1.聞く存在から語る存在へ
・私たちはペンテコステ礼拝を捧げるために、教会に集められました。ペンテコステ、ギリシャ語で50、過越の祭りから50日目の五旬祭の時に、聖霊降臨という出来事が起こりました。教会ではペンテコステを聖霊降臨日として祝います。キリスト教信仰はイエスが十字架に死なれ、復活されたイエスが弟子たちに顕現され、今は天におられるという土台の上に立っています。そのイエスが、聖霊として再び私たちの下に来られた、それがペンテコステの出来事です。聖霊降臨によって、臆病だった弟子たちが雄弁に語り始め、聴いた人々に回心が起き、キリストこそ救い主と信じる者が起こされ、教会が生まれた記念の日です。
・イエスは天に帰られる前、弟子たちに、「聖霊が与えられるまで、エルサレムで待ちなさい」と言われた使徒言行録は記します(1:4-5)。弟子たちはイエスの言葉に従い、共に集まり、祈って、待ちました。イエスの復活から50日後、五旬祭の日に不思議な出来事が起きます。一同が集まっていた時、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(2:2-3)とルカは記述します。 何が起きたのでしょうか。
・「激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえた」、ギリシャ語では風(プノエ)は霊(プニュマ)と同じ語源です。また、ヘブル語では霊(ルーアハ)は息(ルーアハ)と同じで、神の霊は神の息吹として表現されます。風は見ることは出来ませんが、存在を感じることが出来ます。息も見えませんが確かに存在します。聖霊=神の息吹も、見えないが確かに弟子たちの上に降った、そのことを、ルカは「激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえた」と表現しています。
・その神の息吹は、「炎のような舌の形で弟子たちに降った」とルカは記述します。舌(グロッサイ)は言葉(グロッサイ)と同じ言葉です。霊の賜物として舌=言葉が与えられ、弟子たちが語り始めたことを、ルカは「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」と表現しています。その結果、「弟子たちは霊が語らせるままに、他の国の言葉で話し出した」とルカは報告します。物音を聞いて、人々が通りに集まって来ました。その中には、海外から帰国していたユダヤ人たちもいました。集まってきた人々に向かって、弟子たちは、それぞれの国の言葉で、福音を語り始めます。ペンテコステは多くの言語で福音が語られた記念日です。
・ルカは「(弟子たちが)"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」と記します。おそらく弟子たちは、外国生まれのユダヤ人や異邦人にも理解できる当時の共通語ギリシャ語で語り始めたのでと思えます。イエスや弟子たちが日常に用いていた言葉は、ヘブル語またはその方言であるアラム語です。他方、外国に住む、あるいは外国から帰国したユダヤ人たちは、ヘブル語を理解せず、ギリシャ・ローマ世界の共通語であるギリシャ語しか話せません。その彼等に福音を伝えるにはギリシャ語で話すしかない。弟子たちの出身はガリラヤですが、その地は「異邦人のガリラヤ」と呼ばれたほど、ギリシャ化が進み、弟子たちの何人かはギリシャ語を話すことが出来たのでしょう。弟子たちがイエスの受難と復活をギリシャ語で語った結果、その言葉は人々に伝わり、その日に3千人が洗礼を受けたとルカは記します(2:41)。
2.ローマでのパウロ
・このギリシャ語を話すユダヤ人たちが、やがて福音宣教の担い手になります。使徒8章でエルサレム教会にユダヤ教会からの迫害が行われたことが記されていますが、この迫害の結果、ギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニスタイ)たちがエルサレムを追われ、サマリアやシリア、さらにはアジア地方にまで伝道を行い、その結果、福音が民族、国境を超えて広がっていきます。その弟子たちの伝道記録が使徒言行録です。
・使徒言行録は聖霊降臨日のペテロの説教に始まり(使徒2章)、パウロの殉教に終わります(使徒28章)。パウロはエルサレムでユダヤ教徒たちから「背教者」として命を狙われ、混乱の中でローマの軍隊に捕らえられ、カイザリアで2年間監禁されます(使徒21~24章)。その獄中からパウロはローマ皇帝に直訴し(25:11)、ローマに囚人として移送され、ローマでの最後の日々を伝えるのが使徒言行録28章です。使徒言行録は記します「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」(28:30-31)。
・使徒言行録はここで突然に終わります。その後のパウロがどうなったか、ルカは一切記しません。パウロは皇帝に上訴して、裁判を受ける身です。その裁判の結果がどうであったのかについて、ルカは触れることなく、「使徒言行録」を締めくくります。ルカは裁判の結末を知っているはずです。拘留を「2年間」とする以上、その2年が終わった時、有罪とされて処刑されたのか、または無罪となって釈放されたかを知っているはずです。もし無罪となって釈放されたのであれば、その喜びをルカが報告しないことは考えられません。とすればパウロは有罪判決を受けて処刑されたことになります。
