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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2025年11月23日(ヨエル書1:1~15 神からのしるし 副題:神の救いの計画)

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はじめに
・本日は旧約聖書ヨエル書1章から、「神からのしるし」について分かち合いたいと思います。私たちは日々の生活の中で、さまざまな「しるし」や「きざし」を経験しますが、神からのしるしは、私たちに悔い改めや目覚めを促す大切な意味を持っています。

ヨエル書1章の背景
・ヨエル書1章は、イスラエルの地に起きた未曾有の災害【いなごの大群による作物の壊滅的被害】が描かれています。農作物が食い尽くされ、喜びや祝い事が失われ、祭壇に供えるものさえなくなるほどの悲惨な状況です。この災害は単なる自然現象ではなく、「神からのしるし」として、民に悔い改めと神への立ち返りを迫るために与えられた。とヨエルは記します。
・ヨエル書が書かれた時代は、イスラエルの民が大きな災害【特にイナゴによる壊滅的な被害】に見舞われていました。このイナゴの大群による被害は、食糧や生活の基盤を根こそぎ奪い、当時の人々にとっては計り知れない苦しみとなりました。しかし、ヨエルはこの災害を単なる自然現象とは捉えず、神からの「しるし」として受け止めるように民に呼びかけています。
・ヨエル書1章を通して、神はご自身の民に対して悔い改めと目覚めを促し、困難の中でも新たな信仰の一歩を踏み出すように導いておられます。私たちもヨエルの時代の民と同じように、日々の中で与えられる「しるし」を見逃さず、神の語りかけに敏感でありたいと思います。

神のしるしの目的
・神からのしるしや警告は、私たちを裁くためだけに与えられるのではありません。それは、私たちが道を正し、神のもとに再び立ち返るための「目覚まし時計」のような役割を果たします。ヨエル書1章5節では、「酔いしれる者よ、目を覚ませ、泣け。酒におぼれる者よ、皆泣き叫べ。泡立つ酒はお前たちの口から断たれた。」と記されています。これは、現実から目を背けていた人々に対する神の叱咤です。
・このような「神のしるし」には、単に人々を驚かせたり、恐れさせたりするだけでなく、深い目的と意味があります。神は災害や困難を通して、私たちの心の状態や信仰のあり方を問いかけておられるのです。つまり、私たちが見過ごしている日常の中の「当たり前」や「恵み」に気づかせ、感謝と謙遜の心を取り戻すように導いておられるのです。
・また、神のしるしは私たちに新たな方向転換や決断を促すこともあります。困難や苦しみの中でこそ、私たちは神の御心を尋ね、これまでの歩みを振り返り、これからの歩みを神に委ねることの大切さを学ぶことが出来ます。

悔い改めへの招き
・「祭司よ、粗布を腰にまとって嘆き悲しめ。祭壇に仕える者よ、泣き叫べ。神に仕える者よ、粗布をまとって夜を明かせ。献げ物の穀物とぶどう酒は、もはや/あなたたちの神の宮にもたらされることはない。」(1:13)ヨエルは、悲しみや断食、祈りをもって神の前に出るよう人々に呼びかけます。困難の中で私たちは自分の努力に頼りがちですが、神がしるしを示されるとき、まず自分自身と向き合い、心からの悔い改めるが求められます。神のしるしは、私たちの無力さと神の偉大さを知る機会です。
・ヨエル書1章において神は、被災した民に悔い改めを強く促しています。8節から13節にかけては、祭司や農夫、ぶどうを作る者など、社会のあらゆる層に向けて悲しみと悔い改めの呼びかけが続きます。神のしるしは、個人だけでなく共同体全体への警告であり、皆が心を一つにして神の前に立ち返ることが求められているのです。
・私たちもまた、困難や逆境に直面したとき、自分自身の歩みを顧みると同時に、周囲の人々や社会全体の在り方にも目を向ける必要があります。神のしるしは、私たちを孤立させるものではなく、互いに助け合い、支え合う共同体を築くためのきっかけともなり得ます。今こそ、謙虚な心で神の声に耳を傾け、悔い改めと共に新たな希望を見出したいと思います。

