2015年5月31日説教(使徒言行録28:17-31、福音は語り続けられる)
1.エルサレムからローマへ
・使徒言行録を読み続けて来ました。今日が最終回です。パウロはエルサレムでユダヤ教徒たちから「背教者」として命を狙われ、混乱の中でローマの軍隊に捕らえられ、カイザリアで2年間監禁されます(使徒21~24章)。獄中でパウロはローマ皇帝に直訴し(25:11)、ローマに囚人として移送されます。こうしてパウロは囚人としてではありますが、これまで何度も行こうとした帝国の首都ローマに到着します。そのローマでの最後の日々を伝えるのが使徒言行録28章です。
・ローマでは、囚人たちは通常は兵営内の獄舎に収容されますが、パウロの場合は兵営の外に家を与えられ、そこに住むことを許され、いわゆる「自宅軟禁」という緩やかな監禁措置が取られたようです。ですから自宅に人々を呼ぶことも可能でした。ルカは記します「私たちがローマに入った時、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた」(28:16-17)。パウロが最初に招いたのはローマに住むユダヤ教指導者たちでした。当時のローマには多くのユダヤ人が住み、シナゴーク(会堂)も13あったと伝えられています。彼はローマに住むキリスト者たちと懇親を深める以前に、まずキリストを知らない人々に宣教することを優先しました。
・そのユダヤ教指導者たちにパウロは語ります「兄弟たち、私は、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。ローマ人は私を取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。しかし、ユダヤ人たちが反対したので、私は皇帝に上訴せざるをえませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望していることのために、私はこのように鎖でつながれているのです」(28:17-20)。ローマのユダヤ教指導者たちは帝国各地のシナゴーグで伝道活動をしてきたパウロの評判を聞いていたでしょう。エペソやマケドニアで起きた騒動やエルサレムでの裁判のことも噂に聞いていたことでしょう。各地のユダヤ教会はパウロを異端者キリストを宣べ伝える人物として警戒していたと思われます(28:21-22)。だから彼らはパウロの呼びかけに応えて彼の家に集まりましたが、パウロの言うことを信じようとはしません。
・ルカは「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった」(28:24)と記します。しかし、伝道の成果は上がったとピリピ書でパウロは報告しています。ピリピ書はこのローマの獄中で書かれたとされていますが、そこには、投獄されても伝道を続けるパウロの影響を受けて、ローマのキリスト者たちが伝道に励んだことが記されています。「兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、私の捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです」(1:12-14)。ユダヤ人たちのある者は信じ、他の者は信じませんでしたが、パウロは監禁状態の中で、伝道を続けます。ルカは記します「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」(28:30-31)。
2.その後のパウロ
・使徒言行録はここで突然に終わります。その後のパウロがどうなったかは一切記しません。パウロは皇帝に上訴して、時の皇帝ネロの裁判を受ける身です。その裁判の結果がどうであったのかについて、ルカは触れることなく、「使徒言行録」を締めくくります。ルカはこの裁判の結末を知っているはずです。拘留を「2年間」とする以上、その2年が終わった時、有罪とされて処刑されたのか、または無罪とされて釈放されたかを知っているはずです。もし無罪となって釈放されたのであれば、その喜びをルカが報告しないことは考えられません。
・とすればパウロは有罪判決を受けて処刑されたことになります。ルカはそのことを暗示しています。それはルカがパウロのエルサレムへの旅を諸集会へのお別れの旅として描いていることからも推論できます。パウロはエペソの長老たちに「自分の顔をもう二度と見ることはあるまい」と言い(20:25)、エルサレムでの危難を預言し、エルサレム行きを止めようとした人たちに対して、パウロは「エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、私は覚悟している」と言ってエルサレムに向かいます(21:13)。
