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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2022年5月29日説教(使徒言行録27章13~44節、嵐の中の祈り) 上原一晃

投稿日:2022年5月28日 更新日:

 

  1. ローマへ船出する

 

・パウロは小アジア、タルソスのユダヤ人の家に生まれました。彼は元来熱心なファリサイ派で、キリスト者を迫害していました。そのパウロが回心を契機に、迫害されるキリスト者の側に立場を変えます。パウロを心の底から揺り動かし、根本からパウロを変えたもの、それはイエス・キリストとの出会いでした。キリストはパウロを、どんな苦難もいとわない伝道者に変えました。使徒言行録27章は、皇帝の裁判を受けるためにローマへの船旅を行うパウロの姿を伝えています。

・パウロは他の囚人といっしょに、ロ-マの百人隊長ユリウスに引き渡され、ロ-マへの船旅が始まりました。しかし、その船旅は順調ではなく、船出はしたものの風向きが悪く先へ進めず、クレタ島で風が変わるのを待つことになりました。この時代の帆船は一枚帆で、後の大航海時代の帆船のように向かい風用の帆をもたず、追い風を受けての帆走しかできなかったのです。記録によれば、当時の航海で一番安全なのは、風が安定する春から夏でした。秋は航海には向かないのです。

・しかしパウロたちが船出をしたのは秋でした。船はシドンの港から、地中海を西に向かい出発しましたが、向かい風のため進めません。「船は向かい風を避けてキプロス島の陰を航行し、キリキア州とパンフィリア州の沖を過ぎ、リキア州のミラに着き」ました。「百人隊長はイタリアへ行くアレキサンドリア行きの船を見つけて」(27:3-6)、パウロたちを乗り換えさせました。しかし、その大型船をもっても、西風が強く進めませんでした。やむなく、風を避けて島陰を伝い、クレタ島の南の「良い港」に到着、風が治まるのを待ちました。その時は、「かなりの時がたって断食日も過ぎていたので航海はもう危険」(27:9)な時期になりました。「断食日」は、9月の秋分の日近くで、「大贖罪日」とも言います。9月中旬を過ぎた地中海は、西風が吹き荒れ、航海は危険でした。

 

2.暴風に襲われる

 

・クレタ島で待機していた時、南風が静かに吹いて来たので、船長の判断でクレタ島の岸に沿って帆船を進めますが、やがて「エウラキロン」と呼ばれる暴風に巻き込まれます。「時に、南風が静かに吹いてきたので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。しかし、間もなく『エウラキロン』」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろしてきた。船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、私たちは流されるにまかせた。やがてカウダという小島の陰に来たので、やっとのことで小船をしっかりと引き寄せることができた」(27:13-16)。「エウラキロン」とは、ユ-ラシア太陸(ヨ-ロッパ太陸)から吹くクロン(台風)のことです。北東から吹くエウラクロンは、陸地近くの船を沖へ吹き流しますから、沿岸を航海する船にとっても、とても危険な風なのです。

・翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまいました。「小船を船に引き上げてから、船体に綱を巻き付け、シルテイスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨を降ろし、流されるにまかせた。しかし、ひどい暴風に悩ませられたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」(27:17-20)。マストを倒して風の抵抗を無くし、小船を船体に付け、船を大きくし、錨を降ろして、船を安定させ、船を風に流されるままにします。それが、暴風に出会ったときの昔の帆船の最善な航海術でした。

・太陽も星も見えず、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていました。この絶望の中で、パウロは皆を励まします。「皆さん、私の言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。私が仕え、礼拝している神からの天使が昨夜私のそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に告げられたことは、そのとおりになります。私たちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」(27:21B~26)。

・十四日目の夜になった時、漂流していた船が、陸地に近づいているように感じ、水の深さを測ってみると、二十オルギィアあることが分かりました。もう少し進んでまた測ってみると、十五オルギィアでした(1オルギィアは約1.85m 20オルギィアは約37m 15オルギィアは約28ⅿ)。船は陸地に近づいていたのです。船員たちが小舟を海に降ろし、船から逃げ出そうとしたのを見たパウロは、百人隊長と兵士たちに言います「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」(27:31)、「そこで、兵士たちは綱を断ち切って、小舟を流れるにまかせました」(27:32)。

・夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めます。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(27:33-34)。神の守りの中にある時には「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない」(ルカ21:18)とパウロは信じていました。使徒言行録は記します「こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいた私たちは、全部で二百七十六人であった。十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした」(27:35-38)。

・空腹は人をいらだたせますから、パウロは、まず人々に食事をさせ、落ち着きを取り戻すことにしました。空腹を満たすことで冷静になり、さらに、共に祈ることで、連帯感を保つことができました。そのとき、パウロが神に祈ってパンを裂いたことは、神にすべてを委ねる信頼感を人々に抱かせました。私たちも2年半に渡るコロナ危機という嵐の中で主の晩餐式を欠かさず継続しています。神の愛と神の臨在を現実に経験する主の晩餐式の意味を、兄弟姉妹と共に再確認したいと思います。

・食事をした人々は元気を取り戻し、砂浜の入り江のある島を見つけ、船首を乗り上げ、船を座礁させました。「朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。ところが、深みに挟まれた浅瀬に船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。」(27:39-41)。

・難破した船から囚人が逃げないように兵士たちは彼らを殺そうとしましたが、百人隊長はそれを阻止しました。「兵士たちは囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板きれや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。」(27:42-44)。泳げる者から海に飛び込み、残りの者は板切れなどにすがり全員が上陸しました。パウロが預言した通り、全員が助かりました。

 

3.苦難を越えて

 

・パウロは、困難、試練、希望を奪うような事態に直面しても、神の意思に基づく希望と救済を確信しています。そしてパウロは、自分だけの救い、幸いを求めず、共に歩む者の平安を求め、実践します。今日の招詞に第一コリント10章13節を選びました。次のような言葉です「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。

・沈没寸前の船の上で指導者は船長から、囚人パウロへと交代しました。人々は暴風に押し流される船の中で、為すすべのない船長ではなく、確信に満ちたパウロを信頼しました。この事は、今日のキリスト者の社会的役割を示しています。信仰を持つ者も、持たない者と同様に、世の嵐に逢い、世の嵐に翻弄され、不安と恐れに陥り、絶望の淵に立たされることもあります。しかし神を信じる者は、どんな嵐に出逢っても、「恐れるな」と励ます神の声を聴くことができます。太陽も星も見えない嵐の中、人の知恵では自分の居場所も分からない時も、神の導きにより、行く道を示され、絶望の中から希望を見出すのです。まさに神は、「耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。この希望は私たちを欺くことはありません。

・今日、私たちは応答賛美として新生讃美歌515番「静けき河の岸辺を」を讃美しますが、この詩を書いたスパフォードも多くの苦難を経験した人です。彼と家族はヨーロッパで休暇を過ごすために汽船の席を予約しますが、スパフォードだけが仕事の関係でやむなく別の便でヨーロッパに向かうことになります。先にヨーロッパに向かった彼の妻と4人の娘たちを乗せた汽船は、航海中に他の船と衝突、彼の妻は救助され助かりますが、娘たち全てを失ってしまいます。

・スパフォードはその悲報を受けて妻の待つヨーロッパに向かい、航行中の汽船のデッキから、娘たちを呑み込んだ海を、深い悲しみの中で見詰めます。その時、彼の心を驚くほどの平安が包み込みはじめました。「愛する娘たちとは再び天国で必ず会える」、その慰めを直接神から与えられたのです。彼は自分の子供たちの命を取り去られる経験を通して、「その独り子をお与えになった」神の愛を知ります。神もその子を亡くされた。彼は歌いだします「It is well, it is well with my soul(心安し、神によりて安し)」。

・現代の私たちは、死ぬほどの危険に直面し、「神様、助けてください」と祈ることは少なくなりました。だから、神も遠くなりました。しかし、死は今でも私たちと共にあります。人間の死は病院や老人ホームに隠されているから見えないだけなのであり、本質の部分はパウロの時代とも、スパフォードの時代とも何も変わっていません。死は隠されているが、厳然とそこにあります。近親者の死は人にとっては大きな試練です。しかし神は「私たちを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。どのような状況下にあっても、私たちは「心安し、神によりて安し」と讃美することができる者に変えられていくのです。

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