1.自分を救わない救い主
・受難日を前にルカ福音書を読んでいます。今日はルカ23章から、イエスがどのようにして、十字架上で死んでいかれたかを読んで行きます。イエスはローマ総督ピラトから死刑の宣告を受け(23:25)、兵士たちに引き渡され、鞭打たれ、十字架を背負って刑場まで歩かされました。そして「されこうべ」と呼ばれていた場所まで連れて来られます。「されこうべ」(ヘブル語ゴルゴダ、ラテン語カルバリ)、エルサレム郊外の石切り場が処刑場とされていて、周りから見ると「人間の頭蓋骨」のような形に見えたため、「されこうべ」という名をつけられました。
・十字架刑を宣告された囚人は横木を担いて街中を引き回され、刑場に着くと両手首を十字架に釘で打ち付けて固定され、十字架が立てられます。手足が固定されていますから囚人の全体重は腕にかかり、傷口からは血が流れ続け、次第に息ができなくなり、窒息して死んでいきます。死ねばその遺体は共同墓地等に投げ込まれ、禽獣の餌食にされます。十字架刑は人間の尊厳を徹底的に貶める残酷刑で、重罪を犯した奴隷やローマに逆らった反逆者等に対してのみ行われる特殊刑です。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札が掲げてありました。イエスはローマ帝国への反逆者として処刑されたのです。
・ルカは「他にも二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行き」、「犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた」(23:32-33)と記します。処刑場には三本の十字架が立てられました。そこには処刑を見るために来た議員たちがいました。彼らは十字架につけられたイエスを嘲笑して叫びます「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」(23:35)。「自分を救えない者がメシア(救済者)といえるのか」という嘲りです。処刑の実行役であるローマ兵たちもイエスを侮辱します「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」(23:37)。兵士たちの嘲笑の言葉も同じです「お前は救い主ではないのか。何故自分を救えないのか」。
・イエスは「自分を救えない救い主」と嘲笑されています。人々がイエスに求めたのは、栄光のメシアです。力によって敵を打ち倒し、人々の尊敬と信頼を勝ち取って、自ら道を切り開いていく救い主です。人々は、病人を癒し、悪霊を追い出されるイエスの行為に、神の力を見ました。力強い説教に、神の息吹を感じました。神の力があれば、自分たちの生活を豊かにしてくれるに違いないと期待しました。しかし、イエスは期待に応えることが出来ず、今惨めな姿を十字架に晒しています。「民衆は立って見つめていた」(23:35)。彼らもイエスに失望しています。全ての人が自分を嘲笑する中で、イエスは驚くべき言葉を語られます「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(23:34)。
・この言葉は新共同訳では括弧の中にあります。凡例によれば、「新約聖書においては後代の加筆と見られているが、年代的に古く重要である箇所を示す」とあります。つまり早期の有力写本の中にないため、本来のルカ福音書には含まれておらず、一部の聖書学者たちは「これは真正のイエスの言葉ではない」とします。しかし使徒言行録7:60ではステパノがこの祈りを祈っており(「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」)、初期の教会伝承の中にこの言葉があったことは確かで、私自身はこの祈りはイエスに肉声だと理解しています。そして、この祈りは世界史を変えた祈りです。イエスは「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(6:36)と言われ、「もし兄弟が罪悔い改めれば、赦してやりなさい」(17:3)とも語られました。そのイエスだからこそ、自分を殺そうとする者たちのために、とりなしを祈ることが出来たのです。
2.一人は罵り、一人は憐れみを求める
・「父よ、彼らをお赦しください」というイエスの祈りは、イエスと共に十字架につけられていた二人の人間に別々の反応を引き起こしました。犯罪人の一人はイエスを罵ります「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。我々が欲しいのは今この十字架の苦しみから解放する力なのだ」と彼は叫びます。彼はイエスを嘲笑した議員や兵士たちと同じ立場に立ちます。この世の理解では、「自分を救えない者は他者をも救えない」のです。人々は、いつも、「今現在の苦しみからの解放」を求めます。
・しかし、もう一人の犯罪人は別の立場に立ちます。彼は言います「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」(23:40-41)。そしてイエスに懇願します「イエスよ、あなたの御国においでになる時には、私を思い出してください」(23:42)。彼は訴えました「私は罪を犯したのだから、死刑にされても仕方がありません。私には救って下さいと要求する資格はありませんが、それでも憐れんで下さい」と。その男にイエスは言われました「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」(23:43)。楽園=パラダイス=神の国です。
・二人の犯罪人はイエスと共に十字架につけられ、イエスの「父よ、彼らをお赦しください」という祈りを聞きました。一人はその言葉を虚しい言葉として聞きました。もう一人はその言葉の中に神の声を聴きました。イエスと共に十字架にかけられたこの二人はどういう人々なのでしょうか。ルカは彼らを「犯罪人」と呼び(23:32)、マルコは「盗賊」(マルコ15:27)と呼びます。二人共ローマ軍によって十字架につけられていますので、単なる犯罪者や盗賊ではなく、ローマからの独立運動に従事した熱心党(ゼロータイ)と呼ばれた人々です。彼らもまたローマへの反逆者として、見せしめの刑に処せられています。
3.ゴルゴダで教会が生まれた
