でも、神の御言葉が私たちの心を照らし、命の道へと歩む勇気を与えてくださるのです。
9.心の割礼と新しい生(6節、参照)
・6節では「あなたの神、主はあなたとあなたの子孫の心に割礼を施し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛して命を得ることができるようにしてくださる。」と記されています。これは外面的な儀式ではなく、内面的な変革、心の刷新を意味します。神が私たちの心に働きかけ、神を愛し、命に生きる者と変えてくださるのです。
・この「心の割礼」は新約聖書にも受け継がれる主題で、主に従うための新しい力と動機を神が与えてくださる約束です。私たち自身の力だけでは神に従うことはできませんが、神の恵みによって新しくされ、愛のうちに歩むことができます。
10.祝福と呪い 神の愛に立つ
・本日の聖書個所は「祝福」と「呪い」を明確に対比しますが、その根底には神の深い愛があります。祝福は神に従う者への賜物であり、呪いは神から離れる者への警告です。どちらも私たちがどの道を選ぶかを、神が本気で問うておられるからです。
・神は私たちを無理やり従わせるのではなく、自由な意思を尊重し、命の道を選ぶことを望んでおられます。どんな時も「立ち返る」道が備えられていることを覚えましょう。祝福の道は、いつも私たちの前に開かれているのです。
・私たちが神の選びに応えることで、人生のさまざまな瞬間に新しい希望が生まれます。どんなときも神の導きを求め、心を開いて御言葉に耳を傾けることで、選択の一つひとつが恵みとなり、やがて確かな祝福へとつながっていきます。神は遠く離れた存在ではなく、日常の歩みの中で静かに寄り添い、必要な力と知恵を与えてくださいます。たとえ迷いがあったとしても、神の誠実さと愛に信頼を置くことで、歩む道が照らされ、命の約束が現実のものとなるのです。
結び 「今日、命を選べ」
・私たちも人生のさまざまな場面で「命と祝福」か「死と呪い」かの選択を迫られます。神は「命を選べ」と語りかけておられます。小さな一歩、悔い改めと立ち帰り、愛をもって神に従う日々の選択が、やがて大きな祝福へとつながります。
・神が与えてくださる命の道を、信仰と希望をもって歩み続けてまいりましょう。神の祝福が皆さんお一人おひとりの上に、豊かにありますように。
私自身と皆様に呼びかけます。「今日、命を選べ!」と。
お祈りします
愛と慈しみの神さま、
今日、あなたの御言葉を通して「祝福」と「呪い」を私たちの前に置かれていることを覚え、新たな決意であなたの道を歩みたいと願います。あなたが示してくださる命の道を、日々の小さな選択の中でも選び続けることができますよう、私たちの心を導いてください。
私たちは自分の力だけでは弱く、迷いやすい存在です。どうかあなたの恵みによって心の割礼を施し、内面を新しくしてください。あなたを愛し、御心に従う者へと変えてください。
祝福の道を選ぶ勇気と、あなたに立ち返る謙遜さを私たちに与えてください。傷ついた心や悔い改めを必要とする思いにも、あなたの癒しが注がれますように。
人生の選択の中で、あなたがいつも私たちのそばにおられ、導いてくださることに感謝します。命と祝福を選ぶ決断が、私たちと隣人、家族、子孫へと豊かな実を結びますように。
あなたの愛に立ち、希望と信仰をもって歩むことができますように、
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン