江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年2月7日説教(マタイ福音書10:16-31、恐れるな)

投稿日:2021年2月6日 更新日:

 

1.弟子たちの派遣と苦難

 

・マタイ福音書を読んでいます。マタイは10章前半で、イエスが十二人の弟子たちを各地に派遣された様子を記します。その目的は「『天の国は近づいた』と宣べ、病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払う」ことでした(10:7-8)。ここにはイエスの肉声が息づいています。しかし弟子たちが派遣される地は危険に満ちています。だからイエスは語られます「私はあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(10:16)。

・17節から展開されるのは、その派遣された弟子たちがどのような迫害を受けるかの受難予告です。具体的には、イエスの教えを宣教したイエス後の教会が直面した出来事が語られています。「人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、私のために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる」(10:17-18)。イエスの時代には弟子たちが地方法院で裁かれ、会堂で鞭打たれることはありませんでした。またローマの法廷に引き出されて、裁かれることもありませんでした。これはマタイが福音書を書いた紀元80年頃の状況を反映しています。マタイはイエスの弟子派遣の出来事を想起しながら、今現在の派遣された教会が受けた苦難をここで述べています。

・マタイの教会は、現実にこのような迫害を体験しています。歴史学的調査によれば、マタイ教会はイエスの復活後(紀元30年)エルサレムで生まれ、十二弟子を中心にしたユダヤ人教会として活動し、イエスの言葉記録(Q資料)を基に宣教を行い、次第に異邦人改宗者をも含めた共同体に成長して行きました。しかし60年代後半に起こったユダヤ戦争ではイエスの「剣を取るな」という言葉を守って不参加の立場を守り(マタイ26:52「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」)、同胞ユダヤ人たちからは敵国ローマへの協力者として迫害を受け、ユダヤでの宣教活動に挫折してシリアに逃れ、その地でマタイ福音書を編集したとみられています(須藤伊知郎「新約聖書解釈の手引き」P268-269)。彼らは現実に、「地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれた」のです。その後パウロやペテロを中心にローマ帝国内の異邦人伝道に乗り出しますが、そこで彼らは「総督や王の前に引き出された」のです(使徒言行録16:23他)。

 

2.最後まで耐え忍ぶ者は救われる、だから恐れるな

 

・マタイの教会は復活されたイエスの言葉を聞き続けています。イエスは言われます「引き渡された時は、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である」(10:19-20)。イエスは続いて、さらに厳しい覚悟を弟子たちに迫られます。「兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」(10:21-22a)。これは教会が2000年間の歴史で何度も体験してきたことです。しかし「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(10:22b)と約束されます。

・実際に迫害を受けた時はどうすればよいのか。イエスは殉教ではなく、危険を避けて避難することを勧められます。「一つの町で迫害された時は、他の町へ逃げて行きなさい」(10:23a)。先に見たように、マタイ教会も、ユダヤ戦争の混乱を避けてシリアに逃れ、その地で福音書を完成しています。そしてイエスは「苦難はいつまでも続かない」と約束されます。「あなたがたが、イスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る」(10:23b)。マタイの教会は苦難と迫害の中に放り込まれましたが、イエスが再臨され、「神の国はまもなく来る」との希望の中に生きていたのです。

・迫害の中にある教会へ、復活のイエスは「人々を恐れてはならない」と語られます(10:26)。「体は殺しても、魂を殺すことにできない者どもを恐れるな」と(10:28)。そして言われます「二羽の雀は一アサリオンで売られているが、そんなはかない雀の命さえ神は守っておられる。雀より勝っているあなたがたを、神が守られないはずはないではないか」と(10:29)。「だから、恐れるな。あなたがたは雀よりもはるかにまさっている」とイエスは弟子たちを励まされます(10:31)。

・ここで注目すべきは、イエスが殉教を勧めておられないことです。「一つの町で迫害された時は、他の町へ逃げて行きなさい」とイエスは語られます。宣教使命の続行には「積極的逃亡」が必要だとイエスは教えられました。説教者・由木康は語ります「徳川時代のキリシタン迫害が残酷を極めた一因は、信徒に逃げよと教えなかったことだ。教職者は殉教の死を遂げても、信徒には逃れる道を与えるべきであった。信徒には、踏み絵を迫られたら、どんどん踏んで生きながらえ、心の中で信仰を持ち続け、信仰の火を絶やすなと教えるべきだった」。遠藤周作の小説「沈黙」が問いかけるのも、果たして「殉教だけが信徒の取るべき道だったのか」という疑念です。当時のイエズス会は「殉教の勧め(マルチリヨノススメ)」を信徒に教え、その中でこのマタイ10章の言葉「体は殺しても、魂を殺すことにできない者どもを恐れるな」(10:28)、「人々の前で私を知らないと言う者は、私も天の父の前で、その人を知らないと言う」(10:33)を引用しています。キリシタン時代の信徒たちは、ある意味で殉教を聖書に基づいて強制されたのです(尾西康充「神の沈黙と人間の沈黙」三重大学人文論集2012年)。これは聖書の正しい読み方ではないでしょう。

