江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年2月5日説教(ルカ19:41-48、信教の自由の日を覚えて)

投稿日:2023年2月4日 更新日:

 

1.信教の自由の日を覚える

 

・2月11日をキリスト教会では「信教の自由を守る日」として覚えます。国の法律で定められた「建国記念の日」という呼称は、戦前の紀元節の復活であり、戦時中に天皇を神と崇めることを強制され、激しい宗教弾圧が起こったことへの戒めとして、キリスト教会はこの日を「建国記念の日」ではなく、「信教の自由を守る日」にしました。戦前の紀元節とは、日本書紀で最初の天皇とされている「神武天皇」即位の日(紀元前660年2月11日)という神道神話に由来する日であり、天皇が執り行う宮中祭儀と密接に結びついていました。戦前の紀元節では、学校では校長が御真影と日の丸の下で教育勅語を朗読し、君が代を斉唱し、神国日本が祝われた日でした。戦後、国家神道は解体され、紀元節は廃止されましたが、次第に戦前回帰の動きが始まり、1966 年には佐藤栄作内閣の下で、旧「紀元節」が「建国記念の日」と制定されました。その後、靖国神社法案が提出され、元号法が制定、総理大臣の靖国神社公式参拝、君が代・日の丸強制等々の戦前回帰の動きが次々に出てきました。キリスト教会は戦前の軍国主義、世界侵略への反省の意味をこめて、2月11日を「建国記念の日」ではなく、「信教の自由を守る日」として今日に至っています。

・聖書教育はこの日を見据えて、2月第一主日にルカ19:41-44を読むようにプログラム化しています。この個所はエルサレムに入られたイエスがやがて来るユダヤ滅亡を嘆いて泣かれた箇所です。ルカは記します「エルサレムに近づき、都を一望した時、イエスはそのために泣いて、言われた。『もし、この日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・しかし、今はお前には見えない』(ルカ19:41-42)。その後、イエスはエルサレム滅亡を預言されます。「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいる子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」(ルカ19:43-44)。

・エルサレム滅亡はイエスの死から40年後に起きました。紀元66年、時のローマ総督が神殿から金を強奪したのを知ったユダヤ人は武力で立ち上がり、ユダヤ戦争が始まりました。当初はユダヤ人側が優勢だったのですが、次第に劣勢となり、70年にエルサレムは、三つの塔と西側の城壁(嘆きの壁)だけを残して破壊され、百万人以上の犠牲者が出ます。その後ユダヤ人は国から追放され、離散の民となります。預言通りのことが起きたのです。ルカ福音書にはもう一カ所、エルサレム滅亡の預言があります。「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近いことを悟りなさい。その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都に中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである・・・人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国へ連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」(ルカ21:20-24)。エルサレム滅亡を目撃したルカの記述です(ルカ福音書が書かれたのはエルサレム滅亡後の紀元80年頃)。

・歴史家ヨセフスのユダヤ戦記では、「ユダヤ人たちは、神が自分たちを救うために介入されると狂信的に期待し、神殿に立てこもり、最後までローマに抵抗し、そのために100万人以上が殺され、10万人が捕虜となった」とあります。ローマ軍がエルサレムを包囲した時、多くのユダヤ人たちはエルサレムが陥落するはずがないと思っていたようです。エルサレムは三方を谷に囲まれた天然の要害となっており、それ以上にエルサレムは神の都であり、神が介入して救ってくださると彼らは信じていました。しかしエルサレムをローマ軍が包囲して、長期の籠城戦になり、城内では食べ物はなくなり、自分の子を殺してその肉を食べるという悲劇さえ生まれたと言われています。終末としか思えない悲劇が起きたのです。エルサレムにいたキリスト者たちはイエスの預言を受けて、戦乱の都を逃れ、ヨルダン川東岸のペラに逃れ、滅亡をまぬかれました。「エルサレムは崩壊する」とのイエスの預言を聞き、民族滅亡の迫る中で、卑怯者、裏切り者と同胞に罵られながらエルサレムを去ったキリスト者たちによって、福音は守られ、保持されたのです。

 

  1. 異教世界の中でどう生きるか

 

・ユダヤ戦争は異教徒ローマの支配に抵抗して起こされた戦争です。その後、教会はどのような道を歩むのでしょうか。紀元70年、ユダヤはローマとの戦いに敗れ、エルサレムは占領され、多くのユダヤ人たちが難民として小アジアと呼ばれる地域に逃れていきます。その中にはキリスト教徒たちもいて、紀元90年頃にはエペソを中心とする小アジアがキリスト教信仰の中心地になっていきました。しかし、当時のローマ帝国当局者は急速に広がってきたキリスト教に対して懐疑的でした。キリスト教徒たちはローマの神々を拝もうとせず、また皇帝ドミティアヌスの時代には皇帝を神として拝むことを拒否し、その結果、キリスト教徒たちは非国民、不敬者たちとして迫害を受けるようになります。その中で書かれたのがヨハネ黙示録です(紀元95年頃、エフェソからアジア州の諸教会に宛てて書かれた書簡)。当時のローマ皇帝ドミティアヌスは自分の像を帝国内の各地に立てさせ、それを神として拝むように求めました。キリスト者たちは、「神以外のものを拝まない」として、皇帝礼拝を拒否し、迫害を受けました。その迫害の中にある信仰者たちに、ヨハネは、「ローマ帝国はサタンの化身であり、神はしばらくサタンが暴れるのを赦しておられるが、時が来ればサタンを滅ぼされる」と預言します。ヨハネ黙示録は時の支配者ローマ帝国の滅亡を預言しています。

