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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2017年9月10日説教(士師記6:11-17、7:1-8、少数者を用いられる主)

投稿日:2017年9月10日 更新日:

2017年9月10日説教(士師記6:11-17、7:1-8、少数者を用いられる主)

 

1.ギデオンの召命

 

・士師記6-9章はギデオンの物語です。士師は、「裁きつかさ」、「治める者」という意味を持ち、十二部族が国家の危機に時に立てた戦争指導者を指します。士師記には、イスラエル民族が約束の地に入り、ダビデ・ソロモンの統一王朝を形成するまでの250年間の苦難の歴史が、時代時代の指導者「士師」の物語を通して描かれていますが、その士師の代表的人物がギデオンです。イスラエルは約束の地に入りましたが、なかなかそこに定着できませんでした。敵が武力に優れて強大なせいですが、士師記はそれを信仰的にとらえ、「イスラエルが神に不従順のゆえに外敵が繰り返し侵入した」と理解します。その外敵の中でも強力だったのが、砂漠の民であるミディアン人です。士師記は記します「イスラエルの人々は、主の目に悪とされることを行った。主は彼らを七年間、ミディアン人の手に渡された。ミディアン人の手がイスラエルに脅威となったので、イスラエルの人々は彼らを避けるために山の洞窟や、洞穴、要塞を利用した」(6:1-2)。彼らは穀物の収穫期になると、らくだの大部隊で襲い掛かり、全ての収穫を持ち去り、人々はその略奪行為に苦しめられます。「イスラエルが種を蒔くと、ミディアン人は、アマレク人や東方の諸民族と共に上って来て攻めたてた。彼らは・・・命の糧となるものは羊も牛も驢馬も何も残さなかった。彼らは来てこの地を荒らしまわった」(6:3-5)。

・イスラエルの人々は主に助けを求めて祈ります。主は彼らの祈りに応えて、ギデオンを士師として立てられます。そのギデオンが召命を受けたのは、彼がミディアン人を恐れて、こっそりと酒船の中で小麦を打っていた時でした。士師記は語ります「ギデオンは、ミディアン人に奪われるのを免れるため、酒船の中で小麦を打っていた。主の御使いは彼に現れて言った『勇者よ、主はあなたと共におられます』」(6:12)。ギデオンは主の使いに反論します。『私の主よ、お願いします。主なる神が私たちと共においでになるのでしたら、何故このようなことが私たちに降りかかったのですか。先祖が、『主は、我々をエジプトから導き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主は私たちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました』」(6:11-13)。

・主の使いはギデオンに語ります「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。私があなたを遣わすのではないか」(6:14)。ギデオンはそれでも主の召しを信じることが出来ません。彼は繰り返し、しるしを求め、しるしが与えられて、ギデオンは初めて主の言葉を信じます。その後、ミディアンの大軍がイスラエルの居留地に押し寄せてきます(6:33)。ギデオンは角笛を吹いて諸部族に出陣を求め、出身のマナセ族だけでなく、アシェル族、ゼブルン族、ナフタリ族からも人々が集まり、ミディアン人と対峙する軍が生まれました。士師記は語ります「主の霊がギデオンを覆った。ギデオンが角笛を吹くと、アビエゼルは彼に従って集まって来た。彼がマナセの隅々にまで使者を送ると、そこの人々もまた彼に従って集まって来た。アシェル、ゼブルン、ナフタリにも使者を遣わすと、彼らも上って来て合流した」(6:34-35)。

 

2.ギデオンの戦い

 

・ギデオンの下に32,000人の軍勢が集まりました。しかし敵は13万人を超える大軍です(8:10)。ギデオンは3万人でも少ないと感じていましたが、主はこの3万人を「多すぎるから減らせ」と言われます。士師記は語ります「主はギデオンに言われた。『あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルは私に向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。それゆえ今、民にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ、と。』こうして民の中から二万二千人が帰り、一万人が残った」(7:2-3)。

・これはギデオンには失望の出来事だったでしょう。祖国防衛のために集まったのに、本音では戦いたくないと思う人が三分の二もいたのです。3万人でも足らないのに今は1万人になってしまった。落胆するギデオンに、主はさらに「1万人でも多すぎるから、さらに減らせ」と求められます。「主はギデオンに言われた『民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこで、あなたのために彼らをえり分けることにする。あなたと共に行くべきだと私が告げる者はあなたと共に行き、あなたと共に行くべきではないと告げる者は行かせてはならない』」(7:4)。1万人が試みに会わせられ、主は「水を手ですくった300人だけを残せ」と言われました。選ばれたのは水を飲みながらも周囲から目を離さなかった、戦う準備が出来ている300人でした。(7:5-7)。

