2018年8月12日説教(創世記23:1-20、サラの死と埋葬)
1.サラの死
・創世記23章はアブラハムの妻サラの死と彼女の埋葬の記事です。サラは127歳で死んだと創世記は記します。「サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ」。(23:1-2)。サラがアブラハムと共に約束の地に向かったのは65歳の時、それから62年間、サラはアブラハムと労苦を共にし、いまその生涯を閉じました。妻の死をアブラハムは悲しみ、泣きました。しかし、すぐに次の行動に移ります。サラの死によって、サラの遺体を葬る墓をどうするかという課題が出てきました。アブラハムはこの地においてまだ一坪の土地も自分のものとして持ってはいませんでした。
・アブラハムは、サラのためにカナンの地に墓地を購入しようとし、土地の人々と交渉を始めます。「私は、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです」(23:4)。アブラハムは自分を「寄留者」と表現します。信仰者はこの世では寄留者、旅人です。その寄留者がこの地上で持つ唯一のもの、それが家族と自分のための墓地です。アブラハムはそれを所有したいと申し出ましたが、土地の民は「お貸しします」と答えて、婉曲に売却を断りました。「どうか、御主人、お聞きください。あなたは、私どもの中で神に選ばれた方です。どうぞ、私どもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。私どもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など、一人もいません」(23:5-6)。彼らは異国人であるアブラハムに土地を所有させたくないと考えており、アブラハムの所有を断っています。
・しかし、アブラハムはあくまでも譲ってほしいと交渉します「ぜひ、私の願いを聞いてください。ツォハルの子、エフロンにお願いして、あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください」(23:7-9)。所有者のエフロンはアブラハムに「あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます。私の一族が立ち会っているところで、あなたに差し上げますから、早速、亡くなられた方を葬ってください」(23:11)と語ります。贈与は古代特有の売買の婉曲表現です。「差し上げると言ったのに、あくまでも買いたいと言うから、やむを得ず売却した」という形式をとるための交渉手続きでした。
・ですからアブラハムは「代金を支払います」と申し出ます。「私の願いを聞き入れてくださるなら、どうか、畑の代金を払わせてください。どうぞ、受け取ってください。そうすれば、亡くなった妻をあそこに葬ってやれます」(23:13)。エフロンがアブラハムに提示した価格は銀400シュケルでした。「どうか、御主人、お聞きください。あの土地は銀四百シェケルのものです。それがあなたと私の間で、どれほどのことでしょう。早速、亡くなられた方を葬ってください」(23:15)。
・相手の言い値の銀400シュケルは法外な値段です。後代のエレミヤが故郷アナトトの畑を買った時の価格は銀17シュケルでした(エレミヤ32:9)(銀1シュケルが11.4g、400シュケルは銀4.5㎏にもなる)。対比すれば、相場の数十倍の金額を吹きかけられたことになります。しかし、アブラハムは価格交渉をせず、そのまま受け入れて、妻のための墓地を購入します。アブラハムがここで、少しでも安く土地を手に入れようという取引をしていないことに留意すべきです。「アブラハムはこのエフロンの言葉を聞き入れ、エフロンがヘトの人々が聞いているところで言った値段、銀四百シェケルを商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した。こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、その周囲の境界内に生えている木を含め、町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった」(23:16-18)。異国で墓を購入する、それはその地に骨を埋めるとの覚悟です。この墓地購入を通してカナンの地は異国ではなく、約束の地になりました。そのために必要な代価は、たとえ高くとも払って行こうというアブラハムの決意がここにあります。
2.墓地購入の意味するもの
