はじめに
・皆さん、おはようございます。申命記2週目です。本日の主題は「神の宝の民」です。2025年8月10日という新しい一日を、こうして皆さんと共に迎えられることを心から感謝いたします。今朝は、申命記7章6〜15節から、「神の宝の民」としてのイスラエルの民の在り方、そして、私たちの在り方と、そこに込められた神の深い愛と約束について分かち合いたいと思います。
1.神の選びと宝の民としてのアイデンティティ
・まず、聖書本文を振り返ります。7節と8節に注目します。イスラエルの民が「宝の民」と呼ばれるのは、決してイスラエルの民自身の力や価値によるものではありません。申命記の言葉に、神はイスラエルの民を「数が多かったから」(7:7)ではなく、むしろ「どの民よりも貧弱であった」(7:7)ゆえに、そして何よりも神ご自身の「愛」(7:8)と「約束(誓い)」(7:8)によって選ばれました。この神の選びは、私たちにとって大きな慰めであり、同時に謙遜さと感謝をもたらします。
・私たちはしばしば、自分の弱さや足りなさに目を向けてしまいます。しかし、神はそのような私たちをも大切な存在として見てくださり、ご自身の計画の中で「宝」としてくださるのです。神が約束された慈しみと契約は、私たちの努力や功績に基づくものではなく、変わることのない神の真実さと愛に根ざしています。
・ここで、私たち一人ひとりが神の前にどのような存在であるのか、そしてそのアイデンティティにどう応えて生きるべきかを静かに見つめてみましょう。神の選びは排他的なものではなく、私たちが与えられた恵みに感謝し、他者への愛と奉仕に生きるよう招かれている印です。神の「宝の民」として、私たちの心が日々新たにされ、神の愛と約束を喜びのうちに受け取り、分かち合っていくことが求められています。
2.神の約束と祝福 — 日常生活の中で
・「主は地の面のすべての民の中からあなたを選び、ご自分の宝の民とされた」(7:6)と記されています。ここで「宝の民」とは、単なる所有物や貴重品ではなく、神が心から大切にし、特別な目的をもって選ばれた民である、という意味が込められています。神の視点から見た時、私たちもこの世界の中で目立つ存在でなくても、神ご自身が特別な愛と意図を持って選び出してくださった、かけがえのない存在です。それゆえ、自分に自信が持てない日々や、弱さを感じる瞬間にも、神のまなざしと守りの中で生かされていることを心に留めましょう。
・この「宝の民」としてのアイデンティティは、私たちの生き方や日常の選択にも深く関わっています。それは、神の祝福を単に享受するだけでなく、その恵みを周囲に流していく使命を帯びているということです。私たちが受け取る神の恵みや、体験する小さな奇跡、日々の守りや導きは、自分だけのものに留めるのではなく、家族や友人、そして困難の中にある人々へと分かち合ってこそ、ますます豊かなものとなっていきます。神の選びや祝福の意味を深く味わい、自分自身の生活の中でその証し人となることが、私たちに委ねられた大切な使命です。
・また、申命記の中で神は「あなたの身から生まれる子、牛や羊などの家畜の産み出すもの、土地の実りである穀物、ぶどう酒、オリーブ油、牛、羊に祝福を与えてくださる」(7:13)と約束されています。これは目に見える物質的な豊かさだけを意味するのではありません。仕事や人間関係、健康、心の平安といった、日常のあらゆる場面において神の守りと導きが与えられていることを思い起こさせます。そして、私たちが困難に直面したときにも、神は決して私たちを見捨てず、必要な助けを備えてくださる方です。それが、神の約束の確かさと、誠実な愛の現れです。
