江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年12月22日説教(マタイ2:13-23、クリスマスの日に起こった出来事)

投稿日:2024年12月21日 更新日:

 

1.御子の降誕をエルサレムの人々は喜ばなかった

 

・クリスマス礼拝の時を迎えました。今日読みますマタイ2章は、前半でイエスがお生まれになった時、東方から三人の占星術の学者たちが星に導かれて幼子イエスを礼拝したと記します「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。その時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来た」(2:1)。当時は占星術が盛んで、人々は天体の異変を見て自分たちの未来を知ろうとしました。マタイは、東方の占星術師たちが「メシアの星」を見て、「パレスチナに世界を救う王が生まれた」と示されて、その星を追ってユダヤに来たと記します。

・占星術の学者たちはエルサレムの王宮を訪ねます。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(2:2)。「ユダヤ人の王」という占星術師たちの言葉は、ヘロデ王を不安にしました(2:3)。ヘロデはイドマヤ出身の異邦人で、ローマ軍の後押しを受けてユダヤ王になりましたが、残酷な人で、民衆の支持はありませんでした。このようなヘロデですから、占星術師たちの言葉に自分の王位を脅かす者の出現を予感し、不安になったのです。

・彼は「メシアは何処に生まれるのか」と祭司長たちに質しました。祭司長たちはミカ書5章2節の預言から、「それはベツレヘムである」と答えます(2:3)。祭司長たちは「メシアがベツレヘムで生まれる」との預言を確認し、今また「メシアが生まれた」との報告を聞いても、誰も拝みには行こうとはしません。現状に満足する人々にとって、新しい世を招く神の子の出現は不安をもたらすのです。「御子の誕生をエルサレムの人々は喜ばなかった」、これは大事な視点です。エルサレムは「エル=神、サレム=平和」という意味ですが、本当の姿は「争いの町」、イエスを十字架にかけた場所なのです。エルサレムは紀元70年ローマによって滅ぼされます。

・占星術師たちはベツレヘムを目指してエルサレムを出発します。東方でみた星が先立って進み、彼等はイエスとその両親が住む家に導かれ、幼な子を拝し、黄金・乳香・没薬を献げたとマタイは記します(2:11-12)。その後、「ヘロデのもとに帰るな」という啓示を受け、別な道を通って故国に帰って行きました。他方、御使いはイエスの父ヨセフに現れ、「ヘロデが命を狙っているのでエジプトに逃げなさい」と指示し、ヨセフはマリアと幼子イエスを連れてエジプトに逃れたとマタイは記します(2:13)。マタイは2章後半では、ヘロデがベツレヘムに軍隊を派遣し、2歳以下の男子を全て殺し、ベツレヘムには子が殺されたことを嘆く母親の泣き声が響いたと記します。


2.ベツレヘムの虐殺とイエスのエジプト退避

 

・「ユダヤ人の王が生まれた」、この知らせは地上の王であるヘロデに不安をもたらしました。ヘロデはユダヤ人ではなく外国人であり、王としての支持基盤は弱かった。彼は自分を脅かす者が生まれたとの知らせに、猜疑心を強め、王位を守るために新しく生まれた王を殺そうとします。彼は兵士に命令を出し、ベツレヘムとその一帯の2歳以下の男の子たちをすべて殺させ、子供たちを殺された母親の嘆きの声がベツレヘムにとどろいたとマタイは記します「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから」(マタイ2:18)。

・ベツレヘムで殺された幼子たちの家族は、何が起きたのか、何故こんなことをされねばならないのか、わからなかったでしょう。彼らは救い主が生まれた事も、そのことに危惧を感じたヘロデが、可能性のあるすべての幼子を殺そうとしたことも知りません。何も知らないうちに、家族は突然に悲しみのどん底に突き落とされてしまった。彼らは思ったでしょう「神は何をしておられるのか」、「神は何故このようなことを許されるのか」。

