2017年9月17日説教(士師記7:9-25、ギデオンの勝利と変質)
1.ギデオンの戦い
・ギデオン物語を読んでいます。砂漠の民ミディアン人は収穫期になると、らくだの大部隊でイスラエルに襲い掛かり、全ての収穫を持ち去り、人々は平地には住めないほどの略奪を受けたと士師記は記します。そのミディアン人と戦うために召されたのがギデオンで、彼が近隣部族に声をかけると、32,000人の人が集まりました。しかし、敵は13万人を超えていました。ギデオンは3万人でも少ないと感じていましたが、主はこの3万人は「多すぎるから減らせ」と言われ、3万人が1万人になります。しかし主はギデオンに「1万人でも多すぎるから、さらに減らせ」と求められ、最終的に300人が残されました。
・ギデオン軍の3万人は烏合の衆であり、訓練された13万人の軍勢に正面から立ち向かっても勝ち目はありません。そのため、ギデオンは主の指示に従い、2万人を予備役に回し、精鋭の1万人で立ち向かい、さらにその中から300人の奇襲部隊を選びます。ギデオンには「私があなたを遣わす」(6:14)という主の言葉が与えられましたが、ギデオンは不安でした。しかし、敵を偵察してみると、意外なことにギデオン軍を恐れる敵の姿を見出しました。「ミディアン人、アマレク人、東方の諸民族は、いなごのように数多く、平野に横たわっていた。らくだも海辺の砂のように数多く、数えきれなかった。ギデオンが来てみると、一人の男が仲間に夢の話をしていた『私は夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込み、天幕まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしまった』。仲間は答えた『それは、イスラエルの者ヨアシュの子ギデオンの剣にちがいない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべて彼の手に渡されたのだ』」(7:12-14)。敵は意外なことにギデオン軍を恐れていたのです。ギデオンは勝利を確信し、部下を励まします「立て。主はミディアン人の陣営をあなたたちの手に渡してくださった」(7:15)。ギデオン軍は敵陣に夜襲をかけ、敵は総崩れになりました。
2.追撃戦へ
・ミディアン軍を破ったギデオン軍は、ヨルダン川を越えて、敗走した敵を追跡していきます。ギデオン軍において直接に戦闘に参加したのは300人であり、3万人以上の兵力が温存されていました。ギデオンはこの予備兵力をミディアン軍追討に振り向けます「イスラエル人はナフタリ、アシェル、全マナセから集まり、ミディアン人を追撃した」(7:23)。さらに戦闘に参加しなかった同胞のエフライム族にも協力を求め、エフライムの戦力が敗残した敵軍を追いつめていきます「ギデオンは、使者をエフライム山地の至るところに送って、言った。『下って来て、ミディアン人を迎え撃ち、ベト・バラまでの水場とヨルダン川を占領せよ。』エフライム人は皆集まって、ベト・バラまでの水場とヨルダン川を占領した。彼らはミディアンの二人の将軍、オレブとゼエブを捕らえ、オレブをオレブの岩で、ゼエブをゼエブの酒船で殺し、ミディアン人を追撃した。彼らはオレブとゼエブの首を、ヨルダン川の向こう側にいたギデオンのもとに持って行った」(7:24-25)。
・ギデオン軍は敵を追跡するためにヨルダン川を渡りました(8:4)。途中、ギデオンはガド族の町スコトの人々に支援を求めましたが、人々はギデオン軍の軍勢の少なさを見て、これを拒否します(8:4-6)。スコトの町は長い間ミディアン人の支配下にあり、彼らはギデオンの貧弱な兵を見て、勝利を危ぶんだのです。ギデオンは協力を拒んだスコトを呪って先を急ぎます。ペヌエルの町も同じように協力を断り、ギデオンは報復を誓います(8:8-9)。ミディアン軍はヨルダン川東岸の奥深くまで逃げていましたが、ギデオン軍が攻めのぼり、ついには王も捕らえられました(8:10-12)。こうして、ギデオン軍は完璧にミディアン軍を打ち破り、その結果「ミディアン人は、イスラエルの人々によって征服されたので、もはや頭をもたげることができず、ギデオンの時代四十年にわたって国は平穏であった」(8:28)と士師記は記します。
・ギデオン物語が私たちに告げるのは、戦いの帰趨を決するのは人数ではなく、戦う人の勇気と信仰だということです。烏合の衆である3万人で訓練された13万人の軍勢に立ち向かっても勝ち目はありません。相手を奇襲すれば勝ち目があり、そのためには迅速に動ける少数者がいればよいのです。ギデオンは3万人の兵力を300人に減らされたが、残りの3万人は追撃戦において大きな役割を果たします。戦略家のクラウゼヴィッツは語ります「追撃がなければ勝利は大きな効果を持ちえない」(戦争論から)。
3.主に従うとは
・敵を制圧したギデオンは、追撃戦の時にパンを求めたが拒否したスコトとベヌエルの町の人々を虐殺します。「ギデオンは町の長老たちを捕らえ、荒れ野の茨ととげをもってスコトの人々に思い知らせた。またペヌエルの塔を倒し、町の人々を殺した」(8:16-17)。これは主が命じられた戦いではありませんでした。6-7章の主語は「主」でしたが、8章の主語は「ギデオン」です。戦いの性格が変わり始めています。勝利したことにより、ギデオンが信仰の人から力を誇る権力者に変わり始めているのです。