・さらに、神は「あらゆる病を取り除き、恐ろしい重い病気を与えない」(7:15)と宣言されます。これは現実の試練の中でこそ体験できる神の力強い恵みであり、困難や弱さの中でも私たちを支え、新たな力を注いでくださる約束です。人生には思いがけない病や困難が訪れることもありますが、神はすべての状況において私たちと共にいてくださり、希望と癒しの源として働いてくださいます。私たちはこの約束を信じて歩むとき、たとえ道が険しくとも、決して一人ではないという確信を持つことができるのです。神の約束は時に目には見えなくとも、私たちの心の奥深くに希望の灯をともしてくれるものです。日々の歩みの中で、神の恵みと祝福を豊かに受け取り、分かち合いながら生きていきましょう。
・皆さんに、私自身の体験を少しお聞きいただきたいと思います。先月の7月31日、私は船堀の医療検査センターで肺のCT検査を受けました。診断結果は、「胸部に積極的に悪性を疑う所見は認めません」とのことで、安堵と感謝の気持ちで心が満たされました。今月26日には内視鏡と胃カメラの検査を受け、さらに30日には内臓の超音波検査も控えています。4年前にも、胃カメラや内視鏡、頭部MR検査を受けました。
なぜ私はこうして繰り返し検査を受けているのでしょうか。それは、事故や怪我を避けるために日頃から運転に注意するのと同じように、病気や健康にも気を配り、これからも皆さんと共に礼拝の時を守り続けたいと心から願っているからです。
「主はあらゆる病気からあなたを守り、あらゆる重い病気にかからせず、」(申命記7章15節)
この御言葉の通り、今回も大きな病気がないと信じています。特別な自覚症状がないこともありますが、たとえ何か重大な病が見つかったとしても、私は事前に皆さんと礼拝を守る道を考え、準備することができるという安心感もあります。
私たち一人ひとりの命と健康は、神さまの守りの中にあります。そして、日々当たり前のように与えられている平安や恵みも、決して当たり前ではありません。困難な時も、恐れや不安の時も、神はずっと私たちと共にいてくださる。そのことを心から信じ、今日も感謝と希望をもって、新しい一日を歩み出したいと願います。
3.神の命令と応答 — 忠実さの歩み
・申命記の言葉は、神の愛と選び、祝福が、私たちの応答や歩みにも深く結びついていることを示しています。「今日わたしが、『行え』と命じた戒めと掟と法を守らねばならない。」(7:11)とある通り、神の恵みは一方的に与えられるだけでなく、私たちが誠実に神を愛し、戒めを大切にして歩むとき、その中でより豊かに現されていきます。
・神の命令は決して重荷ではなく、私たちが真に自由に生きるための導きでもあります。その道を歩むとき、私たちは失敗や弱さに直面することもありますが、神は契約と慈しみによって、再び立ち上がる力を与えてくださいます。日々の小さな選択や、周囲の人への思いやりの行動の中にこそ、神の愛に応える生き方が表れていきます。
・例えば、身近な人に親切にする、困っている人に手を差し伸べる、時には自分の利益よりも他者の幸せを優先するなど、日常のなかの小さな選択の積み重ねが、神の命令に忠実に従う歩みとなります。その一つひとつの選択が、私たちの心を育み、信仰をより確かなものへと導いてくれるのです。
・また、神の戒めは私たちの人生に指針を与え、時として困難な状況においても、希望を見失わず前進する力となります。たとえば、家庭や職場、学校などで悩みや葛藤が生じたとき、神の言葉に立ち返ることで、心の平安と新たな気づきが与えられることも少なくありません。そのような時こそ、神の導きと祝福が私たちの人生に深く働いていることを実感できるのです。
・そして、この日々忠実に実行される歩みは、私たち自身や家族、共同体、さらには社会全体へと祝福の流れを生み出していきます。神は一人ひとりを大切に招き、互いに支え合い、愛し合う共同体を築くよう導いておられます。私たちが神の命令に従い、感謝と信頼をもって歩むとき、神の約束された平安と喜びが私たちのうちにますます満ちていくことでしょう。