・確かに「地上の命の終りは永遠の命の終りではない」し、「恐るべきは永遠の命をさえ滅ぼされる神」のみです。また初代教会の信徒たちが、死を持って脅かされても信仰を捨てず、殉教して行ったのも事実です。しかし多くの人々がキリスト信徒になったのは、殉教者の存在ではなかったという歴史的事実を見る必要があります。教会史が語りますことは、福音書が書かれた紀元100年当時のキリスト教徒は数千人という小さな集団であり、紀元200年においても数十万人に満たなかった。その彼らが紀元300年頃から爆発的に増えた理由は、その時代に繰り返し疫病が流行し、その中で信徒たちが病人を訪問し、死にゆく人々を看取り、死者を埋葬し、その結果、疫病の蔓延が防がれ、人々の関心をキリスト教に向けさせたためだとされます。信徒の死にざまではなく、信徒の生きざまが人々を信仰に導いたのです。

 

3.この物語を私たちはどう聞くか

 

・今日の招詞にヨハネ黙示録3:20を選びました。「見よ、私は戸口に立って、たたいている。誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう」。ヨハネがラオディキア教会に宛てた手紙の一部です。ヨハネ黙示録はローマ帝国のキリスト教徒迫害の中で書かれた書ですが、全ての教会が迫害を受けたのではなく、体制に反抗しなかった教会には迫害はありませんでした。ラオディキア教会もそうでした。町は商業都市として栄え、豊かさを誇りましたが、人々の信仰は自己満足的な、生ぬるいものに堕していきました。そのような教会にイエスの言葉が臨みます「私はあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、私はあなたを口から吐き出そうとしている」(3:15-16)。無関心と不徹底な信仰生活を送る教会の信徒に対して、キリストは「私はあなたを口から吐き出そうとしている」と言われています。

・これは現代の私たちへの警告の言葉です。私たちも信仰が「熱くも冷たくもなく、なまぬるく」なっているのではないか。同志社大学・原誠の論文「戦時下の教会の伝道-教勢と入信者」(2002年3月)によれば、1942年の日本基督教団全教会の受洗者は年間5,929名でした。戦時下、国家による宗教統制は激しさを増し、ホーリネス教団や救世軍などに対する弾圧が起こり、国がキリスト教を「敵性宗教」として疑心の目で見ていた時です。その時に6千名近い洗礼者がありました。戦後、信教の自由が保証され、だれでも自由に教会に行くことが出来るようになった1998 年の受洗者は1900名でした。受洗者数は三分の一以下に低下しています。豊かさは信仰を生ぬるくするのです。

・マタイの教会や戦時下の日本教会は迫害の中で目覚めざるを得なかった、そのことが伝道の起爆剤になりました。矢内原忠雄は戦時下の1941年、聖書雑誌「嘉信」の中で、卒業する若者たちへの言葉を書いています。「君たちを今の時勢において世に送るは、子羊を狼の中に入れるようなものだ。しかし、心配することはない。君たちが信仰に立つ限り、神は君たちの楯となり力となって下さる。自分がキリスト者たる立場を明白にせよ。その時、君たちは世の憎悪と冷笑とを受けるであろうが、それで君たちはイエスの弟子となるのである。その時態度をあいまいにするな。最初の闘いに勝って、その地点に信仰の旗を立てておけば、後の闘いは闘い易いのである。隣人を愛せよ。弱き者を助けよ。君たちの存在をして、弱き者には喜ばれ、おごる者には憎まれる者たらしめよ。されば行け。元気で。主の平安の中に」。

・矢内原は経済学者で東大教授でしたが、内村鑑三の弟子として聖書を深く学んだ人でもありました。彼は1937年(昭和12年)に「国家の理想」という論文を「中央公論」に発表し、日本の中国への武力侵略を批判したため、東大を追われ、この時代は自宅で聖書講義を続けて若い人たちを教えていました。その卒業生に送る言葉こそ、イエスが私たちに語られた言葉ではないかと思います。キリストは私たちに「信徒ではなく、弟子に」なることを求めておられます。信徒は自分の救いを願い、弟子は他者の救いを願います。信仰の最初は信徒になることですが、そこに留まっていてはいけない。私たちは神の国を形成するためにこの教会に集められ、毎週の礼拝で、弟子としての覚悟を問われ、弟子としてこの社会に派遣されていくのです。

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