1.モーセとファラオの争い
・聖書教育に基づいて出エジプト記を読んでいます。イスラエルはヨセフの時代にエジプトの地で定着し、数を増やしますが、400年が経ち、ヨセフを知らない王が登場し、民は奴隷とされ、強制労働に喘ぎ、神に救いを求めます。神は人々の苦しみの叫びを聞き、モーセをエジプトに派遣して民を救済されようとされます。そのモーセは召命を受けた時、繰り返し辞退しています。神はモーセに「私は必ずあなたと共にいる」(3:12)と約束され、彼をエジプトに送り出されます。モーセはエジプトに行き、エジプト王にイスラエル人の解放を求めますが、王は拒否し、ここにエジプト王(ファラオ)とモーセ(その背後にいる神)の戦いが始まり、その戦いのクライマックスに「主の過越し」があります。
・モーセはエジプト王に会い、イスラエル人をエジプトから去らせよと求めます。「モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った『イスラエルの神、主がこう言われました。私の民を去らせて、荒れ野で私のために祭りを行わせなさい』と」(5:1)。しかしエジプト王は拒否します「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことを私が聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。私は主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」(5:2)。お前たちが主と呼ぶヤハウェという神はお前たちイスラエルの部族神に過ぎないではないか、どうして世界の王であるエジプト王がイスラエルの部族神の要求に従う必要があるのかと反論したのです。
・エジプト王にとって、イスラエル人は建設工事を担い、田畑を耕す重要な労働資源、財産でした。その財産を名前も聞いたことのない神のために放棄するわけがありません。エジプト王はモーセたちの要求を体制に対する反抗として、イスラエル人への労働強化を行います。エジプトに派遣されたモーセは、ファラオに要求を拒否され、そのことによって民の信頼も失い、神に苦情を言います。そのモーセに神は約束を繰り返されます「今や、あなたは、私がファラオにすることを見るであろう。私の強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる」(6:1)。こうしてモーセとファラオの戦いが始められます。それは誰がエジプトを支配しているのか、エジプト王なのか、主なる神なのかの戦いでもあります。
2.しるしを示される神
・神は言われます「それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。私は主である。私はエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う」(6:6)。そのためには長い時間と多くの出来事が必要でした。神の大いなる力としての奇跡が出エジプト記7-11章に十の災いとして展開されます。①ナイル川の水を血に変え、②蛙を大量繁殖させ、③ぶよが地に満ち、④あぶの害が与えられ、⑤家畜の疫病が発生し、⑥腫れ物の災いが起こり、⑦雹で家畜を撃たれ、⑧いなごの災いが来て、⑨闇の災いも起こり、⑩最後に過越しを迎えます。繰り返し起こった災いを見た時、いずれの災いもエジプトの気候風土に関連したものであることがわかります。神は自然を通じてその御業を行われ、エジプト人はそれらを「自然現象に過ぎない」として神の存在を否定し、イスラエル人はそこに「自然現象を超えた神の御業」を認めていき、それが出エジプト記7章から11章までの記述に現されています。
・それは私たちが2011年に起こった東北大震災をどのように受け止めるのかということとも関連してきます。東北大震災は地球を覆うプレートの変動によって生じた海溝型地震であり、それはおおよそ100年周期で発生する自然現象です。しかしその自然現象によって2万人を超える方が亡くなられた、その時この自然現象は別の意味を持ってきます。多くの方の犠牲を通して、神は私たちにやがて起こる東海・東南海・南海地震(100年から150年周期で起きている、最後の発生は1854年)に備えよと語っておられると聞く時、それは「主の御業」となっていきます。ここに贖いの業としての災害の意味があるように思います。そして出エジプトにおいては「主の過越し」の形でなされました。
3.主の過越しと私たち
・数々のしるしにもかかわらず、ファラオは悔い改めません。そのため最後の災いがエジプトに臨みます。それはエジプト中の初子を全て滅ぼすというものでした。そのことが12章以下に語られています。主はまずイスラエル人に、やがて来る災害に準備をするように命じられます「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである」(12:21-23)。そして主の過越しが始まります「真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった」(12:29-30)。
