江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年9月6日説教(出エジプト記13:17-22、荒野へ)

投稿日:2020年9月5日 更新日:

1.荒野へと導かれる

 

・出エジプト記を読み続けています。エジプトで奴隷だったイスラエルの民は、エジプトから解放され、約束の地を目指して旅を始めます。エジプトを出た者は男子だけで60万人であったと聖書は記します(12:37)。「男子だけで60万人」、女子供を入れると200万人になります。これは実際にエジプトから逃れた人々の数というよりも、出エジプト記が書かれたダビデ・ソロモン時代のイスラエル全人口を示すと理解されます。それは、神の救済の業が過去だけではなく、現在も続くとの信仰告白の表現です(12:26-27)。エジプトを出たのは男子や女や子供も加えれば、1万人近い群れであったと推測されます。また牛や羊等の家畜も伴っていたとされます(12:37-38)。神はその民を、海沿いの道ではなく、遠回りの荒野の道に導かれました。本日のテキスト、出エジプト記13章の記述です。「ファラオが民を去らせた時、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれないと思われたからである。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った」(13:17-18)。

・海沿いの道、ペリシテ街道と言われる道は、地中海に沿ってカナンに至る道で、エジプトとメソポタミアを結ぶ古代オリエントの幹線道路でした。距離は300キロ、歩いて12日の道のりです。商業的・軍事的に重要な街道ですから、要所には警備隊が配置されていました。そこを、1万人を超える集団が通れば、警備隊や地元住民との争いが生じます。女子供を含めた雑多な共同体が、訓練をつんだ兵士たちと戦いながら旅をすることは難しい。だから、神は、民を「海沿いの道」ではなく、葦の海に通じる「荒野の道」に導かれたと聖書は記します。

・荒野の道は、紅海沿いにシナイ半島を進み、その後カナンに至る道です。荒野ですから、道のりは険しく、岩や石の砂漠が広がり、水も食べ物も乏しい道でした。神は民を励ますために、「見えるしるし」でその臨在を示されたと聖書は記します。「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた」(13:21-22)。このしるしに導かれて民は荒野への道を歩き始めます。

・その荒野での民の体験が14章以下に記されています。民が逃亡した後、エジプト王は軍勢を整え、追跡して来ました。今、民の目の前には葦の海が立ちふさがり、後方にはエジプトの軍隊が迫ります。民は恐怖と混乱に襲われ、神を呪い始めます。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか」(14:11-12)。民はエジプトで奴隷としてうめき苦しみ、神の助けを求め、その求めに応じて、神はモーセを送り、民をエジプトから救い出されました。民は感謝し、意気揚々としてエジプトを出ました(14:8)が、目の前に敵が迫ると叫びます「何故私たちをエジプトから救い出したのか、エジプトにいた方が良かった」、モーセは民に訴えます「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない」(14:13)。

・「葦の海(紅海)の奇跡」が起こります。強い東風が吹き始め、葦の海が二つに分かれ、民は海を渡ることが出来ました。しかし、エジプト軍がそこに入った時、東風は止み、海は逆流し、軍勢の上を水が覆い、彼らはおぼれて死んだとあります(14:28)。紅海の奇跡、映画「十戒」で「海が分かれる」シーンは印象的です。ただ出エジプト記14章には相矛盾する記述が重複して出てくることに留意する必要があります。記事は複数の資料によって構築され、一つがヤハウェ資料と呼ばれるもので、概ね古代からの伝承に沿った記述をしています。もう一つが祭司資料と呼ばれるもので、神学的な立場から後世の人々が書き込みをしたもので、出来事を奇跡的に描く傾向があります。例えば14:22「イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった」は祭司資料であり、事実の描写というよりも、信仰的な立場から表現されています。

・私たちは「神は自然の摂理を無視した奇跡は為されない。それは魔術であって神の御業ではない」と考えますので、概ね古代からの伝承であるヤハウェ資料に基づいて、物語を読んでいきます。その時、見えてくるのは、「ナイル川のデルタ地帯の潮の満ち引きがこの出来事を可能にしたのではないか」という推測です。この物語は「紅海の奇跡」とも呼ばれ、アフリカ東岸とアラビア半島を分ける紅海で起きたような印象がありますが、原典では「葦の海」(ヘブル語ヤム・サーフ)であり、それがギリシャ語に訳される時、誤って「紅海」とされたのです。あくまでも物語の舞台は、「葦で覆われた沼地、ナイル川デルタ地帯の湿地」です。ヤハウェ資料は「神が自然現象なる東風を用いて海を分かたれた」ことを記し(14:21b)、祭司資料は「モーセが手を挙げることによって海が分かれた」として、より奇跡的な要素を強調しています(14:21a、14:26)。私たちは前述のようにヤハウェ資料を用いて物語を読んでいきます。