・この申命記のメッセージを心に刻み、日常の中で神の愛と祝福に応え、忠実さと感謝をもって歩むことができますように。日々の祈りの中で、神の恵みと導きを求め、困難の中でも神への信頼を新たにし、前向きな心で進んでいくことが大切です。時には自分の力だけではどうしようもない壁にぶつかることもありますが、そのような時にも神は近くにいて、私たちを導いてくださっているのです。
このように、神の宝の民として生きるとは、神の愛と約束に信頼し、その恵みを喜びと感謝をもって受け取り、日々の生活の中でそれを証ししていくことなのです。私たちの小さな行いの中にも、神の輝きが現れ、周囲の人々にも希望と慰めが届けられるようにと願います。
・私たちが信仰の歩みを続けるなかで、時には思いがけない試練や、答えの見えない問いに直面することもあります。しかし、そうしたときこそ、神の約束が心の支えとなり、見えない導きに耳を澄ませて歩む力が与えられるのです。人知では測りきれない神のご計画の中で、ひとつひとつの出会いや出来事にも意味が備えられています。どんなに小さな経験であっても、神の手の中では大きな恵みへと変えられていくでしょう。
・日々の営みのなかで、私たちは失敗や挫折を経験しますが、そのすべてが新しい成長へのきっかけとなり得ます。弱さを認め、互いに赦し合い、励まし合うことを通して、コミュニティの絆もまた深まっていくことでしょう。一人ひとりの小さな歩みが繋がり、やがて大きな祝福の流れを生み出していく、そのプロセスこそが信仰生活の醍醐味です。
・これからも、希望と勇気をもって前進し、どんな時にも感謝の心を忘れずに歩んでいきましょう。そして、私たち自身が神の恵みの証し人として、周囲の人々に光と愛を分かち合う存在であり続けられるよう願います。たとえば、日常のささいな出来事の中にも神への感謝の気持ちを忘れずに、誰かに優しい言葉をかけたり、励ましたりすることが、神の愛を実践する第一歩となります。
・私たちの歩みが、やがて大きな祝福の実を結ぶことを信じて、今与えられている場所で誠実に、謙遜に生きていきましょう。神は必ず、あなたの人生を豊かにし、愛と光をもって満たしてくださいます。
4.招詞
・招詞に神の民としての召命と、恵みの約束を想う新約聖書ペトロの手紙一2章9節を選びました。申命記7章6~15節との響きを味わいたいと思います
・礼拝の冒頭、招詞としてペトロの手紙一2章9節を朗読して頂いたことには、特別な意味選ばれた民としてのアイデンティティが込められています。皆さんと一緒にお読みしたいと思います。
-1ペトロ2:9「 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」
・この御言葉は、神が私たち一人ひとりを「選ばれた民」として、特別な使命とアイデンティティを与えてくださっていることを、力強く宣言しています。私たちの歩みは偶然や気まぐれによるものではなく、神の確かなご計画と、変わることのない愛の中にしっかりと根ざしています。
申命記7章6~15節との響き
・申命記7章6~15節には、イスラエルの民が他の民の中から選ばれ、神の宝の民とされたこと、そしてその選びが大きな恵みと約束の中に置かれていることが語られています。神は「地の面にいるすべての民のうちからあなたを選び、御自分の宝の民とされた。」(7:6)と宣言し、その民に対して変わらぬ愛と忠実さ、祝福の約束を与えられました。
・この旧約の約束と、新約のペトロの言葉が重なるとき、私たちは時代を超えて続く神のご計画と、変わらない愛のまなざしを深く味わうことができます。神の民として召された者は、ただ特権を受けるだけでなく、神の素晴らしい御業を証し、世に希望と光をもたらす使命を与えられているのです。
日々に響く約束と祝福