・何が起こったのでしょうか。詩編78編によれば、「彼らの命を疫病に渡し、エジプトのすべての初子を、ハムの天幕において、力の最初の実りを打たれた」(詩編78:51)とありますので、一夜にしてエジプトの子供たちが疫病に撃たれた可能性があります。エジプトのミイラの中には天然痘とみられる死者が見出されており、病気は天然痘だったのかもしれません。
・疫病がエジプト人を襲い、幼児が犠牲になりました。私たちはこの出来事に痛みを覚えます。しかし「罪は血で贖われなければならない」ということは厳然たる事実です。第二次大戦末期、ドイツの諸都市は空爆され、多くの子供たちの命が奪われました。ドイツの平和は彼らの犠牲によって贖われたのです。日本でも事情は同じです。日本の平和もまた、空襲で、原爆で、戦闘で亡くなった多くの方の贖いの上に築かれています。日本の指導者たちは原爆投下まで敗戦を受けれず、あくまでも戦おうとしていました。原爆投下が「日本の過越し」でした。「人の血を流す者は人によって自分の血を流される」(創世記9:6)。エジプトからの解放はエジプトの幼児の死を通して贖い取られたものです。そして、この出来事がなければエジプト王は民を解放しなかったでしょう。
・エジプト王はこの度初めて、そこに「自然を超えた神の御業」を認め、神の前にひざまずき、民の解放を約束します。神の初子であるイスラエルの救いのために、エジプトの初子が犠牲となった。戦争(剣)にしても、飢饉にしても、疫病にしても、地震などの災害にしても犠牲になるのは、貧しい者たち、障害を抱えた人たち、老人や子供たちです。私たちはこの出来事に痛みを覚えます。しかし、この出来事がなければファラオは民を解放しなかったでしょう。エジプト王はこの度はそこに自然を超えた神の御業を認め、神の前にひざまずき、民の解放を約束します。先に見ましたように、今回の東北大震災を贖いの業として見た時、震災の意味が変わってきます。この「尊い犠牲をどのように生かすのか」が私たちに問われるようになるのです。
・今日の招詞にマルコ14:22‐24、主の晩餐を選びました。次のような言葉です「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取りなさい。これは私の体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。『これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である』」。
・イスラエルがエジプトから解放された出エジプトを記念するために、人々は「過越しの祭り」を祝うようになりました。この過越しの出来事は新約にも継承されています。パウロは語ります「古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、私たちの過越しの小羊として屠られたからです」(第一コリント5:7)。祭りの三日目にイエスが復活された故に、私たちは過越しの祭りをイースター(復活祭)として祝います。ユダヤ暦は太陰暦であり、過越し(ペサハ)は「春分の日の後の最初の満月の日」に祝われます。太陽暦である西暦に換算すると、年によって日付が変わります。イエス・キリストはニサンの月の14日(過越の準備の日)に処刑され、三日目に復活されました。ですから復活祭は「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われます。復活祭はギリシア語ではパスカですが、これは過越祭(アラム語パスハ、ヘブライ語ペサハ)からきます。神の独り子イエス・キリストが、私たちのための「過越の羊」として死なれた。私たちはそのことを感謝して、新しい過越祭を祝いつつ歩む神の民なのです。
・私たちはイエス・キリストの血の贖いを通して神に買い取られ、罪の支配から解放され、自由を与えられ、新しい神の民として歩み出しました。高価な犠牲が私たちのために支払われた、だから私たちは主イエス・キリストの十字架の死を、私たちの過越しの出来事として受け入れるのです。十字架により贖われ、復活により解放された、イースターこそ私たちの過越しです。そして私たちは毎週小さな過越しを祝います。それが主の日の礼拝です。主イエスは週の初めの日、日曜日に復活されました。そのことを記念して教会は日曜日を「主の日」と呼び、礼拝を持ちます。この主の日の礼拝におい て、イエス・キリストの贖いによって神が与えて下さった罪の赦しをいただき、解放され、約束の地に向けて、歩み出すのです。
・私たちの教会は、コロナウィルス感染拡大のため、教会学校・食事会・コーヒータイム・聖歌隊讃美等を休止し、感染防止対策を可能な限り行い、礼拝と祈祷会を守ってきました。7月からは主の晩餐式を第一主日に加え第三主日にも行っています。「ソーシャル・ディスタンス」でコミュニケーションを奪われた私たちが同じ場所で、同じパンを共に食べ、一つの体となることは素晴らしいことだと思います。またコロナウィルス感染拡大の犠牲は、既往症のある方、老人や子供たちに重く襲いかかっています。学校は休校とされ、学校給食も休止し、お子さんの食事に困っている方がいることを知り、今年5月からフードバンク献品を行い、食品の持ち込みを行ってきました。私たちはコロナウィルスの危機の中で、最大限の感染防止対策をしつつ、礼拝、主の晩餐、フードバンクの働きに協力し、隣人を裁かない、新しい一週間を共に歩み出してていきたいと思います。