江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年12月5日説教(ヨハネ1:1-13、初めに言があった)

投稿日:2021年12月4日 更新日:

 

1.神が人となって来られた

 

・待降節を迎えています。今日、私たちに与えられました聖書箇所はヨハネ1:1-13、ヨハネ福音書の最初の言葉(序文)です。この序文は初代教会の讃美歌(ロゴス賛歌)であったと言われています。ヨハネは語ります「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(1:1)。この言葉=ロゴスを「キリスト」と読み替えると意味がはっきりします。「初めにキリストがおられた。キリストは神と共におられた。キリストは神であった」。そして、「言(キリスト)は肉となって私たちの間に宿られた」(1:14)。ヨハネは、クリスマスの本質とは「神が人となって私たちの所へ来られた」、その一点にあると考えています。

・ヨハネ福音書は、「初めに=エン・アルケー」と言う言葉で始まります。その時、ヨハネの心には、創世記1章1節が浮かんでいたと思います。当時、ヨハネが読んでいた聖書は70人訳ギリシャ語聖書で、その最初の創世記は、「初めに=エン・アルケー」で始まります。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた“光あれ”。こうして、光があった」(創世記1: 1-3)。天地が創造される前、地は混沌であった、何も見えない闇の中にあった。しかし、神が「光あれと言われると光があった」。

・創世記は捕囚地バビロンで書かれました。イスラエルはバビロニア帝国に征服され、住民は捕虜として敵国の首都バビロンに囚われています。彼らの前途は見えず、彼らは暗い闇の中にありました。私たちの神が弱いからバビロンの神に負かされたのか、自分たちはこれからどうなるのか、いつに日か故郷に帰れるのだろうか。彼らは不安と絶望に中で、それでも安息日に集会所に集まり、礼拝を捧げました。その礼拝の中で、神が共におられることを彼らは感じ、知り、闇の中に一筋の光がさしました。その喜びが創世記1章1節「神が“光あれ”と言われると、光があった」という言葉に表現されています。「光あれ」という言葉をヨハネも今、聞いています。ヨハネの教会はユダヤ教社会からの迫害の中にありました。ユダヤ人たちはキリスト教徒たちを会堂から追放し、村八分にしました。「暗闇は光を理解しなかった」とヨハネはつぶやきます。

・ヨハネは語ります「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(1:4-5)。神は一人子イエスを世に送られたが、闇の中に住む人々はイエスが神から来られたことを認めず、彼を殺した。そして今彼らはヨハネ教会の人々を迫害しています。何故、世の人々はキリスト・イエスを殺したのみならず、私たちをも迫害するのか。何故、「イエスこそキリスト(救い主)である」と信仰告白することによって、村八分にされねばならないのか。「暗闇は光を理解しなかった」、この言葉の中に、厳しい現実の中にあるヨハネの教会の叫びがあります。

・この認識は現代の私たちも抱いている認識です。カトリック神学者の阿部仲麻呂氏はこのような喩えを語ります「幼稚園のクラスの中で、爪弾きにされ、誰からも声を掛けてもらえぬ園児がいた。彼は一人寂しく砂場にうずくまっていた。毎日が闇、時が止まり、生き地獄となる。しかし背後から、自分の名前を呼んでくれる相手が近づいてきた時、闇は一挙に照らされた。灰色の人生が瞬時にバラ色になった。愛情に満ちた時が流れ始める。実に創造の業は、相手を大切に呼ぶ声から始まる」(福音と世界、2014年1月号から)。この園児のような経験を、私たちも学校や職場で経験します。学校や職場や地域で仲間はずれにされた、一人ぼっちだった、そのような経験を私たちも多かれ少なかれ持っています。その時「光あれ」という言葉が響く。その言葉により、全てが変わった。相手から大切にされ、名を呼ばれた人は、混とんの闇の中から立ち上がることができるのです。
・ヨハネは続けます「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(1:10-11)。イエスを十字架につけたのは、ユダヤ教の祭司や律法学者でした。祭司たちは「神殿に礼拝し、十分の一の献げ物をすれば救われる」と人々に教えました。しかし、その献げ物は祭司が生活を立てるための物になり、彼らは宗教貴族として贅沢三昧の暮らをしていました。律法学者たちは神の言葉である律法を守るように教えましたが、自らは「宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好」みました(マタイ23:6-7)。律法学者もまた仕えられることを求めていたのです。祭司や律法学者たちは、自分たちは神に仕え、光の中にあると思っていましが、実は彼ら自身も闇の中にいた。そのことをイエスが批判されると、彼らはイエスを憎み、殺しました。

2.神の子となるとはどういうことか

・「世は言を認めなかった」、「民は光を受入れなかった」、ヨハネの教会は行き場のない苦難の中にいます。しかし、ヨハネは希望をなくしてはいません。多くの人々はイエスを拒絶しましたが、小数の者は信じました。そして「言は、自分を受入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(1:12)。神の子になるとは、命の根源である神によって生かされるということです。その人々は「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」(1:13)。

