江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2025年9月7日(ヨシュア記1:1~9 ヨシュアへの呼びかけ 副題 モーセの後継者)

投稿日:

YouTube

 

はじめに
・皆さん、おはようございます。本日は、旧約聖書ヨシュア記1章1節から9節までの御言葉を通して、「ヨシュアへの呼びかけ」と題し、主がヨシュアに、そして私たち一人ひとりに語りかけてくださる励ましについてご一緒に味わいたいと思います。
・その前に9月は「教会学校月間」です。教会学校の目的は、「その活動を通して、すべての人々がイエス・キリストを信じる信仰告白に導かれ、教会を形づくり、生の全域において主に聞き、主を証しする生活を確立していくことにある。」(日本バプテスト連盟1971年制定、1999年改訂)「聖書教育」の裏表紙の記されています。
・ヨシュア記は、モーセの死後、神がヨシュアに新たな使命を委ねられるところから始まります。彼は偉大な指導者モーセの跡を継ぎ、イスラエルの民と共に約束の地カナンへと歩み出します。神はヨシュアに対し繰り返し「強く、雄々しくあれ」と語りかけます。これは、ヨシュアにだけでなく、私たちがどの様な困難や新しい局面に直面しても、主の約束と導きの中で力強く歩むようにとの招きです。

1.モーセの死の後の新たな始まり
・ヨシュア記1章1節には、「主の僕モーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた。」(1:1)と記されています。モーセという偉大な指導者が天に召された後、民は大きな不安と喪失感を抱えていたことでしょう。しかし、神はそこで立ち止まりませんでした。新しい時代の扉を開き、ヨシュアを新たな指導者として立てられたのです。
・今年の1月、そして3月に篠崎キリスト教会にあった様に、私たちの人生にも、思いがけない別れや変化、喪失が訪れます。けれども、主はその度ごとに新しい道を指し示してくださいます。ヨシュアが「従者」であったように、私たちも主の御手の中で次のステップへと進むよう招かれているのです。
・そのような状況の中で、ヨシュアに与えられたのは、過去の指導者の偉業をただ受け継ぐことではなく、これから出会う未知への一歩を踏み出す使命でした。神はヨシュアに新たな責任と信頼を託し、「あなたが指導する民すべてが約束の地へ向かう」と明言されます。ヨシュア自身も悩みや不安を抱えていたに違いありませんが、神の御声と約束が彼の歩みを確かなものとしました。新たなリーダーシップは、過去の成功や失敗にとらわれず、時代の変化に応答して一人ひとりが主の導きを信じ、次のステージへと進む勇気を持つことによって築かれていきます。

2.約束の継承とチャレンジ
・2節から4節で、神はヨシュアに「今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。」(1:2)と命じ、約束の地の境界を具体的に示されます。神の約束は決して揺らぐことがなく、時を超えて必ず実現する確かさがあります。
・しかし、その約束の成就には「チャレンジ」が伴います。ヨルダン川を渡ること、カナンの地に住む民との戦い、数々の試練が待ち受けています。約束の実現は、決して安易な道ではありません。それでも神は、「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。」(1:5)と力強く約束され、ヨシュアを力づけました。こうして、民の歩みを導く新しい時代が始まるのです。
・神はさらに、土地の境界を明確に示すことで、ヨシュアに具体的なビジョンと目標を与えました。約束の地へ向かう道は決して平坦ではありませんでしたが、神ご自身が「あなたと共にいる」と保証されたことで、ヨシュアと民は新しい挑戦に立ち向かう勇気を得たのです。困難の中にあっても、神の語りかけは確かな希望と指針となり、誰もが自分の役割を見出し、主の導きに応答して前進できる力となります。