・今日の招詞にローマ6:6-8を選びました。次のような言葉です「私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。私たちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます」。イエスの十字架の場には民衆がいました。彼らは黙ってイエスの処刑を見つめています。そして二人の犯罪者たちもいました。彼らはイエスと同じように十字架につけられ、苦しんでいます。民衆は傍観者ですが、二人の犯罪人は当事者です。二人は手足を釘で十字架に固定され、その場から去ることが出来ないからです。彼らは否応なしに「イエスと共に死んで」いきます。その中の一人はイエスに語ります「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください」。それに対してイエスは約束されます「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」。彼は「キリストと共に死んだから、キリストと共に生きる」、復活の恵みに預かったことでしょう。
・もう一人の犯罪人はイエスを罵りました「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」。彼もまたイエスと一緒に死んだから、イエスと一緒に復活の恵みに預かるのでしょうか。私たちにはわかりません。しかしイエスはかつて言われました「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉もすべて赦される」(マルコ3:28)。自分を殺そうとする者に対して、「父よ、彼らをお赦しください」と祈られた方は、自分に罵りの言葉を投げかけたこの犯罪人のためにも祈られています。
・イエスの「父よ、彼らをお赦し下さい」という祈りについて、ある人は語ります「人間が生まれて、祈り始めてから、これ以上に神聖な祈りの言葉が天に捧げられたことはない」。何故、イエスはこのような祈りをすることができたのでしょうか。聖書は、イエスが激しい葛藤の末に、この祈りに到達された事を示しています。捕らえられる前の晩、イエスはゲッセマネで祈られました「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけて下さい」(22:42)。イエスは死を恐れ、自分を殺そうとする者に憎しみと恐怖を持たれました。しかし、イエスは続いて祈られます「しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください」。人間としての思いと、神の子としての思いが葛藤し、「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」(22:44)。その試練に勝たれたゆえに、今イエスは、自分を殺そうとする者たちのために祈ることが出来るのです。
・このイエスの祈りが二人の人間を信仰に導きました。一人はイエスと共に十字架にかけられていた男です。彼はローマ支配に武力で抵抗し、反逆罪で捕えられ、十字架にかけられています。彼は武力でローマを倒そうとして失敗し、今その過ちを悟りました。神の名によって行為しても、暴力は暴力であり、そこからは何も良いものは生まれない。そして心からイエスに求めます「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出して下さい」(23:42)。イエスの十字架上の祈りが、ここに最初のクリスチャンを生みました。十字架の現場では、さらにもう一人のクリスチャンが生まれています。イエスの十字架刑の執行を指揮していたローマ軍の百人隊長です。彼もイエスの最後の祈りも聞きました「父よ、私の霊を御手に委ねます」(23:46)。ルカは記します「百人隊長はこの出来事を見て、『本当にこの人は正しい人だった』と言って、神を賛美した」(23:47)。彼はイエスが、自分を殺そうとする者たちの赦しを祈り、最後はすべてを神に委ねて死んでいかれた様を見て、そこに神の存在を感じたのです。その時、十字架というおぞましい出来事が、「神を讃美する」出来事に変えられていきました。
・また十字架の現場には、イエスの十字架を無理やりに担がされてゴルゴダに来たクレネ人シモンもいました。さらにはエリコでイエスに目をあけていただいた盲人バルテマイもいました。この二人もイエスの祈りを聞き、変えられて行きました。彼らの名前が福音書に残っているということは、彼らが後の教会に知られた信徒であることを示唆します。ゴルゴダの丘で教会が生まれました。
4.祈りは人をキリストに導く
・小塩節というドイツ文学者がいます。彼は1962年ドイツに留学し、ある時ダッハウという町に行きました。ナチス時代の強制収容所のあった場所です。建物の中に入ると「シャワールーム」があり、天井にはスプリンクラーが設置され、そこから毒ガスが噴出され、300人の人を一度に殺したと説明されます。横の部屋には処理室があり、死体から金歯やめがね等の貴重品をはずした後、大きなオーブン型の焼き釜で死体をゆっくり焼いて、せっけん用の脂と肥料になる灰をとったそうです。まるで食肉工場のようでした。小塩さんは人間をもののように扱うドイツという国に衝撃を受け、こんなドイツから学ぶべきものはないと、留学を切り上げて帰る事を決意します。
・その日の夕方、日本から訪ねてきた知人に頼まれて、プロテスタント教会の夕礼拝に一緒に行きます。普通の家に大勢の人がいました。説教はすでに始まっており、二人は部屋の隅に立って説教を聞いきます。説教者は語りました「私たちは6百万人のユダヤ人をガス室に送り込んだ。さらに私たちは千万人を超える東欧の無辜の民を殺した。私たちの手は、あの人たちの血で血塗られている」。小塩さんはその日見たダッハウの強制収容所を思い出しました。銀髪の説教者は「選ばれた民であると自ら誇る時、個人も民族も恐るべき罪を犯す」と語り、祈り始めました。小塩さんは語ります「数十年経った今もその祈りを覚えている。説教者は祈った『神よ、私たちは罪にまみれています。あなたに対し、世界に対して、私たちは罪を犯しました。神よ、われ信ず、信なきわれを助けたまえ』」。
・自分が罪を犯したと語ったその人は、ハノーバーの学校の先生で、学生時代にナチへの抵抗を試みて捕らえられ、ダッハウ収容所につながれ、終戦後に解放された人であったことを受付の人から聞きました。本人はそのことには一言も触れず、自分が加害者ドイツ人の一人であることを会衆と共に神にわび、救いを祈っていました。小塩さんは記します「彼は祈りながら涙を流していた。自ら生命を投げ出した真の闘士であったからできるのだ。これこそほんとうの勇気である。私は自分自身が恥ずかしかった。彼がお祈りの中で引用した聖句、“われ信ず、信なきわれを助けたまえ”という言葉は今も私の耳からどうしても消えないで、響き続けている」。その祈りに動かされて小塩さんはクリスチャンになりました(小塩節「人の望みの喜びを」)。祈りは人を動かす力になりうるのです。