・アブラハムは「あなたの子孫にこの土地を与える」(12:7)との約束を受けて故郷を離れ、約束の地に来ました。そして約束の地において「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで」(15:18)との約束の確認を受けています。しかしアブラハムにはまだ一片の地さえ与えられていません。彼は放浪する寄留者なのです。そして、この墓地が約束の地でアブラハムに与えられた最初の土地でした。だからアブラハムは約束の一歩として、いくらの価格であれ、それを手に入れようとします。やがてアブラハム(25:10)もイサク(35:28)もヤコブ(49:29)もこの墓地に埋葬されます。このマクペラの洞穴がやがて、ユダヤ教・イスラム教共通の聖地となっています。アブラハムはイサクを通してユダヤ教徒の父になると同時に、イシマエルを通してイスラム教徒の父にもなります。このマクペラの洞穴を銀400シュケルで購入するという行為が、後に世界史的決断になって行ったのです。
・アブラハムは満足して死んだと思われます。人はこの世では寄留者であり、自分を葬るためには一片の土地があれば良い。トルストイは「人にはどれほどの土地がいるのか」という民話を書きました。少しでも広い土地を獲得しようとして、死にものぐるいの努力を続けて倒れた男が必要としたのは、その遺骸を葬るための墓穴にすぎなかったという作品です。詩編も歌います「自分の名を付けた地所を持っていても、その土の底だけが彼らのとこしえの家、代々に、彼らが住まう所」(詩編49:12)。旧約の人々は復活を知りません。彼らにとって死者の存在の唯一のしるしは遺骨です。ですから自分の遺骨がどこに葬られるかは、重要な問題でした。だからアブラハムは価格交渉をせずに相手の言い分を飲み、やがてアブラハムの子イサクも孫ヤコブも、さらにはひ孫になるヨセフもこの墓に葬られます(創世記50:24-25)。
3.人は何を残して死ぬのか
・今日の招詞にヘブル11:13を選びました。次のような言葉です「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」。私たちはこの世では寄留者、仮住まいの身です。信仰の祖と呼ばれたアブラハムが地上で手に入れたのは、妻と自分を葬るための小さな墓所でした(創世記25:10)。私たちはこの世で、家を持ち、財産を積んで将来のために備えようとしますが、その時聞こえてくるのは「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったい誰のものになるのか」という声です(ルカ12:20)。私たちが死ぬ時には地上の財産を持っては行けない。私たちは寄留者なのです。それではなぜ、アブラハムは墓地の購入にこだわったのでしょうか。
・横浜指路教会の藤掛順一牧師は語ります「アブラハムがカナンの地で得た最初の土地が、作物を得るための畑でも、家畜のための牧草地でもなく、墓だったということは意味深いことです。そこに彼の信仰の証があります。墓は、かつて生きていた人々の記念碑です。後世の人々にその記憶を伝えていくものです。アブラハムとその妻サラの墓は、彼らがこの地をかつて旅人として生きたことのしるしであり、そういう意味で彼らの信仰の証となるのです」(2007年5月13日説教から)。墓は死者がかつて生きていたことのしるしであり、またその死を記念するモニュメントです。だから寄留者も墓を大事にします。人は霊としては寄留者であり、この世の何ものも所有しませんが、生きてきた証しとして自分の墓を残していくのです。
・ローマにあった初代教会は、迫害の中で、地上での礼拝の場所を持てず、カタコンベと言われる地下墓地で、死者と共にキリストの復活を祝いました。その後教会が地上に建設されるようになった時も、彼らは教会堂の下に信徒たちのための墓地を設けました。四谷にあります聖イグナチオ教会の地下もその伝統に倣い、墓地になっています。中世の修道院では修道士たちの亡骸は地下墓所に安置され、その入り口には「メメント・モリ=死を忘れるな」と書かれていたそうです。「死を忘れない」、自分が死ぬべき存在であることを覚える、そして現在生かされていることを感謝する。その思いが「メメント・モリ」という言葉に込められています。教会は伝統的に信徒の墓の上で、死から蘇られたキリストの礼拝を続けたのです。死を思い起こし、今生かされていることを感謝するために墓地は必要なのです。
・私たちは6年前に会堂を建て直した折、会堂内に記念堂(納骨堂)を併設しました。教会員およびその家族の方の墓所とするためです。ただ法律の規制に応えるために、4年前にラザロ霊園に墓地を購入し、記念堂に納めた方の遺骨を希望があればいつでもラザロ霊園に移せるように整えました。これまで4名の召天者を葬ってきました。私たちもまた死ねば記念堂に入り、やがてラザロ霊園に移骨されます。召天された方々も教会員として共に礼拝を続けます。そして毎年秋に墓前礼拝を行い、亡くなった方のお名前を呼びます。アブラハムがサラを記念するために墓地を購入したように、私たちも生きた証を残すために、そして死を忘れないために、記念堂のある教会をここに建てたのです。