・ギデオンの下に集まった3万人は烏合の衆でした。彼らが訓練された13万人の軍勢に正面から立ち向かっても勝ち目はありません。そのため、ギデオンは主の指示に従い、精鋭の1万人を残し、さらにその中から300人の奇襲部隊を選びました。勝負を決するのは人数ではなく、戦いの勇気です。相手を奇襲するためには迅速に動ける少数者がいればよいことにギデオンは気づかされました。しかしギデオンは依然不安でした。しかし、敵陣に忍び寄ったギデオンが見出したものは、ギデオン軍を恐れる敵の姿でした。「ギデオンが来てみると、一人の男が仲間に夢の話をしていた『私は夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込み、天幕まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしまった』。仲間は答えた『それは、イスラエルの者ヨアシュの子ギデオンの剣にちがいない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべて彼の手に渡されたのだ』」(7:13-14)。パンが天幕を倒す、農耕の民イスラエルが遊牧の民ミディアンを倒すという意味です。神は戦いの前に、既に働いておられたのです。

・敵がギデオン軍を恐れていたのを知り、ギデオンは勝利を確信し、部下を励まします「立て。主はミディアン人の陣営をあなたたちの手に渡してくださった」(7:15)。ギデオン軍は夜中に敵陣に夜襲をかけ、敵は総崩れになります。「彼らは角笛を吹き、持っていた水がめを砕いた。三つの小隊はそろって角笛を吹き、水がめを割って、松明を左手にかざし、右手で角笛を吹き続け、『主のために、ギデオンのために剣を』と叫んだ。各自持ち場を守り、敵陣を包囲したので、敵の陣営は至るところで総立ちになり、叫び声をあげて、敗走した。三百人が角笛を吹くと、主は、敵の陣営の至るところで、同士討ちを起こされ、その軍勢はツェレラのベト・シタまで、またタバトの近くのアベル・メホラの境まで逃走した」(7:20-22)。

 

3.少数者を用いられる主

 

・奇襲作戦は成功し、敵は総崩れになります。ギデオンの戦いは平家軍が敗走した「富士川の戦い」に似ています。源氏の軍勢が川に入ると、水鳥が一斉に飛び立ち、それを敵軍の大襲来と恐れた平家軍は総崩れになります。また織田信長が桶狭間で今川義元を打ち取った時、700名の奇襲兵で25,000人の今川軍を打ち破ったと言われています。戦いは数ではないのです。それは教会も同じではないかと思われます。

・教会は福音を伝えるために建てられています。重要なのは福音を伝えることであり、教勢の拡大ではありません。30人教会を50人教会、100人教会にするのが教会の目標ではありません。共に働く少数の人がいればよい。それを如実に示すのが、ヨハネ6章の記事です。今日の招詞にヨハネ6:66-69を選びました。次のような言葉です。「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に『あなた方も離れて行きたいか』と言われた。シモン・ペトロが答えた『主よ、私たちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています』」。

・イエスは伝道活動を故郷ガリラヤで始められました。病人をいやし、教えをわかりやすく説かれたので、イエスが行かれる所には多くの群集が集まりました。イエスがガリラヤ湖のほとりで5千人にパンを与えられた時が人気の絶頂期で、人々はイエスを王にしようとしたほどです(ヨハネ6:15)。しかし、一つの出来事を契機に人々はイエスにつまずき、離れていきます。それが「命のパン」の出来事です。人々は5つのパンで5千人を養われたイエスの力に驚き、もっとパンを欲しいと求めてきました。イエスはその人々に言われました「朽ちるパンではなく、朽ちない命のパンを求めなさい。私こそが命のパンであり、私の肉を食べ、私の血を飲む者は永遠に生きる」(6:55)。多くの人々が、イエスの言葉を聞いてつぶやき始めます「実にひどい話だ。誰がこんな話を聞いていられようか」(6:60)。

・「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」(6:66)とヨハネは記します。イエスは弟子たちの多くが去っていくのをご覧になり、残った12人に問われます「あなた方も離れて行きたいのか」(6:67)。「去りたいなら行くが良い」とイエスは言われたのです。それに対して、ペテロが答えます「主よ、私たちは誰のところに行きましょう。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じまた知っています」(6:68-69)。人々はイエスから何かを得るために、いやしや救いや栄光を得るために来ました。そして、イエスがそれらのものを与えてくれないことがわかると、イエスから離れていきます。しかし、この12人はイエスのもとに留まりました。

・イエスが処刑された時、弟子たちはイエスを見捨てて逃げましたが、復活のイエスは弟子たちに現れ、一言も非難することなく、彼らに「私の羊を飼いなさい」と群れを託されました。イエスの生前、弟子たちは本当にはイエスに従うことはできませんでしたが、この復活のイエスとの出会いを通して、十字架の場を逃げ出した弟子たちが、イエスのために死ぬ者と変えられていきます。だからこそ弟子たちは「あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じまた知っています」と告白します。人は復活のイエスとの出会いを通して、つまずきを乗り越えて、信仰者として立てられていくのです。教会を形成するのはこの12人です。戦いの帰趨を決定するのは、3万人ではなく、300人です。復活のイエスに出会った少数者である私たちが、この教会を形成していくのです。

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