江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2022年5月15日説教(使徒言行録22:30-23:10、神の前で、神と共に、神なしに生きる)

投稿日:2022年5月14日 更新日:

 

1.人の前でのパウロの証し

 

・使徒言行録を読んでいます。前回読みました使徒20章のパウロはエペソの港町ミレアスにいて、エペソ教会の長老たちと「別れの時」を持っています。その時パウロは語りました「私は霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(20:22-23)。それでもパウロは、「霊に促されて」エルサレムに向かいます。予期したように、パウロはエルサレムで、ユダヤ教過激派の人々に襲われました。ルカは記します「アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。『イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった』・・・都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した」(21:27-30)。

・その騒動を見てエルサレム警備のローマ軍兵士たちが駆け寄り、パウロを保護します。ローマ守備隊の介入により難を逃れたパウロは、機会を与えられて、騒乱を起こしたユダヤ人たちへ語り始めます。彼がどのようにして、キリストの迫害者から宣教者に変えられていったかの物語です。「『兄弟であり父である皆さん。これから申し上げる弁明を聞いてください。』パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。パウロは言った『私はキリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました』」(22:1-3)。

・パウロはユダヤ教の戒めを守らないキリスト教徒を捕縛するために、大祭司の許可を得てダマスコに行きました。その途上でパウロは、突然強烈な光におそわれ、地上に打ち倒され、主イエスの言葉に接します「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」。パウロはその日を境に、キリスト教の迫害者から擁護者に転じました。有名なパウロの回心体験です。そして弁明の中で語ります「主は言われました。『行け。私があなたを遠くの異邦人のために遣わすのだ』」(22:21)。パウロが「異邦人に福音を伝えよ」と主が言われたと証した時、ユダヤ人たちは激昂します。彼らは自分たちユダヤ人こそ神の選びの民であり、異邦人は救われる資格はないと思っていたからです。騒ぎは大きくなり、彼らが口々に「この男を殺せ」と叫び始めました。ローマの兵士たちは、パウロを保護するためにエルサレムの兵舎に投獄します。

 

2.神の前での証し

 

・ロ-マ軍の取り調べの基本は、自白の強要で、そのために鞭打ちがなされました。鞭には骨片や陶片を埋め込んであり、裸の背中を打つと、皮膚は破れ肉が裂け、死に至る者さえあったほどの拷問です。しかしパウロはロ-マ帝国の市民権を持っていることが分かったため、この刑罰を免れます。ローマの千人隊長はパウロを取り調べるため、最高法院(ユダヤ人議会)の招集を命じ、パウロは最高法院という公の場所で弁明することとなりました。「翌日、千人隊長は、なぜ、ユダヤ人から訴えられているのか、確かなことを知りたいと思い、彼の鎖を外した。そして、祭司長たちと最高法院全体の召集を命じ、パウロを連れ出して彼らの前に立たせた。」(使徒22:29-30)。

・パウロは最高法院の議員の前で証しをする機会を与えられました。ルカは記します「パウロは最高法院の議員たちを見つめて言った。『兄弟たち、私は今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前に生きてきました。』すると、大祭司アナニアはパウロの近くに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた。パウロは大祭司に向かって言った。『白く塗った壁よ。神があなたをお打ちになる。あなたは、律法に従って私を裁くためにそこに座っていながら、律法に背いて、私を打て、と命令するのですか。』」(使徒23:1-2)。「神があなたをお打ちになる」、この大祭司アナニアは強欲で知られ、民衆の評判も悪く、紀元66年のユダヤ戦争時に暴徒に暗殺されています。ルカはこの事実を踏まえて、「神があなたをお打ちになる」とパウロに語らせています。

・パウロは議場に復活を信じる多くのファリサイ派がいるのをみて、「自分は復活信仰で裁かれている」と語り始めます。するとファリサイ派とサドカイ派の間に激しい論争が始まり、議場は大混乱となりました。

千人隊長は議場へ入り、パウロを救出します「論争が激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵士たちに、下りていって人々の中からパウロを力ずくで助け出し、兵営に連れて行くように命じた」(23:10)。その夜パウロは主から励ましを受けたとルカは記します。「その夜、主はパウロのそば立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ロ-マでも証ししなければならない』」(23:11)。あなたの生涯はこのエルサレムでは終わらない。ローマに行って宣教するのだとパウロは告げられました。私たちの人生もそうです。使命を与えられている者の人生は、中途で終わることはありません。