現代に生きる私たちへのメッセージ
・今日の私たちも、思いもよらぬ出来事や困難に直面することが多々あります。これらを単なる「不運」と捉えるのではなく、神が私たちの歩みを正し、再び神を見上げるように促しておられる「しるし」として受け止めることが大切です。神のしるしは、絶望や終わりではなく、新たな希望と回復の始まりへの道しるべとなるのです。
・また、神のしるしを通して示される出来事は、私たちが自分自身の限界や弱さを認識し、謙遜な心で助けを求める大切さを教えてくれます。私たちは、日々の忙しさや慣れ親しんだ生活の中で、神の存在や恵みを見過ごしてしまいがちですが、予期せぬ試練や困難を通じて、再び神との関係を深める機会(チャンス)を与えられているのです。このような時こそ、信仰の原点に立ち返り、神への信頼と従順を新たにしましょう。

招詞:マタイによる福音書12章39節
・招詞にマタイによる福音書12章39節を選びました。皆さんとご一緒にお読みしたいと思います。「イエスはお答えになった。『よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。』」ありがとうございます。
・マタイ12:39に、イエスは続けます。「つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。」(マタイ12:40)
・「しるし」は聖書全体で173回登場します。その中で最大のしるしはイエス・キリストとその復活です。特に「ヨナのしるし」は、イエス自身が死後三日目に復活することを示しています。このしるしこそが信仰の土台であり、神の救いの計画を表しています。

・聖書が記す「最大のしるし」は、イエス・キリストご自身とその復活です。新約聖書は、イエスが多くの奇跡やしるしを行いましたが、その中でも最も重要で根本的なしるしとして記されているのは、マタイ12:39-40に記されている「ヨナのしるし」です。ここでイエスは、「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」と述べ、ご自身が三日三晩、大地の中にいること(死と復活)を最大のしるしとされました。
・聖書において最大のしるしとは、イエス・キリストの死と復活を通して示された神の救いの計画そのものであり、すべての信仰の基盤となっています。
・このように、聖書における「しるし」は、神がご自身のご計画や救いを示すために与えられる重要なメッセージです。旧約では、災害や奇跡が神の警告や導きとして現れ、新約ではイエス・キリストの十字架と復活が最大のしるしとして示されています。私たちは困難や試練を通して、神が私たちに語りかけておられることに気づき、信仰を新たにする機会(チャンス)としたいものです。

 

結びに
ヨエル書1章に現れる神からのしるしは、私たち一人一人への愛の招きです。困難の中にあっても神に立ち返り、悔い改めの心をもって神に近づくとき、神は私たちを新たにし、回復への道を開いてくださいます。神のしるしに心を留め、日々の歩みの中で神の声に敏感に応答していきましょう。
・私たちは時として、困難に直面したとき、ただ状況を嘆くだけで終わってしまいがちですが、聖書はそのような時こそ深い意味を見出すように促しています。神のしるしは、単なる偶然や災害ではなく、自分自身を見つめ直す機会(チャンス)であり、信仰の成熟への道しるべでもあります。そこから新しい価値観や生き方、そして希望を見出すことができるのです。
・私たちが日々の生活の中で神の「しるし」に目を向けることは、信仰の歩みにおいて非常に大切です。神は時に静かなささやきや、思いがけない出来事、また他者を通しても私たちに語りかけておられます。その「しるし」を受けとめ、心を開いて応答することで、より深い神との交わりと導きを経験することができるのです。

 

 

 

祈り

・恵み深い真の命の神様、あなたがヨエル書1章において

私たち一人一人に与えてくださった「しるし」と、

イエス・キリストの死と復活という最大の「しるし」を心から感謝いたします。

困難や試練の中でも、あなたが私たちを愛し、

回復の道へと導いてくださることに感謝します。

どうか、日々の歩みの中であなたのしるしに心をとめ、

イエス・キリストの贖いと復活を通して与えられた希望と

新しい命に生きることができますように。私たちがあなたの語りかけに敏感になり、

信仰の成熟と共に、あなたの御心に従って歩む力をお与えください。

すべてを感謝し、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

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