江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年10月18日説教(コヘレト4:1-12、不条理の世をどう生きぬくのか)

投稿日:2020年10月17日 更新日:

1.人生の不条理にコヘレトはどう対処するのか

 

・コヘレト書を読んでいます。コヘレトは「この世に悪があること、そのことにより多くの人が苦しんでいる」現実を見つめます。3章でも彼は語りました「太陽の下、更に私は見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるのを」(3:16)。世の現実は不条理に満ち、正義を行うべき司法の場にも、行政の場にも悪があります。4章はこの3章に続いて、世の悪に対してどう対処すべきかについてコヘレトの言葉です。彼は語ります「私は再び、日の下で行なわれる一切の虐げを見た。見よ、虐げられている者の涙を。彼らには慰める者がいない。虐げる者が権力をふるう。しかし、虐げられている者には慰める者がいない」(4:1、新改訳)。イスラエルの伝統神学では、「神は弱者が虐げられたままには放置されない」と説きます(箴言22:22-23「弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。貧しい人を城門で踏みにじってはならない。主は彼らに代わって争い、彼らの命を奪う者の命を、奪われるであろう」)。しかし世の現実は異なります。「見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はない」とコヘレトは語ります。だから彼は「死んだ人の方が幸いだ。彼らはもうこれ以上、悪を見る必要はないのだから」(4:2)、更には「いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから」(4:3)と語ります。

・アウシュビッツで250万人のユダヤ人が殺された時、誰も助ける人はいませんでした。1994年ルワンダで100万人以上のツチ族が大量殺戮された時、駐留していた国連平和維持部隊は騒乱に介入せず、虐殺を見殺しにしています。現在のシリヤやガザで起きている大量殺戮にも誰も介入しません。「神はどこだ。どこにおられるのだ」と叫ばざるを得ない現実があります。コヘレトはその現実の中で嘆息します。しかし彼もまた何も行動しません。私たちも同じです。批判はしますが、行動しない。「何をしても同じだ、空しい」というあきらめが、彼や私たちを支配しているからです。

・不条理は起こり続け、虐げられて泣く人が絶えることはありません。その中で最大の悪は他人の不幸に無関心であることです。日本人の無関心の一つが難民問題です。日本では数万人の難民申請に対して認定は一桁です。アメリカやイギリスが数千人の難民を毎年受け入れるのに、日本は難民の流入を制限し続けています。しかし国民からは批判の声は挙がっていません。自分たちの問題ではないからです。聖書では難民は寄留者として登場します。「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であった」(出エジプト記22:20)。私たちの江戸川区にはフィリッピンやブラジル、インド、中国等から来た大勢の外国人がいます。都内で二番目に外国人居住者(寄留者)が多い場所です。私たちが難民問題に無関心であることは聖書に不誠実であるばかりでなく、地域に対しても不誠実です。難民問題は教会が取り組むべき課題ではないかと思います。何が出来るのか、何をすべきなのかを、考える時です。

 

  1. 孤独な人生は空である

 

・4節からは、「労働」の問題にコヘレトは言及します。私たちは何故働くのか、ある人は「自分と家族が食べていくため」と答え、別な人は「仕事を通して社会に貢献したい」と答え、更には「何かを創造するために働く」と答える人もいるでしょう。コヘレトは「人間が労働するのは他人よりも優位に立ちたいからだ」と語ります。「人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これまた空しく、風を追うようなことだ」(4:4)。コヘレトは労働それ自体を悪としているのではありません。しかし労働を変質させてしまう悪を批判しています。人より偉くなりたい、人よりいい生活をしたいという欲望が私たちを突き動かし、その結果、労働が競争の下に置かれ、労働が喜びから苦難になって行きます。そして競争に負けた者は社会の中で居場所を失います。勝ち組、負け組という言葉がそれを象徴しています。

・天地創造を記す創世記は語ります「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」(2:15)。この耕す=アーバドは、「仕える」という意味を持ちます。創造前、地に仕える人がいなかった時、大地は何も生まなかった。しかし、人が創られ、地を耕して行くと、地は収穫をもたらします。耕す(cultivate)時、そこに文化(culture)が生まれていく、ここに聖書の労働観があります。人は働くために創造され、使命感をもって働く時こそ、人は本当に生きる存在となるとの主張です。創世記では、その人が罪を犯す事により、地が呪われ労働は労苦になったと語ります(創世記3:18-19)。本当の労働は神から与えられた地を耕すことであり、人間同士が競争して収穫を競いあうことではありません。

