江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2014年10月26日説教(1コリント11:17-26、パンを分かち合って一つになる)

投稿日:2014年10月26日 更新日:

1.コリント教会での間違った主の晩餐式

・コリント書を読み進めています。今日は11章を読んでいきますが、ここにあるのはコリント教会の分派騒動が、教会の礼拝の中核である「主の晩餐式」にまで悪影響を及ぼしている事実です。コリント教会には多くの異なった経歴の人々がいたと推測されます。教会の中にはギリシア人もユダヤ人やローマ人もいたと思われます。また豊かな人も貧しい人もいたし、自由人の他に奴隷の人もいたものと思われます(1:26)。出身も経歴も習慣も異なる多様な人々が、一つの家に集まり、共同の礼拝を持っていたのです。家の教会ですから、集会の人数は多くても50人くらいだったと思われます。
・多様な50人が集まれば、そこにはおのずからグループが出来ます。ギリシア人はギリシア人で集まり、ユダヤ人はユダヤ人同士、自由人も奴隷もそれぞれグループに分かれていたことでしょう。だから「私はパウロに」、「私はアポロに」、「私はペテロに」という分派が生じます。パウロもある程度の仲間割れは仕方がないと考えています「あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。私もある程度そういうことがあろうかと思います」(11:18)。しかし、仲間割れが主の晩餐の席上で起こったならば、それは教会ではないとパウロは語ります「あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです」(11:19−20)。
・具体的に何が起きていたのでしょうか。信徒の多くは奴隷や貧しい人々であり、彼らは日曜日も働かなければなりません。従って、主日礼拝は朝ではなく、みんなが集まることの出来る夕方から持たれ、その中心は各人が食料を持って来て分け合う、「主の晩餐」と呼ばれる共同の食事でした。金持ちの人々は夕刻にはそれぞれの食べ物をもって家の客間に集まり、主人が祈りと感謝を捧げて、パンを裂き、ぶどう酒を分けて飲食しました。日が暮れると、貧しい人々が一日の労働を終え、おなかを空かして礼拝に来ました。しかし、その時にはパンはほとんど残っておらず、先に来た人たちはぶどう酒の酔いで顔を赤くしているという状況でした。当時の貧しい人々の日常の食事は「パンと水」だけで、肉や魚をいただく食事は主の晩餐式だけだったと思われます。ところが仕事を終えて来たら、もう食事は残っていない。それが1回だけでなく、恒常的にそうであった。
・そのことをパウロは伝え聞き、怒ります「食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです」(11: 21)。何故自分たちだけで先に食べて、貧しい人々を除外するようなことを平気で行うのか、それが主の晩餐としてふさわしいのかとパウロは叱責します。パウロは本気で怒っています。その言葉が22節以下にあります「あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。私はあなたがたに何と言ったらよいのだろう。ほめることにしようか。この点については、ほめるわけにはいきません」(11:22)。

2.主の晩餐式とは何か

・パウロはコリントの人々に、そもそも「主の晩餐式とは何か」を23節以下で力説します「私があなたがたに伝えたことは、私自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、私の血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、私の記念としてこのように行いなさい』と言われました」(11:23-25)。パウロがここで語るのはパウロ自身もエルサレム教会から伝承した式文で、晩餐式の起源は主イエスが弟子たちと共に取られた最後の晩餐にあるというものです。
・最後の晩餐についての伝承がマルコ福音書にもあります。それによれば「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた『取りなさい。これは私の体である』。また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた『これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である』」(マルコ14:22-24)。イエスはご自分の最後の時が来たことを悟り、これまで労苦を共にしてきた弟子たちにお別れの挨拶をされました。「私はやがて殺されるだろうが、私の流す血、私の裂く体は決して無駄にならない。そのことを覚えておいてほしい」と。そして最後に言われます「はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい」(マルコ14:25)。「私は死ぬが神の国はまもなく来る。その時また一緒に祝宴を開いてぶどう酒を共に飲もう」として、イエスはお別れをされたのです。
・弟子たちも決意を新たにしますが、いざイエスが捕らえられ、十字架で処刑される時には、恐怖にかられて逃亡します。しかし逃げ出した弟子たちに復活のイエスが現れ、弟子たちは再び集められ、イエスが復活された日曜日を「主の日」として礼拝を持ちます。その礼拝の中核になったのが、イエスの死を想起する「主の晩餐式」でした。だからパウロは語ります「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(11:26)。主が再び来られれば、もはやパンと盃を持って主を想起する必要はありません。主の晩餐式は「イエスが私たちのために死んで下さった」という過去の出来事を記念すると同時に、「イエスが再び来て下さる。その時、神の国が来る」という将来の希望をも意味している行為なのです。そのイエスの死を想起する「主の晩餐式」で、ある者たちは勝手に食べ、別の者たちは食べることも出来ない、それでは「主の晩餐式」は成立しないとパウロは憤慨しているのです。