・そして、この忠実さの歩みは、私たち自身や家族、共同体、さらには社会全体へと祝福の流れを生み出していきます。神は一人ひとりを大切に招き、互いに支え合い、愛し合う共同体を築くよう導いておられます。私たちが神の命令に従い、感謝と信頼をもって歩むとき、神の約束された平安と喜びが私たちのうちにますます満ちていくことでしょう。
・この申命記のメッセージを心に刻み、日常の中で神の愛と祝福に応え、忠実さと感謝をもって歩むことが求められています。
・このように、神の宝の民として生きるとは、神の愛と約束に信頼し、その恵みを喜びと感謝をもって受け取り、日々の生活の中でそれを証ししていくことなのです。私たちの小さな行いの中にも、神の輝きが現れ、周囲の人々にも希望と慰めが届けられるようにと願います。
神の選びに応える歩み
・私たち一人ひとりの歩みは、時に迷いや葛藤に満ちていますが、そのような現実の中でこそ、神との対話や祈りの時間がますます重要になってきます。静かな祈りのひとときを持つことで、神の言葉が心に響き、日々の選択において新たな気づきと導きを受け取ることができるでしょう。
・また、祝福と忠実さを受け継ぐ営みは、次世代への責任とも深く関わっています。子どもたちや若い世代に、神の愛と教え、希望を伝えていくことは、私たち大人の大切な使命です。家庭や教会、地域社会で互いに支え合い、励まし合う関係を築きながら、信仰の灯を絶やさずに手渡していくことが求められています。
・そして日々の小さな出来事に目を向けてみると、困難の中にも神の恵みが静かに流れていることに気づくことができます。何気ない対話や親切な行いの中に、神の働きと祝福が隠れているのです。
・このような生き方を重ねる中で、私たちは神の約束に信頼し、希望をもって未来を切り拓く力を与えられます。どんな時も、神の愛が私たちを包み、共に歩んでくださることを心に留めながら、今日も誠実に歩み続けましょう。
結びに
・ペトロの手紙一2章9節と申命記7章6~15節は、旧約と新約を貫く「選ばれた民」という主題において深く響き合っています。神の愛と約束を心に刻みつつ、私たち自身がその恵みの証し人であり続け、世に光と希望を分かち合う存在となれますようにと、心より願います。
・現在のイスラエルの民は、「選ばれた民」・「神の宝の民」として神の御言葉とみ旨に従い続けているのでしょうか。その問いは、私たち自身にも向けられています。私たちが謙遜な心で神の恵みを受け止め、感謝しながら歩む時、日常のすべてが祈りとなり、世界が少しずつ愛と平和に満たされていくことを信じます。日々のささやかな決断や態度の中に、神のみ心を求め主の静かな語り掛けに耳を傾ける謙遜さを持ち続け、神への信頼と従順を持ち続けること大切さが今強く求められているのです。
感謝と献身の祈り
恵み深い真の命の神さま、
あなたが私たち一人ひとりを、御自分の宝と呼び、限りない愛と誠実をもって導いてくだ
さることを心から感謝いたします。申命記の御言葉を通して、あなたの選びと祝福、そして御心に従う歩みの大切さを新たに教えられました。
私たちが日々の生活の中で、あなたの恵みを覚えて歩むことができますように。
困難の中にも、あなたの変わらぬ愛と守りがあることを信じ、感謝の心をもって仕える者としてください。どうか私たちが、周囲の人々に光と希望、慰めを分かち合う存在となれますよう、知恵と力をお与えください。
また、次世代へと信仰を受け渡していく責任と使命を覚え、子どもたちや若い世代に、
あなたの愛と御言葉を伝えることができるよう導いてください。家庭や教会、地域社会に
おいて、互いに支え合い、励まし合う喜びを与えてください。
主よ、どうか私たちが謙遜な心であなたに従い続け、日々の選択と歩みにおいてあなたの
御心を求めることができますように。あなたへの信頼と従順をもって、今日も誠実に歩み続けることができますよう、私たちを整えてください。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお捧げいたします。
アーメン。