・パウロの殉教を知っているはずのルカが、なぜこのような終わり方で使徒言行録を締めくくったのでしょうか。それは福音が使徒パウロによって帝国の首都であるローマに到達したことを語ることで、「使徒言行録」の目的が達せられたからです。パウロはローマで殉教の死を遂げました。ルカはそれを知っており、読者も知っています。しかし、ルカはそのような悲劇的な結末の中に、福音を「エルサレムからローマに」到達させようとされた神の御計画が実現したことを見て、それを表現するのにふさわしい言葉で使徒言行録を締めくくったのです。
・ペンテコステは言葉の奇跡が行われた日です。イエスや弟子たちの証言集であった新約聖書は当時の共通語であるギリシャ語で書かれましたが、キリスト教がローマ帝国の公認宗教になると、やがて帝国の言語「ラテン語」に翻訳され、ラテン語聖書(ウルガタ)が権威を持つようになります。ただ民衆はラテン語がわからず、聖書が何を語っているのかを理解できませんでした。その壁を破ったのが、宗教改革です。イギリスではウィクリフが聖書を英語に翻訳し、ドイツではルターによりドイツ語聖書に生まれ、それがグーテンベルクの発明した印刷術によって、世界各地に伝えられていきます。宗教改革を起こしたものもまた、各国語に翻訳された聖書の力でした。言葉は奇跡を生むのです。
3.キリストに在る愚者
・今日の招詞に使徒18:9-10を選びました。次のような言葉です「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、私の民が大勢いるからだ』」。「この町には、私の民が大勢いる」、その幻が人々を生かし続け、イエスの弟子たちは世界中で福音を語り続けました。
・イエスが生きた時代は過酷な時代でした。ユダヤはローマの植民地であり、ローマと、ローマの任命する領主の双方に税金を納めなければならず、税金を払えない人は妻や子供たちを売り、それでも払えなければ投獄されました。人々は小作人として働き、地主に収穫の半分以上を取られ、飢饉の時には大勢の餓死者が出ました。病気に罹れば、治療を受けることなく、人々は死んで行きました。人々は救い主(メシア)が来て、生活が良くなることを熱望していました。その人々にイエスは言われました「あなた方の救いは、今日私の言葉をあなたがたが耳にした時に成就した」と(ルカ4:21)。
・神が行為され、御子キリストが来られました。しかし、人々は言います「何も変わっていないではないか。神の子が来られて何が変わったのか」。ゲルト・タイセンという聖書学者は「イエス運動の社会学」という本を書き、イエスが来られて何が変わったのかを分析しました。彼は書きます「社会は変わらなかった。多くの者はイエスが期待したようなメシアでないことがわかると、イエスから離れて行った。しかし、少数の者はイエスを受入れ、悔い改めた。彼らの全生活が根本から変えられていった。イエスをキリストと信じることによって、『キリストにある愚者』が起こされた。このキリストにある愚者・・・を通してイエスの福音が伝えられていった」。
・キリストにある愚者は、世の中が悪い、社会が悪いと不平を言うのではなく、自分には何が出来るのか、どうすればキリストが来られた恵みに応えることが出来るのかを考える人たちです。その愚者の一人パウロはローマで処刑されました。しかし後継者たちは語り続けました。パウロの後継者たちの語りがエペソ書やテモテ書という「パウロの名による書簡」として残されています。福音はパウロの死を超えて語り継がれていったのです。ペテロやパウロたちはローマで処刑されましたが、次に続く人々が「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続け」ました。やがて使徒たちの処刑地の上に教会が建てられました。福音は「キリストにある愚者」を創り続け、彼らが語り続けてきました。そして今、私たちが今、「キリストにある愚者」として語り続けています。
・キリスト教信仰は世の常識からみれば愚かです。復活、昇天、聖霊降臨、そんなものは信じられないという人が多いでしょう。それは客観的に証明できない事柄です。しかし復活のキリストに出会った者は、それが真理であることを体験します。私たちは聖書を通してナザレのイエスと出会い、その業と言葉により、神を知りました。かつての私たちは相手を利用することも、攻撃することも、貪ることも平気で行なってきました。キリストを知る前の私たちは、損得勘定の中でしか人間関係を生きて来ませんでした。だから人間関係が破たんし、苦しんできました。しかしキリストに出会ってその古い過去に死にました。ある時、私たちは友や家族に裏切られ、何も信じられなくなりました。しかし復活のキリストは「私は共にいる」と語ってくださいました。別な時、私たちは死の先の恐怖の中で凍り付きました。しかし復活のキリストは私たちに、「人生は死では終わらない。死を超えた命がある」ことを示してくださいました。世の知恵は「人の理性」に訴えますが、神の知恵は「人の魂」を揺さぶります。このような体験を多くの人がしてきました。信仰は理性を超える、ゆえに信仰者はこの世の基準では愚者ですが、「キリストにある愚者」です。この愚者になることによって、この世的な価値観(エゴ)から解放され、他者を支配するのではなく、他者のために生きる人々が生み出されてきました。教会は自分たちが「キリストにある愚者」であることを誇る人々の群れなのです。