1.らい病を患っている人を癒す
・マタイ8章にはイエスの癒しの記事が集中して語られています。イエスの宣教活動の中心は病の癒しでした。8章の記事は、山上での説教を終えて山を下られたイエスの下に、一人のらい病人(ギリシャ語レプラ)が近づき、「主よ、御心ならば、私を清くしてください」とひれ伏して懇願するところから始まります。「イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。すると、一人のらい病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、『主よ、御心ならば、私を清くすることがおできになります』と言った」(8:1-2)。イエスは「手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち、らい病は清くなった。イエスはその人に言われた。『だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モ-セが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい』」(8:3-4)。
・ここでは、病気が癒されることが、「清くなる」と表現されます。それはらい病者の置かれた特殊な状況が反映しています。当時らい病者は感染症を患う者として隔離され、その病は「神に呪われている」とされていました。だかららい病の癒しは、「治癒」ではなく、「清め」として描かれています。レビ記はらい病者の行動規定を記しています。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『私は汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は宿営の外に住まねばならない」(レビ記13:45-46)。らい病者は汚れた者として隔離され、人前に出ることは許されていなかった。しかしこのらい病者は危険を冒してイエスの前に現れ、イエスに癒しを乞います。彼は、「この方ならば私を清めて下さる」と信じて、石を投げて追われる危険を超えて、イエスに近づいたのです。イエスはその行為にらい病者の信仰を見られ、感動されました。新共同訳はイエスの言葉を「よろしい。清くなれ」と訳しますが、原語のニュアンスを伝えていません。直訳すると「私はもちろん望む」、イエスは病人の有様を深く憐れまれたのです。
・らい病に対する差別と偏見は日本でも根深くありました。日本では明治末から、らい病者は強制隔離され、収容所の周りには高い塀が立てられ、外出が許されませんでした。1940年に特効薬が開発され、早期発見と薬剤治療で治癒することが判明してからも、なお隔離が続けられ、隔離を定めた「らい予防法」が廃止されたのは1996年です。その後、国に対する賠償請求が提訴され、国は2001年敗訴、時の小泉純一郎首相は「悲惨な事実を悔悟と反省を込めて受け止め、深くお詫びする」として「ハンセン病予防法」を成立させています。
・それにもかかわらず、同じ過ちが繰り返されようとしています。政府は、コロナウィルス感染者が入院措置を拒否するなどした場合に、懲役刑などの罰則を科す「感染症法」改正案を今月閣議決定し、国会に提出する予定です。それに対し、日本医学会は緊急声明を出し、「かつて結核・ハンセン病では患者・感染者の強制収容が法的になされ、蔓延防止の名目の下、科学的根拠が乏しいにもかかわらず、著しい人権侵害が行われてきました。現行の感染症法はこの歴史的反省の上に成立した経緯があることを深く認識する必要がある」としています。イエスが為されたらい病者の癒しは今日でも大きな意味を持っているのです。
2.百人隊長の僕を癒す
・その後、イエスはカファルナウムに行かれ、そこにローマ軍の百人隊長が来て、僕の癒しを懇願します「イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、『主よ、私の僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます』と言った」(8:5-6)。イエスは「私が行って、癒してあげよう」と言われましたと7節にありますが、直訳では「この私が行って彼を癒すべきだと言うのか」(岩波訳)になります。「ユダヤ人の私が何故異邦人のあなたの僕を癒すべきなのか」とイエスは言われたのです。それに対して百人隊長は答えます。「主よ、私はあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、一言おっしゃってください。そうすれば、私の僕は癒されます」(8:8)。イエスは百人隊長の答えを聞いて感心し、従っていた人々に言われました「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、私はこれほどの信仰を見たことがない」(8:10)。
