江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年11月12日説教(イザヤ49:1-9、恵みの時・救いの時)

投稿日:2023年11月11日 更新日:

 

1.主の僕の歌(第二の歌)

 

・旧約聖書からイザヤ書を読み続けています。イザヤ書は預言書です。預言とは、神が預言者を通して、特定の時に、特定の人々に語られた言葉です。後代の人々は、それを自分たちの置かれた状況の中で再解釈し、自分たちに語られた言葉として聞きます。私たちも、イスラエルが裁かれ、捕囚となり、やがて解放されていく様を、私たちの個人個人の歴史と重ね合わせながら、聞いていきます。今日はイザヤ49章から言葉を聞きます。

・イスラエルは前587年バビロニヤ軍に首都エルサレムを占領され、国は滅び、民は捕囚としてバビロンに連れて行かれました。それから50年の時が経ち、バビロニヤ帝国はペルシャに征服されて滅び、イスラエルの民は故郷に帰還します。帰還の指導者として、主の僕が立てられ、彼は歌います「海沿いの国々よ、私に聞け。遠いところのもろもろの民よ、耳を傾けよ」(イザヤ49:1)。私たちは今から、故郷のエルサレムに戻る。主は私たちをご自分の民として選ばれた。主はかって言われた「(私が)あなたがたを愛し、あなたがたを選んだのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった」(申命記7:7)。私たちはこの捕囚の出来事を通してその意味を知った。私たちの国イスラエルは小さな弱い国であり、バビロニヤやエジプトという世界帝国の狭間の中で生きてきた。私たちの国がバビロニヤに滅ぼされた時、私たちは思った「私たちの神がバビロニヤの神に打ち負かされたのではないか」と。しかし、主はバビロニヤを滅ぼし、私たちを解放されることにより、世界を支配される神であることを示された。今では、新しい支配者ペルシャが立ち、彼らは強大な剣と矢で国々を制圧している。彼等もまた、神の器としての役割を持つであろう。しかし、私たちにはそれに勝る武器、主の言葉が与えられている。「主は我が口を鋭利な剣とし、研ぎ澄ました矢とされた」(イザヤ49:2)のだ。「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る」(詩篇20:7)。

・私たちは主の言葉により頼んで国を再建する。そして主なる神は私たちを祝福される「あなたはわが僕、わが栄光をあらわすべきイスラエルである」(49:3)と言ってくださる。捕囚は50年もの長きにわたった。私たちは何度も思った「主は私を捨て、主は私を忘れられた」(49:14)のではないかと。また思った「私はいたずらに働き、益なく、むなしく力を費やした」(49:4)のではないかと。私たちも人生の中でいろいろな挫折を経験する時、疑う時があります「私はいたずらに働き、益なく、空しく力を費やしたのではないか」と。

 

2.捕囚は特殊な体験ではない。

 

・私たちは2500年前に起こったバビロン捕囚の出来事を聖書から聞いていますが、この捕囚は私たちに無縁の出来事ではありません。日本では、終戦時、70万人の人々がソビエトによってシベリヤに抑留されて苦しみました。現代のバビロン捕囚です。その中には、満州開拓移民だった人も多く含まれています。井出孫六「残留孤児―その歴史と現在」という本があります。満州開拓移民の戦後を取り扱った本です。戦前、開拓移民として大陸に渡った人々は27万人いますが、多くの人たちは敗戦とそれに続く混乱の中で死にました。井出孫六氏は長野県の出身ですが、開拓移民の出身者は長野県が圧倒的に多いことからこの問題に関心を持つようになりました。調べているうちに「長野県満州開拓史」という資料に出会います。その中には長野県が送り出した33千人の名簿があり、いろいろの家族の消息が載っています。

