1.病を癒されるイエス
・2013年度に入りました。3月までパウロ書簡を学んできました。書簡を通して、パウロの数々の苦難にあっても希望を捨てない勇気や、牧会者としての細やかな心配りが、行間を通して伝わって来ました。ただ、パウロは生前のイエスを知らず、復活のキリストとの出会いが彼の信仰の原点でした。だからパウロは言います「(かつては)肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません」(2コリント5:16)。パウロの信仰の中核は「イエスこそキリスト(救い主)である」との宣教であり、そこにおいては生前のイエスよりも神の子キリストが宣教の中心になります。しかし、私たちの信仰の原点はやはり「ナザレのイエス」です。復活されたのは、十字架に付けられたイエスだったからです。生前のイエスに直接出会い、その人格に触れて、人生が変えられた人々がいました。彼等はイエスの言葉や行いを記録し、それを教会に伝え、その記録がやがて福音書という形でまとめられていきます。書簡等を通して、「神の子キリストと出会う」ことは大事なことですが、同時に福音書を通して、「人間イエスと出会う」こともまた重要です。この4月は、イエスは「人間としてどのような方であったのか、イエスと出会うとはどのようなことか」という視点で、マルコ福音書を読んでいきます。
・マルコ福音書には、多くの「病気の癒し」の記事が出てきます。イエスは疑いもなく、驚くべき治癒奇跡を行い、その評判が町々村々に広まって行ったとマルコは記しています。今日読みます箇所にも「癒し」が出てきます。マルコはまず、会堂を出られたイエス一行がシモンとアンデレの家に向かわれたと記述します(1:29)。カペナウムのシモン・ペテロの家が、イエスたちのガリラヤ伝道の拠点になっていました。ですからイエスたち一行は礼拝の後、昼食を取られるため、シモンの家に向かわれたのです。ところがシモンの姑は熱を出して寝ていました。「シモンの姑が熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした」(1:30-31)。並行箇所ルカでは「イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした」(ルカ4:39)とあります。「熱を叱りつけられると、熱は去り」、当時の人々は、病気は悪霊につかれた結果生じるものであり、熱病もまた悪霊によるものと考えていたことが読み取れます。
・イエスは先に会堂で悪霊を追い出し(1:25-26)、今度は熱病を癒されました。この病気治しの評判が近隣に伝わり、日が沈むと、多くの人々が、「病人や悪霊につかれた者を皆イエスの下に連れてきた」とマルコは記します(1:32)。医療が未発達な当時、病に苦しんでいる人が多く、「私の家族も治して欲しい」と求める人々で、シモンの家の戸口は一杯になりました。イエスは人々の要望に応えて、「いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出した」とマルコは記します(1:34)。預言者や聖職者は悪霊を追い出す権能を持っていると信じられていましたので、人々が押し寄せ、イエスも期待に応えるために、「力ある業」を為されたのです。イエスは「癒しを為されるのは神であり、そのことを通して神の国が明らかにされる」と思っておられました。イエスには昂揚感があったのではないかと思います。イエスご自身、別の所でこのように言われています「私が神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(ルカ11:20)。神の国のしるしとして癒しが為されたとマルコは記します。
2.癒しと宣教の間に祈りがある
・多忙な、しかし充実した一日が終わりました。イエスも弟子たちも、昂揚した気持ちで床に付かれたと思われます。しかしイエスは翌朝早く、まだ暗いうちに起きられ、祈りのために人里はなれた場所に行かれました。何を祈られたのかマルコは記しませんが、前後の文脈から想像しますと、「イエスは癒す事の意味」について迷っておられたのではないかと思われます。癒しを行うことによって民衆の人気は高まります。しかし人々が求めるのは病気の治癒のみであり、神の国ではありません。「これで良いのだろうか」、「人々は奇跡だけを求めて信仰を求めようとはしない」、イエスは迷って、祈られたと思われます。そこにシモンたちがイエスを探しに来ます。彼らは言いました「みんなが捜しています」(1:37)。前夜に治療できなかった人や新しい人が加わって、早朝から多くの人がイエスのところに集まって来ていたのです。シモン・ペテロの口調には非難の響きがあります「多くの人々が求めているのに、なぜこんな所に来ておられるのですか」と。しかしイエスは弟子たちに言われます「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、私は宣教する。そのために私は出て来たのである」(1:38)。
・弟子たちはイエスを病気や悪霊に取りつかれた者たちの病気治しの場に引き戻そうとしていますが、イエスは病気の治しよりも大事なものがあるといわれます。かつてイエスが荒野で試練に遭われた時、サタンが来てイエスにささやきました「人々は飢えている。神の子ならこの石をパンに変えて人々に十分に食べさせたらどうだ」。しかしイエスは言われました「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)。「やがて朽ちる食べ物ではなく、永遠の命に至る食べ物、御言葉こそ大事ではないか」とイエスは言われたのです。このたびも同じです。「病の治癒や悪霊の追放は大事な業だ。それは神の国のしるしだ。しかしそれは神の国ではない。あなた方も人々も奇跡や癒しの業だけを求めているのであり、神の国の喜ばしい使信を聞こうとはしていないではないか」と。
