1.バビロンからの帰還
・イザヤ書を読み続けています。イザヤ書は66章ありますが、40章から55章はバビロン捕囚からの解放を歌う第二イザヤと呼ばれる預言書です。第二イザヤという人はエルサレムのイザヤ(紀元前700年頃)の流れを汲み、ただ名前がわからないため、第二イザヤと呼ばれます。紀元前587年、イスラエルはバビロニア帝国によって国を滅ぼされ、首都エルサレムは破壊され、主だった住民は捕虜としてバビロンに連れて行かれました。日本が1945年に戦争に負けた時、アメリカではなくソ連が日本を占領し、主だった人々を捕虜としてシベリアに連行し、強制労働に従事させたとすれば、このバビロン捕囚と似た状況が日本にも起こったでしょう。1945年の敗戦時にソ連は北海道の占領を意図し(アメリカの反対により挫折)、その代わりに満州にいた関東軍兵士数十万人がシベリア抑留されました。あり得ないことではなかった。その意味でバビロン捕囚は他人ごとではない出来事なのです。
・国を滅ぼされ、信仰の中心であったエルサレム神殿が破壊された時、イスラエルの民は、神は自分たちを見捨てられたと思い、絶望の中でバビロンに連れていかれたことでしょう。それから50年の時が過ぎました。苦しかった時期もありましたが、今では、バビロンでの生活も落ち着き、子や孫も生まれ、それなりの安定した生活を送っていました。捕囚は50年以上にわたって続きました。そのような時、思いもかけない出来事が起こりました。イスラエルを捕囚にしたバビロニア帝国が新興のペルシャ帝国に敗れ、滅んだのです。捕囚になっていたイスラエルの人々は、もうバビロンに留まる必要はなく、帰国したい者は帰国出来ることになりました。その時、一人の預言者が現れ、民に語ります「主はペルシャ王キュロスを用いて、私たちをバビロンの縄目から解放して下さった。さあ、故国に戻ろう」。民の反応はまちまちでした。ある者は「いまさら廃墟のエルサレムに戻るつもりはない」と言い、別の者は「ここでの安定した生活を捨てるつもりはない」と断わりました。
・そのような民に主の言葉が語られました「私に聞け、正しさを求める人、主を尋ね求める人よ。あなたたちが切り出されてきた元の岩、掘り出された岩穴に目を注げ。あなたたちの父アブラハム、あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。私は一人であった彼を呼び、彼を祝福して子孫を増やした」(51:1-2)。バビロンはあなたたちの永住の地ではない。エルサレムこそ、神が約束された地、父祖アブラハムとサラの生きた地ではないか。神はアブラハムを祝福し、星の数ほどに子孫を恵まれた。私たちがエルサレムに戻れば、神は同じ祝福を私たちに下さる。預言者は歌います「主はシオンを慰め、そのすべての廃虚を慰め、荒れ野をエデンの園とし、荒れ地を主の園とされる。そこには喜びと楽しみ、感謝の歌声が響く」(51:3)。今、祖国エルサレムは廃墟となっているが、主は荒れ果てたエルサレムをエデンの園に変えると約束されている。主の約束を信じて、共に帰ろうと。
・預言者は続けます「私の民よ、心して私に聞け。私の国よ、私に耳を向けよ。教えは私のもとから出る。私は瞬く間に、私の裁きをすべての人の光として輝かす。私の正義は近く、私の救いは現れ、私の腕は諸国の民を裁く。島々は私に望みをおき、私の腕を待ち望む」(51:4-5)。今、このバビロンの地で安楽な生活があるとしても、そのようなものはやがて終わる。滅びる現在の生活ではなく、滅びないものを求めてバビロンを出よう。永遠なるものは主の救いの業しかないのだ。しかし、この預言者の声は嘲りとののしりを招きました。多くの人々は預言者に従おうとせず、バビロンに残留する事を望み、祖国に帰ろうとする者たちを迫害し始めます(51:7-8「私に聞け、正しさを知り、私の教えを心におく民よ。人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな。彼らはしみに食われる衣、虫に食い尽くされる羊毛にすぎない。私の恵みの業はとこしえに続き、私の救いは代々に永らえる」)。これは私たちにも理解出来る状況です。捕囚から50年もたっています。戦前、日本から多くの人々が新しい生活を求めて、ハワイやブラジルに移住しました。当初は苦しかったでしょうが、苦労が報われ、土地も手に入れ、子や孫も増え、現地に生活基盤も出来た。その時、誰かが「共に祖国に帰ろう。祖国は私たちを必要としている」と叫んでも誰も従わないでしょう。50年とはそのような長い年月なのです。
