江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2014年6月22日説教(ローマ9:1-18、同胞のためであれば死んでも良い)

投稿日:2014年6月22日 更新日:

1.同胞の拒絶

・ローマ書を読んでおります。今日はローマ9章から御言葉を聞いていきます。パウロはシリアのアンティオキアを拠点に異邦人伝道を行い、彼の努力によってエペソ、ピリピ、コリント等に多くの集会が生まれました。今彼はローマに行こうとして、その準備のためにローマの集会に手紙を書いています。そのパウロの伝道活動を報告したものが使徒行伝です。使徒行伝を読んで気づかされますのは、当時の地中海世界の至る所にユダヤ人共同体が形成されており、パウロは各地のユダヤ人共同体のシナゴーク(会堂)を訪れ、そこを足場に伝道していったという事実です。エペソにもピリピにもコリントにも、そしてローマにもシナゴークがありました。何故そのようにユダヤ人が世界各地にいたのでしょうか。それは、母国ユダヤが繰り返し異国の侵略を受け、その結果大量の難民が生じ、その難民が各地に散らされ、結果としてユダヤ人共同体が形成されていったからです。そしてその国際的なユダヤ人ネットワークに乗って福音が拡がって行った。人間的に見れば民族の離散は悲劇的な出来事ですが、信仰の目から見れば、歴史の中に働く神の摂理です。二つ目に気づくことは、初代教会の熱心な伝道にもかかわらず、多くのユダヤ人は福音を受け入れなかったという事実です。そのため、伝道の対象が異邦人となり、異邦人教会が形成されていきます。「ユダヤ人の拒絶により、福音が異邦人に伝わっていった」、ここにも神の不思議な計画があります。パウロはこの不思議な神の計画について、ローマ書9-11章の3章で述べます。
・今日、私たちは最初の第9章を通して、それを学びます。パウロはローマ教会にあてた手紙の中で、「私には深い悲しみがあり、私の心には絶え間ない痛みがあります」と語ります。それは同胞のユダヤ人が福音を受け入れず、その結果神の救いに預かっていないということでした。イスラエルは神の民として選ばれ、キリストも肉によればユダヤ人として生まれられた。そのユダヤ人がキリストを殺し、今に至るもキリストを救い主として受け入れようとしない。何故、イスラエルは信じないのか、それは誰の責任なのか、彼らはこのまま滅びるのか。これはユダヤ人パウロにとっては最大の心配事でした。彼はユダヤ人同胞が救われるためであれば、彼自身は「キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」(9:3)とまで言います。
・パウロは考えます「神の言葉は決して効力を失ったわけではない。イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず、また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない」(9:6-7)。「肉のユダヤ人が本当のユダヤ人ではなく、霊のユダヤ人(つまり異邦人)がその約束を受け継ぐのだろうか」と彼は悩みます(9:8)。そして創世記の出来事を思い巡らします。アブラハムを相続したのは先に生まれたイシマエルではなく、二番目に生まれたイサクでした。またイサクには双子の兄弟が与えられましたが、相続したのは長男エソウではなく、次男のヤコブでした。それ故パウロは語ります「自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした」(9:12)。そして彼は出エジプト記の言葉を思い起こします「神は自分が憐れもうと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされる」(9:18)。救いも滅びも、すべては神の経綸の中にあります。
・しかし、私たちは、それを聞いておかしいと思います。もし神が自分の好き嫌いで、ある者を救い、ある者を滅ぼすとすれば、神は不義であり、不公平である事になります。人の信じる、信じないという判断さえも神の意思だとすれば、人間には全く自由意志がないことになります。そうであれば「ある人が信じないとしても、神はその人を責めることは出来ないのではないか」(9:19)。私たちの疑問をパウロは一喝します「あなたは何者か。あなたは神に口答えをするのか。造られた者が、造った者に対して、何故私をこのように造ったのかと言えるのか」(9:20)。人は全てを知りません、人に出来ることは神の啓示を受け入れることだけです。その啓示を受け入れた時、何かが見えてきます。何が見えてくるのでしょうか。

