江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年1月24日姫路城西教会奨励(マタイ25:35-36,日本の宣教に絶望しない)

投稿日:2015年1月26日 更新日:

・日本はキリスト教が根付かない国であると言われています。キリスト教年鑑を見ますと、日本にはプロテスタント67万人、カトリック45万人、計112万人のクリスチャンがいます。総人口が13,000万人ですので、人口比でいえば0.8%に過ぎません。日本のクリスチャン人口はアジアの中でも飛び抜けて少ない数字です。プロテスタント人口を見れば韓国が1,600万人、キリスト教の規制の多い中国でさえ1,500万人、イスラム国のインドネシアでさえも1,400万人のクリスチャン人口がいます。日本のクリスチャン人口は少ないだけではなく、減り始めていることが今日の問題です。日本キリスト教団の統計では、洗礼者の数は戦後まもなくは年間10,000人を超えていましたが、現在では1,400人とピーク時の1/10にまで落ち込んでいます。昨年11月にバプテスト連盟年次総会が天城山荘でありました。出席して改めて知らされたのは、日本国内の教会の疲弊です。連盟内には284の教会、41の伝道所、計325の教会・伝道所がありますが、そのうち礼拝参加者が10名に満たない教会・伝道所は26もあります。またこの1年で閉鎖に追い込まれた伝道所が7箇所もあります。特に地方教会の疲弊は大きいと思いました。
・私たちは日本での宣教を諦めるべきなのでしょうか。ロドニー・スタークという社会学者が書いた「キリスト教とローマ帝国」によれば、福音書が書かれた紀元100年当時のキリスト教徒は数千人という小さな集団であり、100年後の紀元200年においても数十万人に満たない少数であったとされています。キリスト生誕から200年が経過し、ペテロやパウロの熱心な伝道活動が行われたにもかかわらず、クリスチャン人口は伸びなかったのです。当時のローマ帝国の総人口が6千万人とされていますので、クリスチャン総数は人口の0.3%に過ぎなかったわけです。伝道不振を嘆く日本でさえキリスト教徒は100万人、人口の0.8%いるのに、初代教会は紀元200年(伝道開始150年)においてさえ、信徒数は日本よりも少なかったのです。まことに小さな群れであったのです。その彼らが100年後の紀元300年には600万人を超え、キリスト教が国教となる紀元350年頃には3千万人、人口の50%を超えたとされています。何故彼らはそのように増えたのか、それは「キリスト教の中心教義が人を惹き付け、自由にし、効果的な社会関係と組織を生み出していった」からだとスタークは述べます。
・その中心教義の一つが、「飢えている人に食べさせ、渇いている人に飲ませ、病人を見舞え」というマタイ福音書の言葉です「お前たちは、私が飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ」(マタイ25:35-36)。スタークは具体例として、疫病の時にキリスト教徒がどのように行為したかを詳細に述べます。ローマ時代には疫病が繰り返し発生し、時には人口の1/3を失わせるほどの猛威を振るったと言われています。死者は数百万人にも上り、疫病の流行がローマの人口減少を招き、ついには滅ぼしたと考える歴史家さえいます。人々は疫病からの感染を恐れて避難しましたが、当時の記録では、キリスト教徒たちは病人を訪問し、死にゆく人々を看取り、死者を埋葬したと伝えられています。何故ならば聖書がそうせよと命じ、教会もそれを勧めたからです。そしてこの「食物と飲み物を与え、死者を葬り、自らも犠牲になって死んでいく」信徒の行為が、疫病のそれ以上の蔓延を防ぎ、人々の関心をキリスト教に向けさせたとスタークは考えています。社会保障も健康保険もない中で、教会は信徒の奉仕という形でそれを提供したのです。彼は最後に述べます「キリスト教が改宗者に与えたのは人間性だった」。
・16世紀に日本にキリシタンが伝えられ、短期間のうちに、多くの日本人が改宗してキリスト教徒になりました。何が当時の人々の心を捕らえたのか、様々な要因が考えられますが、歴史学者たちは「宣教師やキリシタンたちが、キリストの愛の実践に基づいて、病める者を見舞い、その死を看取り、貧者であっても丁重に葬っていたことに感動した者たちが数多く、キリシタンに改宗した」のではないかと分析しています。1555年イエズス会士日本通信によれば「異教徒等はわが死者を葬る方法を見て大いに感激せり、(中略)キリシタン等が最も貧窮なる者に対しても、富者に対すると同一の敬意を表するを見て、その博愛と友情を認め、(中略)我らの主キリストの教えに勝るものなしと言えり」とあります。
・キリストの福音はそれを信じて受け入れる者を変容させる力を持っています。それは人の思いを超える「並外れて偉大な力」です。それを伝えるものは教理や説教ではなく、信徒の生き様、行動です。マザー・テレサが行ったことも病気の治癒ではなく、死者の看取りです。そしてマザーの行動は多くの人々の感動を招きました。パウロはコリント教会に書いた手紙の中で語りました「キリスト者は、キリストの香りであり、キリストの手紙なのだ。世の人はキリスト者の生き方を通して、キリストを、そして神がどなたであるかを知るのだ」(第二コリント2:14)。
・キリストの福音は土の器である私たちを通して持ち運ばれます。土の器ですから、私たちは弱さを持っています。落とせば割れる存在です。しかし神はその私たちに福音宣教の使命を与えられました。古代教会史を見る時、パウロやペテロ等の伝道者が成し得たことは、コリントやエペソやローマの町に、核になる信徒を生み出し、教会を形成していったことです。その信徒たちが日常生活の中でキリストの言葉を実践していった。その結果、福音は少しずつ隣人たちに受け入れられていきました。その結果、キリスト教人口は紀元300年には600万人を超え、キリスト教が国教となる紀元350年頃には3千万人、人口の50%を超えました。私たちの日本に福音が伝えられて150年、私たちは何故日本人が福音を受け入れてくれないのかと嘆く必要はありません。ローマ人が福音を受け入れるまで300年かかったとすれば、日本の宣教150年はまだ途中経過に過ぎないのです。
・ヘンドリック・クレイマーという神学者はかつて日本に来た時に語りました「イエスは『あなた方の光を人々の前に輝かせなさい』と言われた。また『自分を愛するように隣人を愛しなさい』と言われた。御言葉を日々実行しなさい。それが伝道である。日本の教会は建物と牧師だけの教会である。信徒は死んでいる。その結果、教会は日本社会の中から浮き上がっている」。皆さんは「キリストの香り」、「キリストの手紙」なのです。日本の伝道が振るわないのは、みなさんが伝道の前線ではなく、後方にいるからではないかと思います。皆さんが伝道の最前線に立った時、日本の教会は確実に変わっていき、福音が世に伝えられていくのではないかと思います。

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