1.国家的危機の中でのイザヤ召命
・イザヤ書を読み進めています。今日はイザヤ6章の召命記事から聞いていきます。イザヤが預言者として召されたのはユダのウジヤ王が死んだ紀元前740年頃でした。ウジヤ王は52年間ユダ王国を治め、その時代は平和な繁栄の時でしたが、彼の死後世界情勢は流動化し、戦乱の時代に入ります。北のアッシリアが世界帝国の道を歩み始め、パレスチナに支配の手を伸ばしてきたからです。ユダ国内にも危機が迫る。そのような時に、イザヤは召命されます。
・彼は語ります「私は、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいて・・・彼らは互いに呼び交わし、唱えた『聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う』。この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた」(6:1-4)。衣の裾とは神殿で炊かれる香の煙が地上を覆ったことを指し、讃美の声は神殿で歌われる讃美がこだましたのでしょうか。イザヤは幻の中で主なる神に出会い、恐れます。神を見た者は死ぬと言い慣わされていたからです(6:5)。しかし主はそのイザヤに恐れるなと言われます「セラフィムの一人が、私のところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼は私の口に火を触れさせて言った『見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された』」(6:6-7)。やがてイザヤに天から声が聞こえます「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」(6:8a)。イザヤは勢い込んで言います「私がここにおります。私を遣わしてください」(6:9b)。
・このイザヤの召命記事は有名です。多くの信仰者がこの記事を読んで感動し、「私がここにおります。私を遣わしてください」と答え、神学校に入り、伝道者になりました。しかし、次に来る言葉を聞かずに献身するため、やがてつまずきます。「主は言われた『行け、この民に言うがよい。よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めて癒されることのないために』」(6:9-10)。預言者=神の言葉を預かる者は、人々の心に語り、悔い改めを求めますが、多くの人は耳を傾けません。人は平和な時には危機の言葉を聞こうとしないし、いざ危機になると神よりも自分の力に頼って何とかしようとするからです。預言者が語れれば語るほど、民に憎まれ、迫害されると神は言われているのです。これは現代において「神の言葉を語れ」と命じられている牧師も同じです。牧師が真剣に語れば語るほど、人は教会から離れていく現実があります。耳に痛い言葉は誰も聞きたくないのです。
・スイスの小さな村で牧師をしていたカール・バルトはエゼキエル13章をテキストにして「人々を満足させる牧師」という説教を行いました。「偽りの預言者とは、人々に満足を与える牧師のことである。彼は福音の説教者、牧会者、奉仕者と呼ばれるが、しかし彼は人間たちの被用者にすぎない。彼は自分が神の名において語っていると夢想しているが、彼は世論の名において、立派な人々の名において語っているに過ぎない」(「人々を満足させる牧師」、カール・バルト説教選集6巻より)。厳しい説教ですが、真実の言葉です。聴衆が耳に痛い言葉を聞こうとしない時に、何も言わない牧師は偽りの預言者なのだとバルトは言います。西南大学神学部の寺園喜基先生は、宗教には「苦しまない能力」と「苦しむ能力」があると語ります(2004年12月「西南の風」から)。「苦しまない能力」とは、苦しみから避ける能力をいただくことこそが救いとする宗教の在り方です。祈れば病気や苦難から救われるという宗教です。多くの人はこのような宗教を求めます。それに対して聖書は「苦しむ能力」を語ります。キリストが十字架で苦しまれたからこそ私たちは救われた。そうであれば私たちも「キリストの苦しみの欠けたところを、身をもって満たしていく」(コロサイ1:24)べきです。バルトの語る信仰はその方向を目指し、イザヤの信仰も同じです。イエスが人々の求めに応じて言葉を語り、病を癒された時、民衆はイエスを称賛しました。しかし民衆がイエスに、「私たちの王になって私たちを貧しさから解放してほしい」、「私たちを支配しているローマの軍隊を追放してダビデ王国を回復してほしい」と求め、イエスがそれを拒絶された時(ヨハネ6:60他)、人々は一転してイエスをののしり、十字架につけろと叫び始めます(ヨハネ19:15他)。
・人は聞きたくないことから耳を背け、見たくない現実(罪)から目を背けようとしますが、そこに救いはありません。だから私たちはたとえ難解であっても、イザヤ書を読む必要があるのです。牧師は神から預かった言葉を語り、聞く者はその言葉によって自分の罪を知り、悔い改めるが起こる。それが礼拝です。神の言葉を聞いてもそれを自分に与えられた言葉と受け止めず、人生が変えられていかなければ、それは神の言葉を聞いたことにならない。預言者も牧師も成果を求めてはいけない。その意味では報われない務めです。ではなぜ語るために召されるのでしょうか。
・イザヤは「民が聞かないのに何故遣わすのですか」と尋ねます(6:11)。それに対して主は「町々が崩れ去って、住む者もなく、家々には人影もなく、大地が荒廃して崩れ去る時まで」と答えられます(6:11)。預言者の言葉は裁きが為され、全てが奪い去られて、もう自分の力では立ち上がれないと絶望したその時に、初めて聴かれます。人は絶望するまでは、自分の罪を悟ることが出来ないからです。ユダの人々も国が滅亡し、バビロンへ流刑された故に、イザヤの言葉を聴き直し、悔い改め、その悔い改めの中から、新しい民が生まれてきました。「裁きは救うために為される」のです。
2.絶望の中での希望