2.異邦人を通してユダヤ人を救われる神

・「神はかたくなにしたいと思う者をかたくなにされる」、神は何故ユダヤ人をかたくなにされたのか。パウロはこれまでの伝道活動を振り返った時、そこに一筋の道が見えて来ました。エルサレムで生まれた教会は同胞ユダヤ人への伝道を始めましたが、ユダヤ人はこれを受け入れず、逆に教会を迫害しました。迫害の結果、信徒たちはエルサレムを追われ、結果的に福音がエルサレムの外へ、異邦世界に伝えられて行きました。海外においても多くのユダヤ人は拒絶し、パウロは異邦人伝道に向かっていかざるをえませんでした。事実、ユダヤ人の拒絶を通して福音は拡がって行ったのです。もし母国のユダヤ人が福音を受け入れたら、福音はパレスチナだけの教えに終わっていたでしょう。また仮に海外居住のユダヤ人が福音を受け入れたら、福音はユダヤ社会の中に留まり、イエスの教えはユダヤ教内の一派に終わっていたことでしょう。そこまで考えた時、パウロに神の経綸がおぼろげに見えてきました。「神はユダヤ人の不服従を通して、異邦世界に福音が伝えられ、全世界が救われるようにされたのだ」と。
・異邦人を救うために、ユダヤ人をかたくなにされたのであれば、今度は異邦人の信仰を通して、ユダヤ人を救われるに違いない。その時、パウロはホセアの預言「私は自分の民でないものを私の民と呼び、愛されなかった者を愛されたと呼ぶ」の意味を知りました(9:25-26)。ホセアは妻を娶りましたがが、彼女は夫を捨て、若い愛人に走り、二人の子を産みました。ホセアは姦淫で産まれた最初の子をロ・ルハマ(愛されぬ者)と名づけ、二人目の子をロ・アンマ(わが民でない者)と呼びます(ホセア書1:6-9)。姦淫で生まれた子を喜ぶ父はいません。その思いが子の名前に反映しています。やがてホセアの妻は愛人に捨てられ、奴隷にまで落ちぶれます。ホセアはその彼女を買い戻し、再び妻に迎えます。ホセアは自分の家庭に起きた出来事を通して、背き続ける妻をなおも愛される神、自分の子でないものを自分の子として迎え入れる神を知りました。ホセアの妻は夫の真実に打たれて悔い改めます。同じように、イスラエルも裏切った自分たちを赦される神の愛を見て、悔い改める。神はその時を待っておられる「神は滅ぶべき者を耐え忍ばれている」(9:22)。神はイスラエルを見捨てておられない。パウロはホセアの言葉を通して、この確信を持ちました。

3.神は全人類を救われる

・今日の招詞にローマ11:32-33を選びました。次のような言葉です「神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」。パウロの同胞ユダヤ人はキリストを殺し、キリストを拒否しました。パウロは神がユダヤ人を捨てられたのかと嘆きましたが、そうではないことがわかりました。神はユダヤ人を不従順にし、その不従順を通して福音を異邦人に伝え、今は異邦人の従順を通して、ユダヤ人を救おうとされている。異邦人の救いが満たされた時、同胞ユダヤ人の救いが始まり、神の国が来るパウロは希望を持ったのです。神は全人類を救うために、今ユダヤ人を不従順の牢獄に閉じ込められた。そしてその牢獄の鍵を開けるために私を立てられたと彼は確信しました。だから彼はローマへも、そして当時の地の果てであったスペインにも宣教に行こうとしたのです。
・パウロは手紙の末尾で「ローマを訪問したら、その後イスパニアに行く予定であり、あなた方にそれを支援してほしい」と語っています(15:24,28)。イスパニア、現在のスペインはローマに征服された属州でした。そこではギリシア語ではなくラテン語しか通じず、しかも地方に行けばラテン語さえ通じない土地でした。パウロのネイティブ言語はギリシア語であり、彼はラテン語を話せません。聖書もギリシア語には翻訳されていましたが、ラテン語聖書が出来るのはパウロから300年後です。またスペインはローマに征服されていましたが、叛乱が繰り返し起き、治安は不安定でした。そのスペインにまでパウロは行こうとしています。その謎を解く鍵が11:25にあります「一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、その時全イスラエルが救われます」。パウロは自分が生きている間に「スペインを含むすべての国民」へ宣教を果たすことができれば、神の国が来て、同胞ユダヤ人も救われる。そのためだったら、どのような苦労もいとわないと覚悟していたのです。
・パウロはイスラエルの救いを神に祈り続けました。「彼らが救われるのであれば、私は地獄に落ちても良い」とさえ言います。私たちも同じ状況にあります。日本のキリスト教人口は1%であり、99%の人はキリストを拒絶しています。私の両親や子や兄弟もキリストを信じていません。彼らは滅びるのか、自分の家族が滅びるのであれば、自分だけ天国に行っても何の喜びがありましょう。私たちの願いもパウロと同じです。その時、パウロの言葉が私たちを神の思いに導きます「神は全ての人を不従順の状態に閉じ込められたが、それは、全ての人を憐れむためだった」。神は日本人を救うために私たちの同胞をかたくなにされた。そしてこの教会に中国や韓国、フィリッピン、等々の異邦人を送られた。異邦人の熱心を通して日本人を救うためです。パウロの壮大な神の計画の解き明かしを見る時、私たちの教会の役割が見えて来ます。40人の小さな群の中に、多様な国籍を持つ人が与えられている。この小さな教会は大きな期待を神から与えられているのです。
・パウロはこの後エルサレムに帰りますが、騒乱罪に巻き込まれ、2年間幽閉され、裁判を受けるためローマに移送され、そのローマで死刑となります。しかしパウロの生涯はその死では終りませんでした。彼の残したローマ人への手紙はやがて正典聖書の中に組み込まれ、後世の多くの人に生きる意味を問いかける書として読まれ続けています。幸福な人生は死ねば終ります。しかし「意味ある人生」は死んでも終わらない。私たちは幸福な人生ではなく、意味ある人生に招かれているのです。

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