・今日の招詞に創世記4:25-26を選びました。次のような言葉です「再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授けられたからである。セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」。創世記によれば、カインの子孫からレメクが生まれ、レメクは誇ります「私は傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍ならレメクのためには七十七倍」(4:23-24)。レメクが主張する七十七倍の復讐は自己の力を誇示するためのものです。敵を制圧したギデオンは、自分たちに協力しなかったスコトとベヌエルの人々を虐殺します(8:16-17)。ギデオンは主によって立てられたのに、いつの間にか自分の力に頼る権力者に変質したのです。ギデオンはヘブル書において「弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました」とその信仰を称賛されています(ヘブル11:32-34)。そのギデオンも勝利者となれば変質するのです。
・アダムとエバは次男を殺され、長男は追放されます。その二人に、主は新しい子、セトを与えられます。セトのヘブル名シャトは「授かる」という意味です。「主によって子を授かった」との感謝の気持ちが込められています。前にカインを生んだ時にはエバは「私は主のように人を創った」(4:1)と誇りました。カインを生んだ時、エバは自分の力で子供を産んだと理解していました。しかしその傲慢の罪の結果、弟息子は殺され、兄息子は遠い所に追放されます。その罪の悔い改めが、次の子セトを「授かった(シャト)」いう言葉に反映しています。そして、セトの子の時代に「主の名を呼び始めた」(4:26)と創世記は記します。「主の名を呼ぶ」、神を礼拝するという意味です。弱さを知り、それ故に主の名を呼び求める人々の群れがここに生まれたのです。
・イエスは「七の七十倍赦しなさい」と教えられました(マタイ18:22)。この流れの中で、「七十七倍の復讐をやめ、七の七十倍の赦しを」求める人々が生れていきます。神に赦されたから人を赦していく、神中心主義の流れです。人間の歴史はこのカインの系図とセトの系図の二つの流れの中で形成されてきました。カインの子孫たちは「人間に不可能はない。劣った者は滅びよ」という考えを形成して来ました。現代社会ではこの流れが多数派です。しかし少数であれ、「人間は弱い者であり、神の赦しの下でしか生きることが出来ない」ことを知るセトの流れを汲む者たちが存在し、キリスト者は自分たちがセトの子孫であることを自覚します。私たちは「殴られたら殴り返す」社会の中で生きています。その中で、私たちは「七の七十倍までの赦し」を求めていきます。それはイエスの十字架を見つめる時にのみ可能になります。弟を殺したカインさえも赦しの中にあり、殺されたアベルもセトという形で新たに生かされたことを知る時、私たちも、「主の名を呼び求める者」に変えられていきます。そしてイエスの十字架を仰ぐ時、イエスが死から復活されたように、私たちも新しい命を与えられることを信じて生きます。
・人は成功すれば驕り、やがては自分が正しいと思うことをし始めます。そこに世の乱れが生じてきます。士師記が教えるのは、主の言葉に従って戦った人もやがては堕落する事です。第二次大戦でホロコストを経験したイスラエルに世界中の同情の目が集まり、イスラエルは1948年にパレスチナの地に国家を樹立します。世界中がイスラエルに祝福を送りました。しかし、何度かの防衛戦争を経て、イスラエルが最終的な勝者になると、今度は先住のアラブ人たちを迫害するようになります。人は成功すれば驕り、やがては自分が正しいと思うことをし始めます。士師記はその最後に記します「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」(21:25)。信仰者もまた、は主の名を呼び続けない限り、堕落していく現実を士師記は隠さずに見つめます。
・「キリスト教と戦争」という本を書いた石川明人氏(桃山学院大准教授)は語ります「キリスト教は、それ自体が『救い』であるというよりも、『救い』を必要とする救われない人間の哀れな現実を、これでもかと見せつける世俗文化である。キリスト教があらためて気付かせてくれるのは、人間には人間の魂を救えないし、人間には人間の矛盾を解決できない、という冷厳な現実に他ならない」。「人間には人間の魂を救えない」、ミディアン人から国を守ったギデオンはイスラエルの英雄です。その英雄さえ、「成功すれば驕り、やがては(神ではなく)自分が正しいと思うことをし始める」と書く士師記はまさに神の書です。ギデオンの物語を古代の英雄物語ではなく、私たちの物語として聞く時、士師記から神の言葉が聞こえてきます。