・マタイは「生まれたばかりのイエスは父ヨセフに連れられてエジプトに逃れられた。クリスマスとは、生まれたばかりのイエスが、ヘロデにより命を狙われて避難され、ベツレヘムに残った他の子供たちは無残にも殺されていった出来事だ」と語ります。夢でヘロデの陰謀を知らされたヨセフは直ちに、幼子とその母を連れて、エジプトに逃れ、ヘロデが死ぬまでそこにいたとマタイは記します。イエスが生まれられたのは紀元前6年、ヘロデが死んだのは紀元前4年ですから、イエスは2年間エジプトに滞在されたことになります。その間にどのようなことがあったのか、聖書は何も語りません。異邦の土地での難民生活は楽ではなかったでしょう。今も、この地球上には数千万人の難民がいます。彼らの暮らしが楽でないように、イエス一家のエジプトでの暮らしも苦労の連続であったであろうと思われます。

 

3.クリスマスの意味を考える

 

・マタイは、「クリスマスとは、生まれたばかりのイエスが、ヘロデにより命を狙われて異国に避難され、ベツレヘムに残った子供たちは無残にも殺されていった出来事だ」と語ります。マタイのクリスマス物語にはお祝いや喜びはありません。何故でしょうか。それを考えるために、今日の招詞にヨハネ1:11-12を選びました。次のような言葉です「ことばは、自分の民のところへ来たが、民は受入れなかった。しかし、ことばは、自分を受入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」。神の民となるべく養育されてきたユダヤ人はイエスを拒絶し、他方、異邦人はイエスを受け入れ、その結果救いが全人類に及ぶようになったとのヨハネは書きます。マタイが福音書2章で述べている事柄をヨハネは別の視点から告白しています。

・私たちは20世紀を終えて、21世紀に生きています。20世紀は「科学と技術の世紀」と言われ、科学技術の進歩により人間の寿命は延び、人口は増え、経済的には豊かになりました。しかし私たちは幸福にはなっていません。何故ならば、科学技術の進歩は他方で大量殺戮兵器を生み出し、この兵器を用いて人間は殺し合いの規模を拡大させていったからです。20世紀は「戦争と殺戮の世紀」とも呼ばれましたが、21世紀になってからも戦争が繰り返されています。

・二度の世界大戦を経験し、多くの死者を見たのにもかかわらず、現在も争いは繰り返され、毎日多く人が亡くなっています。シリアやレバノン、パレスチナでは、テロとの戦いの枠を超え、白人とアラブ人、キリスト教徒とイスラム教徒の争いが絶えません。またシリアでは同じイスラム教でも宗派が異なる者同士で殺し合いをしました。戦争の多くは民族紛争です。人間は民族や宗派の壁を乗り越えることが出来ない、それは人間が民族を超える神を受入れることを拒否したからだと聖書は言います「ことばは、自分の民のところへ来たが、民は受入れなかった」。

・しかし少数の人は神を受入れました。そして「ことばは、自分を受入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」。自分を超えるもの、民族を超える神を見出した時、人は初めて自分と異なる者を受入れることが出来ます。人が自分の思いから解放されない限り、人は他者を受入れることが出来ません。どうすれば自己から解放されるのか、キリストは私のために死んで下さいましたが、同時に私たちが争う他者のためにも死んで下さった。そのことを知る時、初めて他者との和解が可能になります。

・人間の心に中に闇があります。しかし同時に人間は「神の似姿」として造られています。ヴィクトール・フランクルは「アウシュヴィッ」の強制収容所での過酷な体験を「夜と霧」の中に書いていますが、その中で、収容所の極限状況の中で、自分のパンを隣人に分け与え、絶望する人に励ましの笑顔を見せ、餓死という刑罰さえも代わることが出来る人(コルベ神父)がいたことを証言しています。私たちには、神の形、愛の形に従って、絶滅収容所の中でさえ、幸せな道を選び取ることもできるのです。イエスの出来事が私たちの出来事になって行く時、変化が起こります。エペソ書は語ります「私たちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである」(エペソ2:10)。

 

4.クリスマスに祈る

 