2.現在よりも未来を
・預言者は語り続けます。「何故、現在の生活の安定をそのように大事にするのか。あなたたちは主の業を行うよう、召され、選ばれた民ではないか」(51:9)。その主が今、「バビロンを出て祖国に帰れ、そこに新しい国を建設せよ」と命じておられる(51:11-12)。主に依り頼め。バビロンは滅びた。征服者ペルシャもやがて滅びるだろう。そのような滅ぶべき者、草にも等しい人の子を何故あなたがたは恐れるのか。「恐るべきは主のみではないか」と預言者は叫びます(51:13-16)。
・バビロンからの解放というと、私たちはすべての捕囚民が喜んで従ったと思いがちですが、実際は違いました。人々は現在の生活の安定を捨ててまで、廃墟のエルサレムに戻り、新しい生活を始めたいとは思わなかったのです。状況は現代でも同じです。多くの人々は現在の生活に満足し、福音を聞いても、教会に来ようとはしません。現在に満足し、教会に来る必要を認めないからです。しかし、現在の生活の安定がいかにもろい基盤の上に立っているのかを私たちは知っています。働いていた会社が倒産した、給料が減って住宅ローンが支払えない、信頼していた夫が浮気した、子どもが引きこもった、親が認知症になった。何かが起これば、私たちの現在の安定は崩れてしまいます。イザヤが語るように「天に向かって目を上げ、下に広がる地を見渡せ。天が煙のように消え、地が衣のように朽ち、地に住む者もまた、ぶよのように死に果てる」(イザヤ51:6)のが、私たちの隠された現実の姿なのです。未来の不確定さを見よと預言者は語ります。毎日誰かの上に起きている出来事が私たちの周りに起こると、それだけで安定した生活基盤は崩れるではないか。私たちは薄い舟板一枚の上に立って、闇の海をさまよっているのではないか。私たちは闇の中を手探りしながら生きている存在であることを認めよ、神が共にいまさない限り、そこに真の平安はないと預言者は語ります。
3.キリストを迎える
・今日の招詞にイザヤ53:4-5を選びました。「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちは癒された」。主なる神はバビロンに捕囚となっていた民をエルサレムに連れ帰るために、一人の指導者を立てられました。「主の僕」と呼ばれる人です。彼はバビロンでの生活に満足し、祖国エルサレムに戻ろうとしない人々を説得し、故郷に連れ帰りました。しかし、その過程で、多くの嘲りと迫害を受けました。イザヤ50:5-6はその時のことを語ります「主なる神は私の耳を開かれた。私は逆らわず、退かなかった。打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた」。
・バビロンから帰国した人たちが体験したのは失望の日々でした。エルサレムは、以前として廃墟のままであり、土地はいつの間にか他人のものになっており、かつて住んでいた家も今は他の人が住んでいます。エルサレムに残った人々は、帰国民に言います「何故帰ってきたのだ、迷惑だ」。元々帰りたくなかった帰還の民は主の僕に言い募ります。「約束が違うではないか。どこにエデンの園があるのだ。ここには私たちの住む家も、耕すべき畑もないではないか」。民衆からの突き上げの中で、主の僕は重い病にかかり、失意の内に死んだとされています。その僕の死を歌った歌がイザヤ53章です。
・キリストが十字架で死なれた時、従っていた弟子たちは絶望に包まれました「この人こそ、神の子、救い主と思っていたのに、違った。この人は無力にも、磔にされて死なれた。この人は救い主ではなかった」。その弟子たちがやがて復活のイエスに出会い「この方こそ神の子キリスト」と信じるようになります。しかし神の子が何故十字架で死ななければいけなかったのか、彼らには理解できませんでした。彼らはその答えをイザヤ53章に見出しました。「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであった・・・彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちは癒された」。キリストが私たちのために死んで下さったことにより、私たちは神と和解し、神の平安に生かされる者となったことを民は知ったのです。
