江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2014年12月28日説教(第二コリント3:1-6、文字は殺し、霊は生かす)

投稿日:2014年12月28日 更新日:

1.コリント教会の設立と紛争の中で

・クリスマスが終わり、私たちは日常礼拝の中に戻りました。とは言え、今日は年内最終礼拝、次週は新年を迎えての礼拝です。特別の時間が流れています。宣教は従前に引き続き、コリント人への手紙を読み続けていきたいと思います。パウロの手紙の中で最も評価が高いのはローマ書と思いますが、個人的にはこの第二コリント書こそ、パウロが私たちに残してくれた最大遺物ではないかと思います。何故ならそこには、失望し、落胆し、怒り、それでも希望を失わないパウロの肉声が如実に聞こえてくるからです。私たちも日常生活の中で失望し、落胆し、怒ります。しかしパウロはどのような境遇にあっても希望を失わなかった。それは私たちにも多くの慰めを与えます。
・パウロは「自分は復活されたイエスと出会い、その福音を異邦人に伝える使命を与えられた使徒である」との自覚を持っていました。パウロは第一コリント書の中で召命を受けた時のことを回想しています「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてある通り、私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてある通り、三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。(中略)そして最後に、月足らずで生まれたような私にも現れました」(1コリント15:3-8)。この復活のイエスとの出会いこそが、パウロの使徒としての召命体験です。この召命を受けてパウロは伝道者として働きました。彼は回想します「私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日の私があるのです。そして、私に与えられた神の恵みは無駄にならず、私は他のすべての使徒よりずっと多く働きました」(同15:9-10)。
・「私は他のすべての使徒よりずっと多く働きました」、パウロは三回にわたる伝道旅行を通してローマ帝国各地に教会を立てていきます。しかしパウロに対する母教会、エルサレム教会の見方は、必ずしも好意的なものではありませんでした。エルサレム教会の人々の一部は、「パウロはイエスの直弟子ではないから使徒ではない。またキリストを信じる信仰さえあれば救われるという教えは、ユダヤ教の教えを否定するものだ」と非難していました。パウロ時代のエルサレム教会はまだユダヤ教イエス派という立場で、ユダヤ教の影響から完全に解放されてはいませんでした。ですから彼らはパウロの福音を理解できなかったのです。そのため、パウロの伝道を妨害するような行動さえ見せます。
・コリント教会はパウロが設立しましたが、パウロはやがてエペソ伝道のためコリントを離れます。その後に、エルサレム教会からの伝道師たちが来て、パウロと異なるユダヤ的福音を伝えました。彼らはエルサレム教会からの推薦状という「お墨付き」を持っていたため、その影響力は大きく、コリント教会の中にパウロに否定的な考えを持つ人たちが増え、パウロの使徒性を否定する者さえ現れるようになりました。そのため、パウロは弁明の手紙を書きました。それが今日、読みます第二コリント3章です。