3.「強く、雄々しくあれ」との呼びかけ
・6節から9節にかけて、神は三度も「強く、雄々しくあれ。」とヨシュアに語ります。これは、ヨシュアが直面する現実が決して容易ではないことを示しています。人間的な弱さや恐れ、不安が押し寄せる時、私たちはしばしば立ちすくんでしまいます。
・しかし、主はただ励ましを与えるだけではなく、「あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(1:9)と約束されます。主の臨在こそが、動揺する私たちの心に平安と勇気を与えてくださるのです。さらに、主の律法の書を口から離さず、昼も夜も黙想するようにと勧めています。主の言葉に根差す時、どんな試練の中でも揺るがない信仰が養われます。
・私たちが人生の分岐点や未知への一歩を踏み出す時、心に浮かぶのは過去の経験や抱えてきた思いでしょう。しかし、どんな変化や課題にも、主の確かな導きと連綿と続く約束があることを思い出す必要があります。ヨシュアが新しい使命を担ったように、現代に生きる私たちもそれぞれの場所で、主から託された役割を果たす勇気と知恵が求められています。周囲の声や状況に左右されることなく、主のことばに根ざした信念を持ち、恐れずに歩みを進めていきましょう。主は決して一人にせず、共に歩んでくださる神であることを信じて、日々の選択やチャレンジに臨むことができるのです。
・ヨシュア記の流れをたどると、個人の不安や時代の変化に直面しながらも、主から与えられる使命に応答して歩むことの大切さが浮き彫りになります。試練のただ中で求められるのは、完璧な強さではなく、主に寄り頼みながら前に進む柔軟さと誠実さです。未知なる道のりに立つ時、私たちは自らの力に頼ることなく、主の語りかけと約束の確かさに心を開いていくことが勧められています。内面的な葛藤や迷いさえも、主の臨在の中で新たな力と希望へと変えられるのです。こうしてヨシュアの物語は、今を生きる私たちにも「変化を恐れず、主と共に進もう」という静かな励ましを響かせ続けています。
「雄々しくあれ」は差別用語か?
・「雄々しくあれ」という表現は、もともと「勇気を持て」「力強くあれ」「恐れずに前進せよ」という意味で使われてきました。聖書や歴史的な文献では、性別に関係なく、困難に立ち向かう強さや勇気への呼びかけとして用いられています。聖書協会共同訳も新改訳も同じ様に、「雄々しくあれ」と訳されています。
・現代日本語において、「雄々しい」という言葉自体は、漢字に「雄」(おす=オス、男性)を含むため、性別に関連する印象を与えることがあります。しかし、聖書の言葉の訳や宗教的な文脈では、「男性的であれ」という意味ではなく、「困難にあっても強く、勇敢であれ」という精神性の呼びかけとして受け止められることが一般的です。
ただし、ジェンダー平等や言語の多様性への配慮が進む現代では、より中立的な表現、例えば「力強くあれ」「勇気をもって進もう」などへの置き換えが好まれる場面も増えています。聴く方々や文脈によっては、性別を想起させる言葉に敏感になる方もいるため、配慮が望ましい場合もあり、結論としては、「雄々しくあれ」は本来、差別用語として用いられてきたわけではありませんが、現代においては表現の中立性に注意を払う姿勢が大切です。聴く方々や場面に応じて、より包括的な表現を選ぶことが望ましいと思われます。
・私たちは日々、変化や困難に直面する中で、言葉が持つ力に思いを馳せます。表現一つひとつが、どのように受け取られるのか、また時代や文化によって意味合いが変わることも意識しなければなりません。聖書の語りかけに耳を傾ける時、そこに込められた普遍的な励ましや勇気への呼びかけを、現代的な感性と調和させて受け取ることが大切です。自分に与えられた使命や役割に向き合い、どんな状況でも心を開いて前進する時、言葉の枠を超えて、神の導きと恵みが新たな希望として心に響いてくると感じ取ることが出来ると考えられます。
・「強くあれ、また雄々しくあれ」はヘブライ語で「ハザク、ヴェエマツ」と言います。ハザクは肉体的な強さ、エマツは精神的な強さや勇気を意味します。直訳は「肉体的に強く、精神的に勇ましくあれ」です。