・イザヤの時代、アッシリアは世界帝国としてパレスチナに勢力を伸ばし、諸国を制圧し始めていました。その中でパレスチナ諸国は連合してアッシリアに対抗し、その独立を保とうとします。ウジヤ王を継いだ孫のアハズ王時代、シリア(アラム)と北イスラエル(エフライム)は反アッシリア同盟を結び、ユダにも参加を求めますが、ユダは拒否し、両国はユダに攻め入ります(前734年、シリア・エフライム戦争)。この事態にユダの王も民も動揺します(7:1-2)。アハズ王は事態打開のためにアッシリアの支援を求めようとしますが、イザヤは反対し、アハズ王に落ち着くように求めます「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」(7:3)。神に信頼してこの危機を乗り越えなさいとイザヤは語ったのです。
・イザヤは、「アッシリアはかみそりのようにユダから全てのものをかすめとる」(7:20)と語り、目の前の敵を撃退するために、より危険な敵アッシリアに頼る愚かさを語りました。しかし、アハズ王はイザヤの言葉を聞かず、目の前の危機を回避するために、莫大な貢物をアッシリアに贈って援軍を求めます。アッシリアは要請を受けてパレスチナに侵攻し、シリアを征服し、北イスラエルも滅ぼしました。当面の脅威は去りました。しかしアッシリアはユダに重い税を課し、領土の大半を奪い、ユダの国力は次第に衰退し、それから100年後、バビロニアに国を滅ぼされます。
・イザヤが神の言葉を語ってもアハズ王は聞こうとはしませんでした。イザヤはアハズ王に絶望し、新しい王の出現を望みます。それがイザヤ7章のインマヌエル預言とされています「それゆえ、私の主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(7:14)。イザヤの語った「男の子」とは、アハズ王の子ヒゼキヤのことを指します。ヒゼキヤは前715年に父に代わって王となりました。イザヤ9章のメシア預言はヒゼキヤの即位を喜ぶイザヤの言葉と思われます「一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」(9:5)。父王アハズはアッシリアに頼ったため、ユダはその属国となり、アッシリアの神々を神殿に祭りましたが、その子ヒゼキヤはアッシリアとの関係を絶ち、神殿から偶像を放逐します(列王記下18:5-7)。しかし、そのヒゼキヤでさえ、次の戦争(アッシリアの再侵略)の時にはエジプトに支援を求めます。イザヤはヒゼキヤにも失望し、新しい預言をします「エッサイの株から一つの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」(11:1-2)。ヒゼキヤ王に失望したイザヤは、エッサイの株、ダビデ王家から新しい王が現れることをイザヤは期待しました。
・イザヤの預言は彼の時代の中でされていますが、700年後、パレスチナに生まれたキリスト教会はイザヤ7章インマヌエル預言にイエス・キリストの誕生の意味を見出します。マタイは書きます「マリアは男の子を産む・・・この子は自分の民を罪から救う・・・主が預言者を通して言われていたことが実現する『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる』」(マタイ1:21-23)。イザヤの預言はイザヤの生前には聞かれることはありませんでした。しかし国が滅びて流浪の民となったユダヤの民はイザヤの言葉の中に国家再建の希望を見出し、「この人こそメシア」と思っていたナザレのイエスを十字架で殺された初代教会の人々は、イザヤ預言の中に神の子の誕生の知らせを聞きました。預言は預言者の人生を超えて力を持つのです。
3.現代にイザヤ書を読む
・現代の私たちはイザヤ書をどのように読むのでしょうか。一つの例として矢内原忠雄のイザヤ書理解を見て行きたいと思います。矢内原忠雄は経済学の研究者で東大教授でした。矢内原が生きた昭和初期の時代、日本はユダと同じように戦争に明け暮れていました。日本は満州を占領した後、1937年(昭和12年)には盧溝橋事件を起こして中国侵略を本格化させます。日本は戦時体制になり、批判を封じ込めるために治安維持法の改正強化を推し進めます。その時代の中で、矢内原は「国家の理想」という論文を書き、「中央公論」に発表します。彼はイザヤ書を引用しながら「国家の理想は正義と平和にある。戦争という方法で弱者をしいたげることではない。理想に従って歩まないと国は栄えないし、一時栄えるように見えても滅びる」と書きました。「日本の中国侵略は間違っている」と矢内原はイザヤ書に託して語りました。彼の論文は激しく批判され、東大教授の職を解任され、蟄居を命じられます。戦後、矢内原は東大総長となり、「余の尊敬する人物」を岩波新書に書き、多くの人に読まれました。その中で彼は「イザヤ」を取り上げます「イザヤは悲哀の人でありましたが、悲観の人ではありませんでした。彼は希望の人であって、絶望の人ではありません。愛は絶望を知らないからです」(矢内原忠雄「続余の尊敬する人物」から)。
・今日の招詞にマルコ9:49-50を選びました。次のような言葉です「人は皆、火で塩味を付けられる。塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい」。預言者は「地の塩」として社会を健全にする役割を持ちます。人はみな自分のことしか考えないため、生きた神との関係は断絶します。預言者は神から召命を受けた故に神を中心に出来事を考え、自己中心の人間の腐敗と虚栄を告発します。その言葉は、当座は誰にも聞かれません。預言者の生涯は失望の連続でしたが、彼等は希望を失いませんでした。それは神の言葉は必ず聞かれる時が来ることを確信するからです(イザヤ55:10-11)。この希望に預言者は生かされています。牧師もまた、この希望に生かされた役割を求められています
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