・その中に宮本賢平さん一家がいます。宮本さん一家は昭和15年12月に一家6人(夫婦、父、3人の子)で満州にわたり、ソ連国境に近い村で開拓を始めました。同行した父親は慣れない異国の地で病死しました。しかし、新しい子も与えられ、生活はそれなりに安定します。戦争は敗色が強くなり、賢平さんは昭和20年現地で軍隊に招集され二ヶ月で敗戦、捕虜として捕えられ、収容所を経て、日本に帰国します。1年後の昭和21年夏、宮本賢平さんは故郷の長野に帰って来ましたが、郷里で彼を待っていたのは、一家全滅の知らせでした。妻と二人の子供は敗戦時に開拓地で殺されていました。知らせを告げられた時、宮本さんは思ったのではないでしょうか「私はいたずらに働き、益なく空しく力を費やした」(49:4)と。「私は何のために開拓地で苦労を重ねたのか、与えられたものは妻と子供たちの無残な死だけではなかったか」と。

・10年ほど前に、かつて勤めていた会社の上司が自殺したという話を聞きました。彼は社内で順調に出世し専務にまでなりましたが、会社の業績悪化の中で心労が重なり、死を選びました。自殺を聞いた時、やりきれない思いがしました。何故死ななければならなかったのか、「苦難はいつか終る」という希望を何故持てなかったのか。その時、「クリスチャンの人生とそうでない人の人生は違う」と強く思いました。共に、人生の中で苦難や悲しみを受けます。その時、神を知らない人は、その苦難を克服するために自分で自分を助けようとするか、他人の助けを求めます。それでも苦難が去らない時、苦難を忘れるために享楽的になるか、あるいは悲観的になり、苦難に飲み込まれて死に人が多い。しかし、神を知る人は、苦難は神が与え給う試練であり、この試練を通して神が祝福されると信じることができます。何故なら聖書は語るからです「わが正しきは主と共にあり、わが報いはわが神と共にある」(イザヤ49:4)。

・主の僕は捕囚を通して神が祝福された事実を知ります。旧約聖書が書物としてまとめられたのは、捕囚の時代でした。神は何故「私の子」と呼ばれたイスラエルを滅ぼされたのか、「私の都」と呼ばれたエルサレムを廃墟にされたのか、それを知るために捕囚の民は父祖の伝承を整理・編集し、それを文書化していきました。それが旧約聖書の創世記になり、出エジプト記となっていきました。創世記1章にその苦闘の跡が読み取れます。創世記は1章2節で語ります「地は形なく空しく、闇が淵の表にあった」。形なく空しく=トーフー・ワボーフーという言葉は旧約聖書に3回しか使われていません。創世記以外ではエレミヤ4章23節です「私は地を見たが、それは形がなく、またむなしかった。天をあおいだが、そこには光がなかった・・・すべての町は、主の前に、その激しい怒りの前に、破壊されていた」。もう一つの個所はイザヤ34章11節です「主はその上に荒廃をきたらせる測りなわを張り、尊い人々の上に混乱を起す下げ振りをさげられる」。

・この「形なく空しく」という言葉の用例から、私たちは創世記著者が置かれた状況を推察することが出来ます。戦争に敗れ、エルサレムの町は廃墟とされ、王や祭司はバビロンに捕えられていきます。地は神の裁きの下に荒廃し、全くの闇の中にあり、光は見えません。まさに「地は形なく空しく、闇が淵の表にあった」のです。しかし、著者はそこに神が共におられることを確信し、言います「神の霊が水の面を覆っていた」(創世記1:2b)。神は私たちを捨てられたのではなく、共におられる。そして闇の中に神の言葉「光あれ」が響き渡る(創世記1:3)とそこに光があった。国を滅ぼされ闇しか見えなかったイスラエルが苦難の中に希望を見出していった、その信仰の戦いの記録として創世記が書かれたのです。

・バビロン捕囚という苦しみがなければ旧約聖書は編集されなかったし、旧約聖書がなければ新約聖書も生まれなかったでしょう(新約聖書は旧約聖書の新しい読み直しの書です)。国を滅ぼされたイスラエルは、捕囚を通して信仰共同体として育てられていった。この事実を知るから、主の僕は言い切ります「わが正しきは主と共にあり、わが報いはわが神と共にある」(イザヤ49:4)。捕囚は祝福であったと。