・使徒言行録23章のパウロの証しは、宗教改革者マルティン・ルターの裁判を想起させます。ルターは1521年ウォルムス国会で、ローマ教皇に対する告発を取り消すように、皇帝カール5世から求められた時、語ります「私は教皇と公会議の権威は認めません。なぜなら、それらは互いに矛盾しているからです。私の良心は神の御言葉にとらわれているのです。私は何も取り消すことができないし、取り消そうとも思わない。なぜなら、良心にそむくことは正しくないし、安全でもないからです。これよりほかに私はどうすることもできない。ここに私は立つ。神よ、私を助けたまえ。アーメン。」(1521年 4月17日ルターの証言)。「私の良心は神の御言葉にとらわれている。ここに私は立つ」、これが神の前での証しです。

 

3.耐えられないような苦難は与えられない

 

・今日の招詞に第一コリント10:13を選びました。次のような言葉です「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。パウロは当初エルサレムのローマ軍兵営に閉じ込められましたが、暗殺の計画が発覚し、ローマ軍は保護のために、彼をローマ軍の本拠地があったカイザリアに移送します。パウロはローマ市民権を持つゆえに、ローマ軍により救済され、カイサリアに保護されました。もし彼がローマ市民権を持っていなければ、彼はエルサレムで直ちに処刑されたと思われます。神はローマ市民権を持つゆえにパウロに、ローマ帝国への福音宣教を委ねられたのです。

・パウロはこのカイサリアの牢獄で2年間の幽閉に耐えなければいけません。神のみ旨は必ず成就しますが、それは人の思惑を超える故に、私たちの信仰が試される時でもあります。パウロは獄中から、エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンの四つの書簡を書いたとされます。獄中書簡と呼ばれ、どこの獄中で書いたかは不明ですが、カイザリア説(56-58年幽閉)が有力です。(59-61年幽閉のローマ説という可能性もあります)。いずれにせよ、これまで多忙な伝道生活をしてきたパウロに考察の時が与えられ、パウロはこれを機会として諸教会への手紙を書き、それ等の手紙が今では新約聖書の中核を占めています。投獄という苦難さえも、信仰者には恵みとなるのです。

・キリスト者はイエスが受難に会われたように、苦難に会います。そのことの意味を中世の修道士トマス・ア・ケンピスは著書「キリストに倣いて」の中で語ります。「時として試練や困難に合うことは、私たちにとって良いことです。何故ならそれによって、私たちは見習い中の身であり、この世のいかなるものにも希望をおくべきではないことを忘れずに済むからです。親切に、よかれと思ってしているにもかかわらず、人々から誤解されたり、反発に見舞われたりするのも良いことです。これらのことは、私たちがへりくだり、むなしい栄光から自らを守るのに役立つからです。表面上は誰からも認められない時、誰からもよく思われない時、そのような時こそ私たちは心をご覧になられる神を一層求めるようになります。ですから、人は人間からの慰めを必要としないですむように、神のなかに堅く根を張るべきです。」(トマス・ア・ケンピス「キリストに倣いて」から)。

・パウロはエルサレムで2年間投獄され、やがて行くローマでもさらに二年間投獄され、最後は処刑されます。そのパウロが語りました「人間として耐えられない試練はない」。皆さんは反論されるかもしれない。パウロは最後には殺されたではないか。また歴史を見ると、第二大戦中、ユダヤ人は迫害の中で、600万人を超える人がガス室の中で殺されではないか。それも耐えうる試練と言えるのか。

・この第二次大戦中のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)後、多くのユダヤ人は「なぜ神は天上から介入して我々を救わなかったのか」と疑問を持ち、中には信仰を棄てる人たちも出てきました。その時、教会の指導者ラビ・レヴィナスは、それは「大人の信仰ではなく、幼児の信仰だ」と語ります。「人間が人間に対して行った罪の償いを神に求めてはならない。社会的正義の実現は人間の仕事である。神が真にその名にふさわしい威徳を備えたものならば、『神の救援なしに地上に正義を実現できる者』を創造したはずである。わが身の不幸ゆえに神を信じることを止めるものは宗教的には幼児にすぎない。成人の信仰は、神の支援抜きで、地上に公正な社会を作り上げるという形をとるはずである。」(レヴィナス「困難な自由、ユダヤ教についての試論」内田樹訳、国文社(2008)。

・まさにD.ボンヘッファーが語った通りです。「神の前で、神と共に、われわれは神なしに生きる」(獄中書簡集から)。イエスは神の前を歩み、神と共に生きられましたが、最後には神なしで死んでいかれました。しかし神はそのイエスを死から起された。そこに私たちの希望があります。私たちの人生においても、「神はどこにおられるのか」と思えるほどの不条理や苦難があります。しかし神はその不条理の中から私たちを起こして下さる。私たちはそれを体験した。だから私たちは復活を信じ、どのような苦難の中にあっても希望を持ち続ける事ができる。それが私たちの信仰です。

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