・サイモンとガーファンクルが歌った「明日に架ける橋」という歌があります。1970年に発表され、千百万枚のレコード売り上げを記録しています。発表当時のアメリカは、ベトナム戦争と公民権運動による混迷の中にありました。ゴスペルにヒントを得て作られたこの歌は、荘厳な調べと鮮烈な歌詞によって、現状を糾弾するメッセージソングとして爆発的なヒットを呼びました。こういう歌詞です「あなたが疲れてどうしようも無くなった時、涙があふれて止まらない時、私がその涙をぬぐおう。私はあなたの側にいる。つらい時、友があなたを見捨てて誰もいなくなった時、私は自分の身を投げて、この荒海の上に橋を架けよう」。二番が続きます「君が落ちぶれて路上をさまよい、厳しい夜がやってきても、僕が慰めてあげる。君の支えになるよ、暗闇がやってきて、苦痛に満ちている時も、荒海にかかる橋のように、僕がこの身を捧げよう」。
・この歌はその後に多くの歌手によってカバーされ、黒人女性歌手アレサ・フランクリンが歌った歌は、人種隔離政策が続いていた70年代後半の南アフリカで爆発的に迎えられました。「僕が体を横たえるから、荒れた海にかかる橋のように」という歌詞に共感した黒人居住区の人々が、教会の賛美歌として歌い始めたのです。そして作曲者のポール・サイモンは南アフリカに渡ってコンサートを開き、反アパルトヘイト運動の原動力となったとされています。また、9.11に起こった同時多発テロの時には、ポール・サイモン自らが犠牲者追悼のために歌ったことが引き金となり、再び全米で大ヒットとなりました。この歌は、世界を駆け巡り、戦争や人種差別への抗議の象徴となり、教会での“賛美歌”にまでなったのです。
・「明日に架ける橋」、原語では「Bridge over troubled water」、明日ではなく、荒海に架ける橋の意味です。新約聖書のヨハネ黙示録にヒントを受けた作詞です。ヨハネは来るべき神の国を夢見ました「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(ヨハネ黙示録21:3-4)。キリストが全ての人の贖いとして自分の身を投げて下さった、神の側から私たちの方に橋を架けて下さった。だから私たちもこの荒海に、怒りと悲しみが分断してしまったこの海に橋を架けようとうたい。人は自分を殺そうとする者のために祈ることは出来ません。しかし、教会は出来ます。何故ならば、キリストが私たちのために死んで下さった、そのことによって現在を生かされていることを知るからです。生かされていることを知る者は使命を持ちます。分断された荒海に、身を投げて橋を架けることです。キリストが神と私たちの間の仲介者になってくださったから、私たちも人と人との争いの仲介者になるのだとポール・サイモンは歌っています。
・エルサレムに帰還した民は、やがて神殿再建に取り組み、エルサレムは徐々に往時の繁栄を取り戻していきました。その時、人々は自分たちを導いて、エルサレムまで連れ帰ってくれた「主の僕」を思い起こし、彼が自分の命と引き換えに自分たちをエルサレムまで連れ帰ってくれた事を感謝するようになっていきます。聖書は私たちに約束します「信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ16:16)。この言葉の真実は、私たちが現在の生活を崩され、自分たちがどのような闇の中に暮らしていたかがわかり、その闇から神が私たちを救い出して下さったことがわかった時に、初めて理解できます。キリスト者は強い。職をなくしても、家を失っても、子どもが非行に走っても動じない。主が私たちを生かし、導いて下さる事を信じるからです。「信じてバプテスマを受ける者は救われる」、この事を私たちは真心から証しし、その通りですと宣言します。