 

3.主の僕に使命が与えられる

 

・イスラエルは何故、捕囚としての苦しみを味わったのでしょうか。イスラエルは神にそむくと言う罪を犯しました。それ故に、彼らは50年間苦しめられました。そして、自分が苦しむことを通して、他者の苦しみを知る者に変えられていきました。また、異国に捕らわれることを通して、救いが自分たちだけではなく、他の民族にも及ぶことを知らされました。故にイスラエルに使命が与えられます「私はあなたを、もろもろの国びとの光となして、わが救を地の果にまでいたらせよう」(49:6b)。世界史の上では何の重要性も持たない小さな民族の挫折と回復の歴史が旧約聖書としてまとめられ、その旧約聖書がやがて世界史を動かすようになります。預言者は語ります「人に侮られる者、民に忌み嫌われる者、司たちの僕」(49:7a)、人間的に見れば、戦争に破れて捕虜とされた民が許されて故国に帰還するというだけです。しかしそのイスラエルが、「諸々の王が立ち上がり、諸々の君が拝する」(49:7b)者となると預言者は語ります。預言者は、神の救済の訪れを諸国民に宣べ伝える使命を抱いてエルサレムに帰るという確信にあふれています。

・この確信を私たちも持ちたい。私たちの教会は大きくもなく、立派でもないかも知れない。それ故に、苦しむ者の声を聞ける。私たちは、信仰に優れた者でないかも知れない。それ故に、信じることのできない人たちに福音を伝えることが出来る。イスラエルと同じく、私たちも主がいかに恵まれたかを証するために立たされ、そのために必要な苦しみを受けた。この苦しみを通して、教会が何故立てられているかを学んだ。今、解放の時を迎え、新しい使命を与えられる。「主は恵みの時に私に答え、救いの日に、私を助けられた」(49:8)ことを知る者こそ、福音の伝達者に相応しい。

・パウロはイザヤ49章8節の言葉をコリント教会への手紙の中に引用しました。当時のコリントの教会には多くの争いがあり、教会が分裂しかけていました。その教会に書かれた手紙の一節が今日の招詞の言葉です。「私たちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる、『私は、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた』。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」(第二コリント6:1-2)。苦役の時は過ぎ、救いの時が始まったことをパウロは伝えます。

・帰還したイスラエルを主は恵み、彼等の数を増やされます。「あなたの目をあげて見まわせ。彼らは皆集まって、あなたのもとに来る」(イザヤ49:18)。散らされた者がまた集められ、そして大きな民に成長する。その時イスラエルの子らは言う「この所は私には狭すぎる、私のために住むべき所を得させよ」(49:20)と。行方不明になっていた宮本賢平さんの5歳と1歳の子は、やがて中国人に養われて無事であることがわかり、昭和53年、敗戦から33年後に帰国しました。当時1歳だった末子の実さんは中国で結婚し、奥さんと4人の子供を連れての帰国でした。残された者から新しい家族が生み出されていきました。イザヤ書の物語も残留孤児の物語も、私たちの物語なのです。

・エッサイの株から一つの芽が出、その芽が木として育っていく。このことを知るものはどのような状況の中にあっても希望を失いません。この教会も試練の中で、人が散らされて行きました。しかし、神が再び、このところに神を賛美する人の群れを集められるとイザヤ書は教えます。人々は言うでしょう「この会堂は狭すぎる。賛美するためにもっと、広い教会堂を与えよ」と。そして12年前に新しい会堂が立てられました。私たちは宣教開始50年の節目に新しい会堂を与えられたのです。バビロンの捕囚民が捕えられてから解放されるまで50年が必要でした。宮本さんの二人の子が日本に帰ってきたのは敗戦から33年後でした。「私はいたずらに働き、益なく空しく力を費やした」としか思えない時も、やがて回復と恵みの時に変わるゆえに、私たちは絶望しないのです。

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