3.一つのパンが教会を一つにする

・今日の招詞に1コリント10:17を選びました。次のような言葉です「パンは一つだから、私たちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです」。コリント教会では金持ちだけ集まって先に主の晩餐をいただき、貧しい人々は食事に与れないという事態が生じていました。彼らは「主の晩餐」の基本理解が出来ていませんでした。ですからパウロは言います「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです」(11:27-28)。パウロが述べる「ふさわしくないままに」とは、貧しい者を食卓から排除しながら「主の晩餐」にあずかることは間違っているという意味です。ですからパウロは、そのような事態を避けるために「食事のために集まる時には、互いに待ち合わせなさい」(11:33)と勧告し、それでも空腹に耐えられないようであれば「家で食事を済ませなさい」(11:34)と語ります。
・コリント教会では、持っているものを分かち合えない故に、それは「主の出来事ではない」と批判されました。同じような出来事が今日でも起きています。2014年8月14日AFP通信によれば、「西アフリカ・リベリアのバラジャ村に住むファトゥ(12)さん一家で父親(51)がエボラ出血熱で死に、娘のファトゥさんと母親(43)もエボラを発症した。父親の遺体を収容した保健当局は、村人たちにファトゥさん一家には近づかないよう警告し、2人は朝から晩まで隣人に食べ物を求める叫び声を上げていたが、食べ物は与えられず、母親は8月10日に死亡、ファトゥさんも2日後に水も食料もないまま孤独な死を迎えた」と報告しています。他方、同国で診療にあたっていたアメリカ人医師と看護婦も感染し、救難援助でアメリカ本国に搬送され、入院して、今は快方に向かっているそうです。リベリア人は見捨てられ、アメリカ人には救いが与えられました。これはおそらくはやむを得ない出来事でしょう。しかし神の目から見れば、これはコリント教会で起きていたことと同じ意味合いを持ちます。パウロは「主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです」(11:29-30)と述べています。暴飲暴食のためにコリントの豊かな人々が病気になり、死ぬという事柄が起きていたのかもしれません。
・多くの教会ではこの「ふさわしくないままで」という言葉を、「洗礼を受けることなしに」と読み替えてきました。しかしパウロはコリント11章で、「洗礼が主の晩餐にあずかる要件だ」とは一言も述べていません。「主の晩餐」にあずかるにふさわしいか否かは、どこまでも各人の信仰的な反省に委ねるべき事柄であります。何故ならば、主の晩餐式は「教会を一つにする」ために行われるものであり、「教会の分裂を招く」ためではないからです。「パンは一つだから、私たちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです」。
・コリント11章で明らかなように、初代教会において「主の晩餐式」は共同の食事の中で祝われていました。それは愛餐(アガペー)と呼ばれています。食事の交わり、分かち合いこそ、イエスが最も大事にされていたものです。イエスは徴税人や罪人といわれる人々と共に食卓につき、そのために「大食漢で大酒飲み、徴税人や罪人の仲間」と批判されました(ルカ7:34)。しかしイエスは人々との食卓の交わりを続けられました。「共に食べる」ことこそ、神の国の分かち合いとして大事にされていたからです。主の晩餐式が愛餐(アガペー)であれば、そこにおける参加者の割礼あるいは洗礼の有無は無関係です。しかし2世紀以降教会制度が確立してきますと、主の晩餐式は礼拝の中で行われる秘蹟(サクラメント)となり、信徒のみ(洗礼者のみ)に限定されるようになります。私たちは主の晩餐式を本来の姿「愛餐」に戻す必要があります。だから私たちの教会では洗礼を受けていなくとも、「イエスを主と信じる」決断をされた方は、共に晩餐にあずかるように招きます。それを通して「一つの体」になるためです。「皆が一つのパンを分けて食べる」、そこに教会の交わり(コイノニア)の原点があります。

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