4.招詞
・招詞に歴代誌上22:13を選びました。皆さんとご一緒にお読みしたいと思います。
歴代誌上22:13「あなたは、主がイスラエルのために、モーセにお授けになった掟と法を行うよう心掛けるなら、そのとき成し遂げることができる。勇気をもて。雄々しくあれ。恐れてはならない。おじけてはならない。」ありがとうございます。
・聖書に繰り返し現れる「強くあれ、雄々しくあれ」「勇気をもて。雄々しくあれ。」という呼びかけは、時代や場面を超えて普遍的な励ましとして響いています。ヨシュア記1章(6,7,9節)では、民を率いて未知の領域へ踏み出すヨシュアに、主が繰り返し勇気と力を求める言葉を投げかけます。この「強くあれ、雄々しくあれ」は、単なる肉体的な力強さというより、主の約束に信頼して歩む精神的な勇気と誠実さを指しています。ヨシュアの個人的な葛藤やイスラエル全体の不安が背景にあるからこそ、主の語りかけは「あなたはひとりではない、私が共にいる」という慰めとともに、未知への一歩を促します。
・一方、歴代誌上22章13節もまた、ソロモンが神殿建設という大きな使命に向かう場面で、「勇気をもて。雄々しくあれ。」と励まされます。ここでの「雄々しさ」や「勇気」も、困難な課題を前にして怯ひるまず、主の掟に従い続ける誠実な心を強調しています。どちらも、リーダーに与えられた重責 ヨシュアには約束の地への導き、ソロモンには神殿建設 を前にした不安や重圧の中で、主への信頼が最も大きな力となることを示しています。
・言葉の響き合いに目を向けると、「強くあれ」「雄々しくあれ」「勇気をもて」は、時代や状況が異なっても、主の使命に応答し続ける者への普遍的なエール・励ましです。ヘブライ語の「ハザク」(強さ)と「エマツ」(勇気)は、肉体的・精神的両面の強さを意味し、神の導きのもとで生きる者がどちらも必要とされることを暗示しています。どちらの場面でも「恐れてはならない」「おじけてはならない」と繰り返されるのは、人間の弱さや迷いを受け止めつつ、それでも前に進むことができる希望を与えているからです。
このように、ヨシュア記と歴代誌上の励ましの言葉は、歴史的文脈や個人の状況を超えて、現代を生きる私たちにも力強く響いてきます。主の語りかけは、ただ過去の物語にとどまらず、今この瞬間にも「変化や試練の中でも共にいる」という約束として、心に希望と勇気を灯してくれるのです。

5.私たちへの適用
・今日、この「ヨシュアへの呼びかけ」は、現代を生きる私たちにも向けられています。人生の新たなステージ、課題、そして不安のただ中で、主は「 強く、雄々しくあれ。うろたえてはならない。おののいてはならない。」(1:6,7,9)と語りかけてくださいます。
・私たちは自分の弱さや限界を知っていますが、主は私たちの背後に立ち、共に歩んでくださいます。主の約束と御言葉に信頼し、一歩を踏み出していきましょう。困難の中にも、主の導きと守りが必ずあります。
・新しい一歩を踏み出すとき、私たちにとって大切なのは、主の語りかけを心静かに受けとめ、どのような状況でも主の信頼に応える姿勢をもつことです。変化や迷いの中でも、主が共にいるという約束が私たちの支えとなり、日々の決断や選択に勇気を与えてくれます。自分の力だけに頼らず、主の導きを求めて歩み続けるとき、どんなに小さな歩みであっても、そこに意味と希望が生まれるのです。
結びに
・最後に、ヨシュア記1章9節の御言葉を心に刻みましょう。「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」この約束を胸に、主が与えてくださる新しい歩みを、希望をもって始めてまいりましょう。
・私たちはそれぞれの歩みの中で思いがけない困難や新しい課題に直面しますが、そのたびに主が語りかけてくださる励ましの言葉が、心に灯火ともしびとなって希望と勇気をもたらします。自分の努力や力だけでは乗り越えられない時にも、主の変わらぬ愛と約束が静かに背中を押してくださることを信じて、一歩一歩前進していきましょう。日常の小さな選択や決断においても、主の導きを求めることで、揺らぐことのない平安と信頼が与えられます。私たちが共に祈り合い、支え合う中で、どんな季節も主の守りと恵みのうちに歩むことができるよう皆様と共に願います。

 

祈り
・真の命の神様。
今日、あなたがヨシュアに語られた御言葉を通して、私たち一人ひとりに「強く、雄々しくあれ・肉体的にも精神的にも強くあれ・フィジカルもメンタルも強く」と呼びかけてくださっていることを覚えて感謝します。あなたの約束が確かに成し遂げられることを信じ、私たちも人生のヨルダン川を渡るとき、困難や試練のただ中でも、あなたの臨在が共にあることを心から覚えます。
私たちの弱さや恐れに押しつぶされそうになるとき、どうかあなたの御言葉が道しるべとなり、主の励ましが勇気となって心を満たすように。あなたが「あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。」と約束してくださったように、私たちのすべての歩みの中で、あなたがともにいてくださることを感謝します。
どうか、主の律法の書を口から離さず、昼も夜も黙想し、あなたの言葉によって揺るぎのない信仰を養うことができますように。今週の新しい歩みも、主の導きと守りのうちに歩ませてください。どんな状況にあっても、希望をもって一歩を踏み出せるよう、あなたの力と平安を豊かに注いでください。
主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。
アーメン。

-

Copyright© 日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会 , 2025 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.