・では、パウロの殉教を知っているはずのルカがなぜこのような終わり方で使徒言行録を締めくくったのでしょうか。それは福音が使徒パウロによって帝国の首都であるローマに到達したことを語るところで、「使徒言行録」の目的が達せられたからです。パウロがローマで「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」ことで、「エルサレムからローマへ」という主題は完結しました。パウロはローマで殉教の死を遂げました。ルカはそれを知っており、多くの読者も知っていることでしょう。しかし、ルカはそのような悲劇的な結末の中に、福音を「エルサレムからローマに」到達させようとされた神の御計画が実現したことを見て、それを表現するのにふさわしい言葉で使徒言行録を締めくくったのです。
3.キリストに在る愚者
・イエスはエルサレムで処刑されました。しかしその後にペテロやパウロが起こされ、イエスの福音を語り続けました。使徒たちもローマで処刑されましたが、次に続く人々が「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続け」ました。やがて使徒たちの処刑地の上に教会が建てられ、そのローマ教会がキリスト教の中心になって行きます。今日の招詞に使徒18:9-10を選びました。次のような言葉です「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、私の民が大勢いるからだ』」。「この町には、私の民が大勢いる」、その幻が人々を生かし続けたのです。
・イエスが生きられた時代は前途に希望の持てない時代でした。ユダヤはローマの植民地であり、ローマと、ローマの任命する領主の双方に税金を納めなければならず、税金を払えない人は妻や子供たちを売り、それでも払えなければ投獄されました。人々は小作人として働き、地主に収穫の半分以上を取られ、飢饉の時には大勢の餓死者が出ました。病気に罹れば、治療を受けることなく、人々は死んで行きました。人々は約束されたメシアが来て、生活が良くなることを熱望していました。その人々にイエスは言われました「私がそのメシアだ。あなた方の救いは、今日私の言葉をあなたがたが耳にした時に成就した」と(ルカ4:21)。
・神が行為され、御子キリストが来られ、世の中は変わりました。しかし、人々は言います「何も変わっていない。キリストが来られて何が変わったのか」。現代の日本では、政治家は賄賂をもらって国政をゆがめ、役人は権益保護のために作る必要のない道路や施設を作り、財政は破綻状況にあります。財政負担を減らすために医療や年金の保険料は上がり、生活は苦しくなっています。学校に適応できない子供たちは不登校になり、就職できない若者は家に閉じこもり、未来に希望をもてない者は自殺して行きます。イエスが来られたのに、世の中は何も変わっていないではないかと人々は今もつぶやき続けています。
・「それにもかかわらず、この世界は根本から変わった」と私たちは信じます。ゲルト・タイセンという聖書学者は「イエス運動の社会学」という本を書き、イエスが来られて何が変わったのかを分析しました。彼は書きます「イエスは、愛と和解のヴィジョンを説かれた。少数の人がこのヴィジョンを受け入れ、イエスのために死んでいった。その後も、このヴィジョンは、繰り返し、繰り返し、燃え上がった。いく人かの『キリストにある愚者』が、このヴィジョンに従って生きた」。キリストが来られることによって、「キリストにある愚者」が起こされた、それが最大の変化だとタイセンは言います。キリストにある愚者とは、世の中が悪い、社会が悪いと不平を言うのではなく、自分には何が出来るのか、どうすればキリストが来られた恵みに応えることが出来るのかを考える人たちです。その愚者の一人パウロはローマで処刑されました。しかし後継者たちは語ることを止めませんでした。パウロの後継者たちの語りがエペソ書やテモテ書という「パウロの名による書簡」として残されています。福音はパウロの死を超えて語り継がれていったのです。
・W.ウィリモン使徒言行録注解を翻訳した中村博武氏はあとがきの中で次のように述べます「使徒言行録は過去の物語である。それはこの世の支配の中で、信仰によってあるべき世界を呼び起こし、その世界を目指してきた人々の物語である。その背後に意味と一貫性を与えている活動主体は神である。この物語は復活の主が今も生きて働いていることを証しすることにより、私たちに新たな世界観を提示し、新たな現実を開示し、私たちの人生を変革する力を持つ」。ローマ総督がイエスを処刑し、ローマ皇帝がパウロを処刑しても、福音を沈黙させることは出来ませんでした。福音は「キリストにある愚者」を作り出し、彼らが語り続けてきたからです。そして今、私たちがその役割を継承して語り続けていきます。使徒言行録は私たちによって書き続けられていくのです。