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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2017年1月15日説教(マタイ7:7-12、イエスの語られた愛の戒め)

投稿日:2017年1月15日 更新日:

2017年1月15日説教(マタイ7:7-12、イエスの語られた愛の戒め)

 

  1. 求めなさい

 

・マタイ福音書を読み続けています。今日は有名な山上の説教の二回目ですが、マタイは説教の締めくくりとして「求めなさい」というイエスの言葉を紹介します。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(7:7)。この個所は祈りについて書かれています。「人が必死に祈る時、その祈りは聞かれる」とイエスは教えられました。イエスは約束されます「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(7:8)。

・祈りがかなえられる根拠は、聞いてくださる方が憐れみに満ちた方だからです。イエスは語られます「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか」(7:9-10)。パンをほしがる子に石を与える親はいない、魚をほしがる子に蛇を与える親はいない。人間は自分勝手な存在ですが、その人間でさえ、子供に良いものを与えることを知っています。そうであれば、良き方、父なる神があなた方に悪いものを与えることがあろうか、あるはずがないではないかとイエスは語られます「このように、あなたがたは悪い者でありながらも自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物を下さるにちがいない」(7:11)。

・正しい祈りは聞かれる。求めれば与えられる。旧約、新約の数多い証人たちもそれを証しします。預言者イザヤは語りました「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、私があなたを忘れることは決してない」(イザヤ49:15)。新約の使徒ヨハネはイエスの約束を再確認します「あなたがたが私の名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる」(ヨハネ16:23)。私たちの祈りをイエスが仲介してくださるから、すべての祈りは聞かれる。だから私たちは「イエス・キリストの聖名によって」と祈ります。

 

2.かなえられない祈りの中にこそ

 

・しかし、私たちの経験は聞かれない祈りもあることを教えます。今年の1月下旬から公開される映画「沈黙」(原作:遠藤周作、監督:マーティン・スコセッシ)も、「神の沈黙」、聞かれない祈りを主題にしています。500年前のキリシタン迫害時代、日本では10万人を超える殉教者が出たと言われています。信仰ゆえに命を奪われる歴史がこの日本にあったのです。信仰ゆえに殺された多くの人々は、「主よ、何故ですか。何故あなたは私たちを捨てられたのですか」と叫んだことでしょう。

・「主よ、何故ですか。あなたは私を捨てられたのですか」、これはイエスの叫びでもあります。イエスはゲッセマネで祈られました「この杯を私から取りのけて下さい」(マルコ14:36)。しかし神は沈黙を守られ、イエスが十字架にかけられることを許容されました。イエスは十字架上で叫ばれます「わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)。イエスは十字架の責めと恥を、自らの身に受けられました。しかし神はそのイエスを死から蘇らせた。神はイエスを捨てられなかったのです。イエスの祈りは聞かれませんでしたが、より良きものが与えられました。受難を通して復活が与えられたのです。

・祈りの本質は神との対話です。祈りは必ず聞かれます。仮に祈りが聞かれないと私たちが思う時は、より良いものが与えられる時です。パウロもそれを証しします「思い上がることのないようにと、私の身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせて下さるように、私は三度主に願いました」(第二コリント12:7-8)。それに対して主は「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました」(第二コリント12: 9)とパウロは紹介します。パウロの祈りもまた聞かれなかった。しかし、聞かれないことを通して、「力は弱さの中でこそ発揮される」という生きる力が与えられた。パウロの体験は、「人は苦難を通して神に出会う。聞かれない祈りこそ、神に出会うための大事な祈りなのだ」ということを私たちに教えます。

 

3.人にしてもらいたいことを人にしなさい

 

・マタイは「求めよ」という文脈の最後に、黄金律と呼ばれる言葉を配置します「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(7:12)。マタイは山上の説教の締めくくりとして、この言葉を語ります。つまり、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」という教えこそが、イエスの教えの中核であるとマタイは考えているのです。この言葉が「黄金律」と呼ばれるのは、この言葉が聖書だけでなく、イスラム教にも仏教にもまた論語に見みられるような普遍性を持っているからです。

・今日の招詞にルカ6:31-32を選びました。次のような言葉です「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している」。ルカ版の黄金律です。ルカ版黄金律は「敵を愛せよ」という文脈の中で語られています。そしてルカは文脈の最後に語ります「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ6: 36)。この「黄金律」はもともと聖書の教えではありません。古代ギリシアのアリストテレスが語り、やがてそれがユダヤ教の中に取り込まれたと言われています。イエスと同時代のユダヤ教のラビ、ヒレルは、「あなたにとって嫌なことは、あなたの隣人にしてはならない。これがユダヤ教の教えの全てである。その他のことはこれに対する注釈にすぎない」と教えています。

・ほとんどの黄金律は「人からされたくないことを人にするな」という否定形で述べられます。それをイエスが初めて、「人にしてもらいたいと思うことは人にしなさい」という肯定形で語り直されました。単に「人からされたくないことを人にするな」という道徳が、イエスによってはじめて、福音、積極的な良い知らせとされたのです。否定形の「人からされたくないことを人にするな」は比較的守りやすい教えであり、多少の思いやり、やさしさがあれば不可能なことではありません。自分一人の問題だからです。しかし「人にしてもらいたいと思うことを人にしなさい」という教えを行うことは困難です。何故ならばそれは他者をも巻き込む教えであり、ある時には相手の反発や怒りさえも招きかねないからです。

・マザー・テレサはそれを次のように表現します。「あなたが善を行なうと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行ないなさい。目的を達しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなく、し続けなさい。あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい・・・助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にすることなく、助け続けなさい。あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。けり返されるかもしれません。でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」。

・「他者に良いことを行え」という教えは、ある時には行為者の価値観の押し付け、余計なお世話になる危険性も含んでいます。だから反発されます。しかしマザーは「それでも与え続けなさい」と語ります。彼女は語ります「最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。あなたと他の人の間であったことは一度もなかったのです」。人を愛するとは神を愛することです。私たちが他者と良い人間関係を持てないとしたら、神との関係が正しくないからです。イエスが言われた「人にしてもらいたいと思うことを人にしなさい」を別の言葉に言い換えれば、「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ19:18)です。

・今、社会が排他的になり始めています。ある文学者が新聞論評で次にように書いていました「沖縄ではオスプレイが墜落し、原因が究明されてもいないのに、人々の不安や怒りの声など存在しないがごとく、給油訓練が再開されている。次期アメリカ大統領の威嚇的な言辞やヨーロッパ各国の厳格化・非人間化していく一方の難民への対応を見る時、他者の苦悶には耳を閉ざし、己の利得ばかりに執心する排他的態度が時代の空気となりつつあるようで怖い」(小野正嗣、2017年1月11日朝日新聞夕刊)。その排他的時代の中で「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」と語られています。深澤義旻(よしゆき)さんの書いた詩「人間のうた」が静かに読まれているそうです。小学校の校長として、1990年の春に卒業生に贈った詩です。彼は語ります「自分を大切にすることをためらうな。自分を大切にできないでいて、どうして、人を大切にできようか。自分を大切にすることが、同時に人を大切にすることになる生きかたをなんとしてでも見つけ出し、作り出さねばならぬのだ。それは、人間にだけできるのだ。それが、人間の権利であり、義務なのだ」。ここにも「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」と言われるイエスの言葉が響いています。まさにこの言葉は黄金の言葉なのです。

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