・私たちは人間的には肉の両親から生まれてきましたが、霊の目で見れば、「神によって生まれた」。私たちもヨハネの教会と同じように少数派、人口の1%しかキリスト者のいない世界で生きています。しかし私たちは1%であることを恥じない。むしろ誇る。「言は、自分を受入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」、私たちは与えられた使命を果たすために「創造された」。私たちはこの地の国で、「地の塩」、「世の光」として生きるように創造されたのです。

・神の言葉は、それが自分に与えられた言葉であると受け止めた時に出来事になっていきます。マザーテレサは1910年アルバニアに生まれました。彼女の父は民族紛争の中で殺されました。何故、人と人が殺しあうのか、彼女は悩みの中で、聖フランシスの祈りを書いた書物に出会います。次のような言葉です「主よ、私をあなたの平和の道具としてください。憎しみのある所に愛を、侮辱のある所に許しを・・・闇のある所にあなたの光を・・・慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください」。その言葉が彼女に修道女になる決心を促します。神の言葉は新しい創造を生みます。

・修道女となったマザーはインドに派遣されますが、そこで彼女が見たのは、ヒンズー教徒とイスラム教徒が対立し、殺し合う光景でした。そこにもまた闇が広がっていました。彼女は修道院を出て、道端で死んでいく人々を救済する活動を始めます。彼女は語ります「先日町を歩いているとドブに誰かが落ちていた。引揚げて見るとおばあちゃんで、体はネズミにかじられウジがわいていた。意識がなかった。それで体をきれいに拭いてあげた。そうしたら、おばあちゃんがパッと目を開いて、『Mother、 thank you 』と言って息を引き取りました。その顔は、それはきれいでした。あのおばあちゃんの体は、私にとって御聖体でした」。「御聖体」、カトリック用語でキリストの体を意味します。光を受け入れた者には「おばあちゃんの体」もキリストの体になります。言は受入れた人の人格を変え、闇の中に光をもたらすのです。

3.神の子の受肉を喜ぶ

 

・今日の招詞にヨハネ1:14を選びました。次のような言葉です「言は肉となって、私たちの間に宿られた。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」。言が出来事になった、神が人となられたとヨハネは宣言します。肉体は限界をもつもの、不完全なもの、弱いものです。しかし神の子がその不完全な存在となることによって、私たちが救われる道が開けたとヨハネは言います。その救いとは、不完全な私たちが、神によって受入れられ、生きることを赦されていることを知ることから生れます。だからこそ、闇の世にあっても、マザーテレサのように、自分の出来る良いことを始める人が生まれてくるのです。
・私たち現代人は「神は死んだ」として、人間の知性や理性に信頼を置く生き方をしてきました。私たちは神を排除し、神を見失いました。自分を越える存在を持たない世界では、人間が絶対化され、人は他者より優位に立つことを求め、能力の劣る者を障害者、敗者として排除するようになり、その結果この世は弱肉強食の社会になってきました。人間は争い合い、殺し合い、終には世界大戦という全世界的な殺し合いまでするようになりました。二度の世界大戦を経験した人間は、人間の中にこそ悪があり、闇を造り出すのは人間であることに気づきました。神のいない世界では、自己が優越するために他者を蹴落とすしかない、その時、人間の周りに闇が広がります。人間は神なしでは、善を行うことも、人を愛するもできない存在なのだということに気づいた人々は神の名を呼び求め、神はそれに応えて独り子を送って下さった。それが私たちのクリスマス理解です。

・クリスマスは光の祭典です。私たちはろうそくの光を灯してそのことを象徴します。教会は伝統的に12月25日をイエス・キリストの誕生日として祝ってきましたが、歴史上はイエスがいつお生まれになったのか、わかっていません。12月25日をイエスの誕生日として祝うようになったのは、4世紀頃からで、当時行われていた冬至の祭りを、教会がキリストの誕生日に制定してからです。冬至は夜が一番長い時、闇が一番深まる時です。しかしまた、それ以上に闇は深まらず次第に光が長くなる時です。人々はこの冬至の日こそ、光である救い主の誕生日に最もふさわしいと考えるようになりました。「光は暗闇の中で輝いている」(1:5)。私たちは暗闇の中でこの言葉を聞き、その光に希望と慰めを託します。先に紹介した阿部仲麻呂氏は語ります「神学とはキリスト者の信念を全世界に向けて宣言することである。信仰に基づく生き方が、キリスト教と縁遠い他の人びとにとっても意味があることを、身をもって証しすることである」。だから光の誕生であるイエスの生誕を周りの人に伝える。それが私たちのクリスマスです。

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