2.キリストの手紙

・パウロは書きます「私たちは、またもや自分を推薦し始めているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたへの推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、私たちに必要なのでしょうか」(3:1)。異なる福音を伝えていた伝道師たちは、エルサレム教会からの推薦状を携えていました。彼らは「自分たちは使徒たちからの推薦状を持っている。何の推薦状も持たないパウロとは違う」と言っていました(10:12)。しかしパウロは自分には推薦状はいらないと言います。彼は「私たちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、私たちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています」(3:2)と語ります。コリント教会はパウロを拒絶し、中傷している教会です。その教会に対してパウロは、「私たちの推薦状はあなた方だ」と語ります。何故ならば「神が働かれたからこそコリントの人々は回心した」と信じるからです。
・パウロは続けます「あなたがたは、キリストが私たちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です」(3:3)。コリント教会を立てたのは人間的にはパウロかもしれませんが、その背後にあって働かれたのは神です。だからあなた方は「生ける神の霊によって」立てられたとパウロは主張します。後半の「石の板に書かれた手紙」とは石板に書かれた律法を指します。律法は「人を愛せ」と教えます。しかし、「人を愛せ」と言われても私たちは愛せない。私たちの愛はエゴ(自己愛、損得勘定)を超えることが出来ないからです。文字で書かれた契約、律法は私たちの限界を示し、私たちの罪を暴き、私たちを死に至らせるものです。だから「文字は殺します」(3:6b)。人は律法を守ることによっては救われないゆえにこそキリストが来られ、十字架の血を通して新しい契約、霊で書かれた契約が与えられました。「霊は生かします」(3:6c)とはその意味です。私たちは古い契約(律法)ではなく、新しい契約(福音)を伝えた、「神は私たちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました」(3:6a)とパウロは語ります。
・コリント教会はユダヤ主義者の影響を受けて、割礼を受けなければ救われないとか、戒めを守らなければいけないとか、キリストが教えられたことと違う方向に行き始めました。それをパウロは「異なったイエス、違った福音」と述べています(11:4)。「違った福音」のどこが悪いのか。それは神の教えではなく、人の教えだからです。人が求めるのは幸福です。人は、病気や老いや貧しさから解放されて幸福になりたいと願っています。その願いに応えて、「割礼を受ければ救われる、戒めを守れば祝福される」という幸福宗教の教えが出てきます。幸福宗教は救いの決定権を人間が持ちます。「割礼を受ければ救われる」、「戒めを守れば救われる」のであれば、神は不要です。しかし、人には命の決定権はなく、そこに救いはありません。真の福音とは、神が私たちを愛し、救ってくださる事を信じていくことです。イエスが伝えられた良い知らせ、福音とはそれです。その「正しい道に帰れ」とパウロは呼びかけているのです。

3.生きた神学を学ぶ

・今日の招詞にマタイ5:16を選びました。次のような言葉です「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」。ここに伝道の極意があります。伝道するのは言葉ではなく、私たちの生き方です。「信徒の神学」を著したヘンドリック・クレーマーは1961年に招かれて来日し、日本の教会への伝言を残して去りました。彼は語りました「日本の教会は現代日本の中でどう宣教すべきかの視点が少なく、日本的風土に根を下ろさず、西欧教会の模倣になっている。伝道や教会形成には熱心であるが、教会の預言者的役割、世の塩、地の光たらんとする気概が少ない」。「教会は世にあって、世に仕える」存在であり、私たちは「キリストの手紙」、「世の塩、地の光」として立つことを求められているのです。
・では具体的に何をすれば良いのか、私たちは「生きた神学を学ぶ」必要があります。ロバート・ベラーという宗教社会学者はその著「善い社会」の中で、アメリカ・メソジスト教会の一人の牧師の言葉を紹介しています。彼は語ります「ヘブライ人への手紙の著者が誰であるかはどうでも良い。それは死んだ神学だ。生きた神学はこの書が私の人生にどのような意味を持つのかを教える。ヘブル13:5は語る「主は『私は、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました」。16歳の娘の麻薬が発覚した時、この言葉はどのように私を導くのか。会社が買収されて24年間勤務した職場を去らなければいけない時、この言葉の意味は何なのか、それが問題なのである」(ロバート・ベラー「善い社会」、pp207-208)。人生の危機に直面した時、キリストの言葉が本当に私たちを苦難から立ち上がらせる力があるのか、そのような体験的神学の学びを通して、私たちは訓練され、聖書が「生きて働く」福音になっていきます。その時、まさに「文字は殺し、霊は生かす」というパウロの言葉の意味が、体験的に理解出来るようになります。
・ロバート・ベラーは最後に語ります「宗教共同体(教会)はまた、私たちが究極的な問題と取り組むのを助けてくれる。すなわち、費用便益計算(利害損得)以上のもの、欲望以上のものに基づいて生きるための道を探ることである」(同p228)。現代の私たちは利害損得(お金)を宗教としています。しかし聖書は利害を超えるもの、神を愛するように隣人を愛することを求めます。私たちは神の国をこの地上に広めるためにここにいるのです。イエスは言われました「私が神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ている」(ルカ11:20)。私たちは死んでから天国に入るために教会に集められたのではありません。そうではなく、救われた者としてどう生きるかを知るために集められ、そして知った者は神の国の伝道者として派遣されていくのです。「神の指で悪霊を追い出せ」とは、「キリストの手紙としてあなた自身が生きよ」との意味です。今年最後の礼拝にあたり、そのことを覚えたいと思います。

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