・ロ-マはユダヤの支配者であり、百人隊長は占領地の政務官でもありました。その百人隊長がユダヤ人イエスの前に跪き、中風の僕の癒しを願いました。イエスは彼の信仰に驚き(8:10「これを聞いて感心し」の直訳は「驚き」)、イスラエル同朋の中でさえこれほどの信仰はないと誉められました。イエスはイスラエルの民の中に見出されなかった信仰を異邦人の中に見て驚き、感動されたのです。そして百人隊長に言われます「帰りなさい。あなたが信じた通りになるように」。そのとき、「僕の病気は癒された」とマタイは記します(8:13)。「あなたの信仰がこの救いをもたらした」とイエスは言われます。イエスの奇跡は多くの場合、癒しを求める人々の信仰に感動して為されています。
3.イエスは身を削って病人を癒された
・イエスの癒しと悪霊払いの評判は高まり、大勢の人々がイエスのもとに癒しを求めて来ます。マタイはその有様を次のように記述します「イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を癒された。それは預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『彼は私たちの患いを負い、私たちの病を担った』」(8:16-17)。マタイはイエスの癒やしがイザヤ53章「主の僕」の預言の成就だったと理解しています。引用されたイザヤの預言はどのような背景でなされたのか、歴史をさかのぼって見てみます。今日の招詞にマタイで引用されているイザヤ53:4を選びました。「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と」。
・イザヤ53章は「主の僕の受難」を描きます。歴史家は、「主の僕」とはバビロン捕囚からの祖国帰還を導いたセシバザルではないかと推測します。前539年ペルシア王クロスは捕囚の民に故国帰還を許し、第一陣としてセシバザルに率いられた民がエルサレムに戻り、神殿再建に取り組みます。セシバザルはダビデ家の家系(エホヤキン王の4男)であったため、帰国民は彼にダビデ王国の再興を期待しました。そのため、ペルシア当局は彼に反乱の疑いをかけ、彼は非業の死を遂げたと言われています。神殿は前538年に再建工事が始まりましたが、何度も中断し、最終的に完成したのは20年後でした。完成した神殿を見て、人々は「主の僕」の犠牲によりこの神殿は立てられたと感謝し、それを歌ったのがイザヤ53章の預言です。
・マタイは何故イエスの癒しの業にイザヤ53章を引用して描いたのでしょうか。イエスは多くの病を癒されましたが、その癒しは触れてはいけないらい病者に触れ(汚れたとされる人に触れることはその汚れを自分の身に引き受けることになります)、仕事をしてはいけない安息日に癒し(それは安息日違反と非難されます)、卑しめられていた娼婦や徴税人と交わられました(ラビなのに罪人と交わるのかと批判されます)。それらのイエスの行為が祭司や律法学者たちの怒りを招き、イエスは十字架につけられます。「イエスの癒しは相手の苦しみを自分の身に引き受けることによって為された」と、マタイは癒しの背後にイエスの贖罪の働きを読み込み、福音書にイザヤの「主の僕の預言」を挿入したのです。
・このイザヤ53章が語るものは「贖罪信仰」です。イザヤ書の続きを読みます「彼が刺し貫かれたのは私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちはいやされた」(イザヤ53:5)。「主の僕の受難により今の私たちは平和に生きることが許されている」と捕囚の民は感謝し、マタイはそれを受けて「イエスの十字架死により私たちの罪は贖われた。そのイエスの贖いの業は生前のイエスの癒しの中に如実に示されていた」と語るのです。
・この贖いの意味を、ヨブ記を通して見ていきます。内村鑑三はヨブ記の中核は、19章25節「贖い主との出会い」であると語ります。ヨブは財産を奪われ、家族を失い、自己もらい病にかかって苦しみ、妻からさえも「神を呪って死になさい」(ヨブ2:9)と言われるほどの苦しみを体験します。そのヨブが苦闘の末に見出したものが「贖罪者」です。ヨブは語ります「私は知っている、私を贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、私は神を仰ぎ見るであろう。この私が仰ぎ見る、ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る」(ヨブ記19:25-26)。
・内村鑑三はヨブ記講演の中で述べます「ヨブは苦難を経て贖い主を知るに至り、その苦難の意味が分かった。すると苦難が苦難ではなくなった。ヨブはキリスト以前において、ここにキリストを見出した。人生の目的、意味は何か、それはキリストを知らんためである」(内村鑑三「ヨブ記講演」岩波文庫版p145)。マタイが人々を癒すイエスの姿に「苦難の僕」を見出したように、内村鑑三は苦難に苦しむヨブが苦難を通して「キリスト」を見出したと語ります。人生の途上においてキリストに出会った者は他に何もいりません。キリストが共にいて下さるのであれば、苦難は苦難のままで祝福になるからです。ここに癒し以上の福音があり、私たちはこの福音を伝えるためにこの教会に集められているのです。