・迫害の中にあったアジア州の教会の中で、スミルナ教会は多くの逮捕者を出しました。ヨハネはその教会に語ります「受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている・・・死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」(2:10)。他方、ラオディキア教会は迫害を受けていません「私はあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない・・・冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、私はあなたを口から吐き出そうとしている」(3:15-16)と語られます。

・何故、ある教会は迫害に苦しみ、別の教会は迫害を受けないのでしょうか。それは信仰的妥協をすれば、迫害は生じないからです。明治の信仰者内村鑑三は、第一高等中学校の教師でしたが、教育勅語発布式の時、勅語に対する頭の下げ方が足りないとして、天皇に対する不敬を責められ、教職を追われました。彼は教育勅語よりも大事なものに忠誠を尽しました。国立市の小学校の音楽教師、佐藤美和子さんは学校の式典で君が代の伴奏を拒否したため、処罰されました。佐藤さんの父と祖父は牧師であり、二人から、日の丸の旗と君が代の歌の下に日本が犯した数々の罪を教えられていましたので、国旗に頭を下げ、君が代を伴奏することが出来なかったのです。世の人は、「日本人であれば国旗や国歌に敬意を払うのは当然ではないか」と批判しますが、佐藤さんは日本人である前に、自分はキリスト者だと拒否したのです。

・教会はこのような政治的な課題にどのように関わるべきなのでしょうか。バプテスト連盟では歴代首相が年頭に伊勢神宮に参拝することを、憲法20条「信教の自由」を侵すものとして、抗議声明を出しています。また安保関連法案については憲法違反として反対し、将来予想される憲法改正にも、反対運動を行っています。私たちはこのような運動に参加すべきなのでしょうか。私個人は「個人で参加するのは自由だが、教会としては参加しない」という立場をとります。しかしこのような選択肢が許されない状況、「神か皇帝か」、「キリストか天皇か」との二者択一が迫られ、信仰そのものが問われる事態になれば、話は別です。ヨハネの時代は教会と国家の緊張が極限まで達し、皇帝礼拝が強制され、拝まない者は処罰されていました。ヨハネ自身も、パトモス島に流刑されています。そのパトモス島で見た幻を記述したものがヨハネ黙示録です。

 

3.信仰の自由とは何か

 

・今日の招詞にヨハネ黙示録3:20を選びました。次のような言葉です「見よ、私は戸口に立って、たたいている。誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう」。ヨハネがラオディキア教会に宛てた手紙の一部です。町は商業都市として栄え、豊かさを誇りましたが、豊かさの中で、人々の信仰は自己満足的な、生ぬるいものに堕していきました。そのような教会に厳しいイエスの言葉が臨みます「私はあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、私はあなたを口から吐き出そうとしている」(3:15-16)。無関心と不徹底な信仰生活を送る教会の信徒に対して、キリストは「私はあなたを口から吐き出そうとしている」と言われているのです。

・これは現代の私たちへの警告の言葉です。私たちも「熱くも冷たくもなく、なまぬるく」なっているのではないか。原誠という同志社の先生が、「戦時下の教会の伝道-教勢と入信者」という論文をまとめました(2002年3月)。それによれば1942年の日本基督教団全教会の受洗者は年5,929名でした。戦時下、国家による宗教統制は激しさを増し、ホーリネス教団や救世軍などに対する弾圧が起こり、国家がキリスト教を「敵性宗教」として疑心の目で見ていた時です。その時に6千名近い洗礼者がありました。戦後、信教の自由が保証され、自由に教会に行くことが出来るようになった1998 年の受洗者は1900名でした。受洗者数は三分の一以下に低下しています。

・戦時下の日本の教会は、社会からの「迫害と敵視」の中にあり、ヨハネ黙示録の教会と似た状況にありました。しかしその中で年間6千名の洗礼者を生み出し、平和な時代になると洗礼者は三分の一以下になった。何故でしょうか。ヨハネは迫害下のスミルナ教会への手紙の中で、「私はあなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当は、あなたは豊かなのだ」(2:9)と賞賛します。他方、ラオデキィア教会には「あなたは、私は金持ちだ。満ち足りている・・・と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない」(3:17)と批判しています。「目覚めている」ことが大事なのです。ヨハネの教会や戦時下の日本教会は迫害の中で目覚めざるを得なかった。そのことが伝道になった。

・この緊張感を現代の私たちも持つ必要があります。現代の教会は悪の蔓延にいつの間にか捕らえられています。世の中で進行しているのは、経済格差の拡大であり、地方都市の疲弊です。多くの人々が苦しみの中にある時、「私は金持ちだ。満ち足りている」として自分のことだけに拘れば、教会は貧しくなります。他者に与えない者には神も恵みを与えてはくれないからです。その私たちに黙示録のイエスは呼びかけます。「目を覚ませ」(3:1)、「見よ、私は戸口に立って、たたいている」(3:20)。放射能に汚染された福島の村々では住民の完全帰還は10年後の今日でも難しく、人々は「どうしたら良いのか」と思いあぐねています。母子世帯の平均年収は243万円で、父子世帯(420万円)の半額です。正社員になれず、パート・アルバイト等の非正規雇用で働く人が多いからです。「目を覚ましてやるべきことを行う」、「教会に何ができるかを追い求めていく」必要があります。教会批判の文書を読みますと、「日本の多くの教会は貧しい信徒を物質的に助けようともしない」、「悩める人に慈悲の心で寄り添うことをしない」等々の批判があります。国際基督教大学の魯恩碩(ロ・ウンソク)先生は語ります「この世界は不条理と理不尽に満ちている。しかし、私たちには「なぜ」と問う力がある」(「この理不尽な世界でなぜと問う」)。この「何故」と問う故に、あえて「建国記念日」を祝日として休まず、「信教の自由を守る日」として、私たちは集会や礼拝を持つのです。

-

Copyright© 日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.