・コヘレトは語ります「愚か者は手をつかねてその身を食いつぶす。片手を満たして、憩いを得るのは、両手を満たして、なお労苦するよりも良い。それは風を追うようなことだ」(4:5-6)。「愚か者は手をつかねてその身を食いつぶす」、怠惰であることは論外です。しかし「両手を満たして、なお労苦する」、張り詰めた状態で働き続けるのもまた悪だとコヘレトは指摘します。日本では長時間労働による過労死が繰り返し起きています。過重労働により心身共に追い詰められて過労自殺をしていく現実があります。そのため、聖書は休息の必要性を繰り返し語ります。それが安息日規定です。出エジプト記は伝えます「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである」(23:12)。「元気を回復するために仕事を休め」、「片手を満たして、憩いを得よ」と聖書は語るのです。

・私たちが働く真の目的は、労働の成果を家族と分かち合い、人生を楽しむためです。しかし、「蓄えた富を共に楽しむ妻や子や友のいない人生は何と空しいことか」とコヘレトは語ります。「私は改めて、太陽の下に空しいことがあるのを見た。一人の男があった。友も息子も兄弟もない。際限もなく労苦し、彼の目は富に飽くことがない。『自分の魂に快いものを欠いてまで誰のために労苦するのか』と思いもしない。これまた空しく、不幸なことだ」(4:7-8)。神は「人が一人でいるのは良くない」と言われて同伴者を造られました(創世記2:18)。コヘレトも「一人よりも二人の方が良い」と語ります。「一人よりも二人が良い。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、一人がその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。更に、二人で寝れば暖かいが、一人でどうして暖まれようか。一人が攻められれば、二人でこれに対する。三つよりの糸は切れにくい」(4:9-12)。現在の日本社会は大家族、核家族を経て、小家族の時代になっています。高齢化社会の進展の中で単身世帯が655万世帯、夫婦のみ世帯752万世帯もあります。「三つよりの糸」を持ちにくい、孤独な人が増えているのです。ここに教会の役割があります。イエスは語られます「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(マタイ18:20)。地域コミュニティーとしての教会の役割が発揮されるために何を為すべきか、知恵が求められています。

 

  1. 不条理の中でどう生きるのか

 

・コヘレトは4章で「貧しい者が虐げられても救済する者は誰もいない」と嘆きました(4:1-3)。コヘレトは5章で改めて経済的不平等の問題に言及します。何時の時代、どの社会にも構造的悪の問題があり、人はそれを克服できないと彼は嘆きます。「貧しい人が虐げられていることや、不正な裁き、正義の欠如などがこの国にあるのを見ても、驚くな。なぜなら身分の高い者が、身分の高い者をかばい、更に身分の高い者が両者をかばうのだから」(5:7)。しかしその結果得られる富は必ずしも人間を幸せにはしないと彼は語ります「銀を愛する者は銀に飽くことなく、富を愛する者は収益に満足しない。これまた空しいことだ。財産が増せば、それを食らう者も増す。持ち主は眺めているばかりで、何の得もない」(5:9-10)。また富があれば幸福な人生が送れるわけでもありません。彼は語ります「働く者の眠りは快い、満腹していても、飢えていても。金持ちは食べ飽きていて眠れない」(5:11)。贅沢な食生活は糖尿病や心臓疾患を増大させ、健やかな眠りを奪います。労働後の眠りによって真の休息を得るのは、働いて疲れた者たちであり、働かない者には安眠はないのです。

・今日の招詞にコヘレト5:17を選びました。次のような言葉です。「見よ、私の見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ」。人生の喜びは「労働」、「休息」、その結果としての「日常生活の充実」です。土地を耕す農夫は収穫の報酬を受けますが、同時にその収穫は神が太陽と雨を恵んでくださったからこそ可能であることを知り、神に感謝します。この感謝の人生こそ、コヘレトが見出した人生の意味です。かれは続けます「神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを与えられるのだから」(5:18-19)。

・「今日一日を充実して生きよ」というのが、コヘレトの語る人生の知恵です。スティーブ・ジョブズはアップル社を創業し、この世的には栄華を極めましたが、56歳ですい臓がんのために亡くなっています。彼は生前「墓場で一番の金持ちになるなんて何の意味がある。今日は最高だったといって眠りにつく。私にはこっちのほうが重要なのだ」という言葉を残しています。また彼は言います「もし今日が人生最後の日だとしたら、何をするだろうか」、スティーブ・ジョブズの生き方はコヘレトと通じます。コヘレトは「今日一日を充実して生きよ」と語りましたが、それこそまたイエスが語られたことです「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6:33-34)。

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