江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2025年4月27日(マタイ28:16-20 いつもあなた方と共に)

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※この説教は途中登場される方のプライバシー保護の観点から、動画・テキストとも編集が加えられています。

 

1.マタイにおける復活顕現物語

・イエスは金曜日の午後3時に十字架上で絶命され、アリマタヤのヨセフが用意した墓に葬られました。イエスの死から三日目、安息日後の日曜日の朝、女性たちは香油を持って、墓に向かいました。イエスの遺体を清め、ふさわしく葬りたいと願ったからです。しかし、墓の入り口には大きな石が置かれ、どうすればその石を取り除いて墓に入ることが出来るか、女性たちはどうすればよいか、わからないまま、墓へ急ぎました。墓に着くと、石は既に取り除かれ、中に天使が座っているのを見て、女性たちは驚き、怖れます。そして女性たちは天使の声を聞きます。「恐れることはない。十字架につけられたイエスは、ここにはおられない。復活なさったのだ。・・・急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』」(28:6-7)。イエスを裏切った弟子たちに「イエスはガリラヤで待っておられる」との使信が届きます。

・弟子たちはガリラヤに戻りました。ガリラヤは彼らの故郷であり、またイエスと共に行った宣教の出発点でした。しかし、ガリラヤに戻った弟子たちは途方にくれていました。頼りにしてきたイエスが今はいない、自分たちはイエスを見捨て、逃げてしまった、仲間の一人は首をくくって死んでしまった、そのような思いの中で、ガリラヤに戻った弟子たちは指示された山に登ります。山は聖なる場、神に出会う所です。マタイ28章16節は記します「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った」。その山で彼らは神秘体験をします。復活のイエスに出会います。この出会いを通して、弟子たちは「この方は神の子であった」という信仰が与えられ、新しく生きる者になります。

・「しかし疑う者もいた」(28:17)。ルカによる福音書では、イエスに出会った弟子たちは「亡霊を見ている」と思ったとあります(ルカ24:37)。エマオに行く弟子たちも最初は同行者がイエスだとはわかりませんでした(ルカ24:16)。山に登った弟子たちもイエスに出会った時、半信半疑でした。復活はそのように信じることが難しい出来事です。しかし、この記事は私たちに希望を与えます。何故なら、私たちも確固たる信仰を持っているわけではないからです。苦しみが続くと「本当に神はおられるのか」と疑います。多くの人がバプテスマを授かりますが、死ぬまでその信仰を持ち続ける人は少ないのが現実です。私たちは信仰と懐疑の間を揺れ動いている存在です。しかしその不信仰の私たちにもイエスの方から近寄って下さる。弟子たちにそうされたように、です(28:18a)。

・イエスは言われました「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、全ての民を私の弟子にしなさい」(28:18b-19a)。イエスを裏切った弟子たちに、宣教の使命が与えられます。「全ての民を私の弟子にせよ」、これが弟子たちに与えられた使命でした。その使命の具体的な内容が次に語られます「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(28:19b-20a)。「バプテスマを授ける」、ギリシア語バプテゾ-の命令2人称複数形バプテゾンテス、「あなたがたは水に沈めなさい」です。「父と子と聖霊の名によって」、「父と子と聖霊の交わりの中に」、彼らを水に沈めなさいと命令されています。ここにバプテスマの原型があります。私たちは何のためにバプテスマを授かるのか、それは「父と子と聖霊の交わりの中に」生きるようになるためです。不信仰な、弱い私たちは、一人では信仰を持続していくことが難しいです。だから信仰者の交わりの中で、教会の交わりを通して私たちは育てられます。そして教会では、毎週の説教を通して「イエスの戒め」、「愛し合いなさい」という戒めが語られ、伝えられます。

 

2.イエスの宣教命令を受けて

・招詞にコリントの信徒への手紙15章20~22節を選びました。次のような言葉です。ご一緒にお読みしたいと思います。「 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。 死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。 つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」

・「復活」ギリシア語エゲイローの過去受動態3人称単数形エーゲルセーは、「神によってイエスは起こされた」です。神の手でイエスは復活させられた。「死んだ人間を復活させるという神の意志が最初からあり、神がキリストを復活させて生かしておられる。」という神の意志と行為を強調しています。そして、キリストの復活は初穂だと言われています。キリストが復活したように弟子たちも復活し、生かされていきます。わたしたちも同じように復活し、生かされることになるのです。

‐マタイ28:18~20「イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。    だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

・イエスは、近寄って、…わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。イエスを裏切った弟子たち・イエスを知らないと3度も言ったペトロ、十字架の時に逃げた弟子たち、復活を疑う弟子に、自ら近寄って、世の終わりまであなたがたと共にいる。との呼びかけに、欠けのある、足りない者である弟子達も、生かされ、復活されたのです。この復活のキリスト自身が「いつもあなたがたと共にいる。」とわたしたちにも語ってくださる恵みを皆様と共に感謝します。

 

 

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