・私たちはイエスが癒しと宣教の間に、一旦退かれて、祈りと黙想の時を持たれたことの意味を考える必要があります。イエスは悪霊追放の働きに備えるだけではなく、根本的なところで神の意思を問い、自らの使命を確認するために祈りが必要だったのです。E.シュバイツアーは次のように注解します「イエスが人を避けて祈られたことについては、何度も繰り返し語り伝えられている。この祈りはイエスの奉仕活動に本質的に付随するものであって、この祈りによって、彼の奉仕は過度の多忙に陥ることからも、怠惰に陥ることからも守られたのであった。同時にこれはまた、イエスの御後に従おうとせず、ただ感激して賞賛する人々から逃れるためでもあったのである」(NTD新約聖書注解「マルコによる福音書」)。私たちも「過度の多忙と怠惰」から解放されるために、静まって神と対話する必要があります。この対話の時が主日礼拝です。私たちは何よりもこの主日礼拝を大事にします。礼拝における神との対話を通して、私たちは世の中に出て行く力をいただくのです。
3.教会のなすべきは治癒ではなく癒しだ
・今日の招詞としてマルコ1:14-15を選びました。次のような言葉です「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」。イエスが宣教の初めに述べられた言葉です。「悔い改めるとは何か」、「福音を信じるとは何か」、わかるようで分からない訳文です。本田哲郎というカトリック司祭はこの部分を、「時は満ち、神の国はすぐそこに来ている。低みにたって見直し、福音に信頼して歩みを起こせと言った」と訳します。通常「悔い改める」と訳される「メタノイア」というギリシャ語を、「低みにたって見直し」と本田訳は表現しますが、これはメタノイアの原型となったヘブル語「ニッハム」と言う言葉が、「痛み、苦しみを共有する」という意味を持つからです。「神の国とは、お互いが痛み・苦しみを共有する場所だ、そういう新しい時代が始まったのだ」とイエスは宣言されたと本田氏は理解したわけです。
・現在の新共同訳は、聖書の使信を正しく反映していないのではないかという疑念から、彼は聖書の個人訳を始めました。そして、自分でギリシャ語から聖書本文を訳し直した時、福音書に繰り返し出てくる「癒しの意味」も変わってきたと彼は言います。彼は言います。「文字通り“癒す”という言葉“イオーマイ” が出るのは、マタイとマルコ両福音書について言えば、合わせて五回しかありません。それもすべて、結果として“癒し”が行われたことの報告という形、もしくは“癒されたい”側の期待のことばとして出るだけです。あとはすべて“奉仕する”という意味のまったく別のことば“セラペオー”です。マタイとマルコ合わせて二十一回も出てきます。英語 Therapy の語源となった言葉ですが、これを病人に対して当てはめると、“看病する”、“手当てする”となります。(中略)“手当て”をして、結果として“癒し”が起こって、イエス自身“深い感動をおぼえた”という事例すら、福音書は記録しています。イエスにとって、神の国を実現するために本当に大事なことは、“癒し”を行うことではなくて、“手当て”に献身すること、しんどい思いをしている仲間のしんどさを共有する関わりであったことは明らかです」(本田哲郎「小さくされた人々のための福音」)。イエスが志されたのは病の治癒ではなく、「病人の苦しみに共感し、手を置かれる行為だった、その結果病が癒されていったのだ」とマルコは記しているのです。大事な発見がここにあるように思います。
・マザーテレサが行ったことも病気の治癒ではありません。ある時、彼女は言いました「私は毎朝、祭壇の上から小さなパンのかけらの主を戴いています。もう一つは、町の巷の中で戴いています。先日町を歩いているとドブに誰かが落ちていた。引揚げて見るとおばあちゃんで体はネズミにかじられウジがわいていた。意識がなかった。それで体をきれいに拭いてあげた。そうしたら、おばあちゃんがパッと目を開いて、『Mother thank you 』と言って息を引き取りました。その顔は、それはきれいでした。あのおばあちゃんの体は、私にとって御聖体でした。なぜかと言うと、私にとっては、イエス様の言葉はすべて神秘。『私は飢えた人、凍えた人の中にいる』とおっしゃったように、あのおばあちゃんの中に主がいらっしゃった。そのおばあちゃんを天に見送った時に、私の心の中に主が来て下さったのです」(粕谷甲一「第二バチカン公会議と私達の歩む道」から)。ご聖体、晩餐でいただくパンのことです。マザーテレサは「死に行く人を看取ったのであって、治したのではない」ことに留意しましょう。それでもおばあちゃんは感謝して死んでいきました。ここにほんとうの意味での「癒し」があります。癒しは治癒ではなく、共感なのです。イエスが与えられたのも「治癒」ではなく、「癒し=慰め」でした。私たちは「治癒」と「癒し」を峻別することが必要です。治癒は神の恵みですが、癒しは私たちに委ねられた神の業なのです。癒しが為される時、その結果治癒したかしないかは、そんなに大きな問題ではありません。私たちには治癒はできませんが、癒しならできます。その時、「ある者は治癒されて喜び、別の者は治癒されなかったが生きる勇気を与えられた」という出来事が生じるならば、そこが神の国になっていくのです。