・クリスマスは喜びの祭典ではなく、悲しみの時です。その悲しみが、神を信じる人々の信仰により、喜びの時となりえます。私たちの明日は、神の御手の中にあります。その神は私たちを愛し、「共にいる(インマヌエル)」と言って下さるのですから、私たちは安んじて自らの明日を神にお委ねする。だから私たちはもう自分のことを祈る必要はなくなった。だから次のように祈ります「主よ、私を平和の器とならせてください。慰められるよりも慰める者としてください。理解されるよりも理解する者に、愛されるよりも愛する者に。それは、私たちが、自ら与えることによって受け、許すことによって赦され、自分の体を捧げて死ぬことによって、永久の命を得ることができるからです」。アッシジの聖フランシスの祈りです。

・このフランシスの祈りが一人の女性の生涯を変えました。マザーテレサです。本名アグネス・ゴンジャ・ホヤジュは、1910年オスマン帝国コソボ州で生まれましたが、父親はアルバニア独立運動の中で、マザー9歳の時に殺されます。マザーは救いを求めて教会に通い続け、聖フランシスの生涯を描いた本に出合い、その祈りに感動します「主よ、私を平和の器とならせてください。憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに赦しを」。マザーはフランシスのように生きたいと願い、修道女になってインドに行くことを決意します。1928年18歳の時、マザーはインド北部コルカタ(カルカッタ)の修道院に配属され、修道院付属の女学校で教師となります。マザーがインドに来て18年目、1946年にコルカタ大暴動が起こります。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒との対立が激化し、お互いに殺し合う光景をマザーは目にしました「通りに転がっている沢山の死体。ある者は突き刺され、ある者は殴り殺され、乾いた血の海の中に考えられないような姿勢で横たわっていた」。戦争の度に繰り返される光景です。今、ガザやシリアがこのような状態にあります。

・日本基督教団下落合教会の有住航牧師は、パレスチナのベツレヘムの福音ルーテル教会の牧師のクリスマスメッセージを紹介します「もしイエスが今日生まれたら、がれきの下のガザで生まれるだろう。その赤ん坊は爆撃の中で寝かされ、イスラエル軍の包囲のために、羊飼いも東方の博士たちも、イエスの誕生を祝うためにやってくることはできないでしょう。今日生まれるガザの子供たちの中に、ローマ帝国の占領軍とその同盟国イスラエルのヘロデ王の圧政の中で生まれた、あの日のイエスがいるのだと思います」(2024年12月冨坂便り巻頭言から)。私たちは信じるメシアとはこのような方なのです。

・今の自分に何ができるのか、マザーは修道女となった時の志を自らに問い直します「主よ、私を平和の道具としてください」。1948年マザーは修道院を出て、路傍で死ぬ人々を「死を待つ人の家」に運び込み、最後の看取りをします。彼女は語ります「私は彼女の病気を救いたいのではありません。彼女が最後を迎える時に“自分は愛された。大切にされた”という思いで天国に帰ってもらいたいのです」。

・主の祈りは「私たちの祈り」です。戦乱を逃れて難民になった人々が日本に逃れてきても、私たちの国は彼らを受け入れません。しかし少数の教会は難民救済のための活動を行っています。コロナ禍で職を失い、路頭に迷う人がいて、十分に食べられない子供たちや学費が払えなくて退学している学生たちがいます。複数の教会は子供食堂を開いて定期的に子供たちの食の援助をしています。私たちの教会は献金の一部で食料品を購入し、毎月フードバンクに届けています。ヘンリ・ナウエンは語ります「平和を造る者とならずにキリスト者でいることは誰にもできない。この世界で生き続けるためにどうすれば良いだろうか、答えはシンプルだ、共に生きるのだ」(ヘンリ・ナウエン・平和の種を蒔く)。「君にしかできないことがあるのだ。誰かが君の手を必要としているのだ」(神谷美恵子)という神の声を聴き、「私をあなたの平和の道具としてお使いください」と決意した時、この社会にクリスマスが来るのです。

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