 

2.荒野を旅する

 

・この奇跡を見て、民は歌い踊って神を讃美しました(15章「海の歌」)。民は葦の海を渡り、旅を続けます。荒野ですから、しばらくすれば食べ物が底をつきます。民の不満が再び神に向かいます「我々はエジプトの国で、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、・・・飢え死にさせようとしている」(16:2-3)。神は彼らのために、マナと呼ばれる食物を用意されます(16:12)。民はマナを与えられて感謝しますが、やがてマナに飽き、つぶやき始めます「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、私たちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」(民数記11:5-6)。民は出エジプトの奇跡を見ました。葦の海でエジプト軍から助けられる奇跡も見ました。食べ物がなくなるとマナが与えられる奇跡も見ました。しかし今、彼らは言います「マナには飽きた。エジプトでは肉もたまねぎもあった。エジプトが良かった」。人は回心してもすぐに忘れる存在なのです。だから繰り返し、神の前に立つことが必要であり、私たちは毎主日の礼拝を必要とします。礼拝なしには、私たちは神の恵みから離れる存在なのです。

・出立から2年後、民は約束の地の入り口に導かれ、偵察隊が出されました。カナンの地には既に人が住んでいました。民はその住民が強く、都市の城壁も高いのを見て、恐れ始めます。彼らは約束の地に入ることを躊躇って言います『エジプトの国で死ぬか、この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった。どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ・・・さあ、一人の頭を立てて、エジプトへ帰ろう』」(民数記14:1-4)。主の忍耐は切れ、主は彼らを荒野に追い返されました。こうして、「荒野の40年」の旅が始まります。

・民が約束の地であるカナンに導き入れられたのは40年後でした。12日で到達できる道のりを、彼らは40年間もかけて歩かされたのです。今日の招詞に申命記8:2-4を選びました。「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。」

 

3.遠回りの道

 

・イスラエルの人々は思ったでしょう。「約束の地まで歩いて12日の道のりなのに、自分たちは何故40年間も荒野を歩かされたのか。最初にエジプトを出た仲間の多くは荒野で死んでしまった、これが救いなのかと」。しかし40年間を振り返った時、彼らは神に感謝しました。「この四十年の間、まとう着物は古びず、足がはれることもなかった」、「神は荒野に共にいてくださった」と。エジプトを出たばかりの民は、恵みが与えられれば歌い踊って讃美しますが、困難が来れば神を呪う存在でした。あてにならない神の約束よりも、パンをくれるならエジプトの奴隷の方が良いさえ思っていました。彼らは烏合の衆であり、秩序も統制も無かった。まだ約束の地に入る要件を備えていなかった。だから神は彼らを荒野に導かれました。荒野で民は十戒を与えられ、戒めに生きる民にされるために、多くの試練が与えられました。その試練を経て、彼らは「人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出るすべての言葉によって生きる」と告白出来るまでになりました。イスラエルは40年間を振り返って、この40年を自分たちの神の、自分たちに対する救いの行為と受け止めました。その時、荒野の40年が祝福になりました。

・聖書古代史を専攻するカトリック司祭・和田幹男氏は出エジプトの出来事について次のように述べます「出エジプトの出来事は世界史的には規模の小さい出来事であったが、これを体験したヘブライ人の集団とその子孫にとっては忘れられない大きな出来事であった。人間的には不可能に見えた脱出に成功し、そこに彼らは自分たちの先祖の神、主の特別の御業を見た。この歴史上の実際の体験を通じて・・・自分たちの神は歴史的な出来事に関わってくださるお方だという認識を得るにいたった。歴史を導く神というイスラエル独特の神認識がそれ以来始まった」(和田幹夫「神の軌跡を求める旅」から)。

・私たちの人生では、ある時は病気で、ある時は事故で、遠回りの道を歩むこともあります。出エジプト記が私たちに教えるのは、遠回りでも良いではないかということです。人は苦難に直面することで、たくましさを養いながら成長して行く存在です。近道、安易な成功は人生を狂わせます。約束の地に入った民は、当初は神の導きに感謝しますが、豊かさに慣れてくるとそれを当然のように思い始め、『もっと欲しい』と思い、それを約束する偶像の神に惹かれていきます。士師記やサムエル記は、約束の地に入った後の、民の堕落と主の懲らしめを物語ります。それが示すのは、「約束の地に入ることが救いではない」ということです。言い換えれば、「約束の地に入る、あるいは人生で何かを達成するのが救い」なのではなく、「神が共におられることを知る」ことこそ救いなのです。遠回りでも、困難の中にあっても、いや逆に困難にあるからこそ、神の臨在が確認できる荒野こそが、私たちの歩む道なのではないかと思います。

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