1.山上でのイエスの変容
・マルコ福音書を読み進めています。本日はマルコ9章、「イエスの山上の変貌」として知られています箇所です。「イエスと弟子たちが高い山に登られ、イエスが祈っておられる内に、その姿が光り輝き、モーセとエリヤが現れてイエスと語り、天からの声が聞こえた」とマルコは書きます。「イエスの姿が光り輝いた」、「モーセとエリヤが現れた」、「天から声が聞こえた」、現代の私たちには理解の難しい出来事がここに描かれています。
・これはイエスの生前に実際にあった出来事なのか、学者の意見は分かれています。多くの聖書学者は、「この記事は、復活後のイエスとの顕現体験を生前のイエスに投影した教会の信仰告白である」と見ます。別の人々は、「この出来事はペテロたちが目撃し、それを弟子のマルコに伝えた現実の出来事だ」と考えています。私はこれまで出来事は本当に起きたと考えていました。しかし今では、この出来事はイエスの死後に弟子たちが復活のイエスに出会った、その顕現の場面が伝承され、生前の物語の中に挿入されたのではないかと思っています。何故ならば、今回改めてマルコ福音書を読み進み、弟子たちのイエスに対する無理解を繰り返し知らされたからです。ペテロたちが本当にイエスの変貌を目撃し、イエスが「神の子」であることを確信していたのであれば、後日、イエスが捕らえられ、十字架にかけられた時に、イエスを否定したり、逃げ出したりはしなかったでしょう。実際に、復活のイエスに出会った後の弟子たちは、「イエスの名」のために命を投げ出して行きます。しかし、この段階ではまだそのような信仰の確信には至っていません。
・物語を見ていきましょう。ガリラヤで伝道しておられたイエスは、「エルサレムに行け」との神の声を聞かれました。エルサレムはイエスの命を狙う祭司長や律法学者がいる所であり、そこに行けば殺されるかもしれないとイエスは感じておられました。イエスは気持ちの準備をされるために、ガリラヤを離れて、ピリポ・カイザリアに行かれ、その地で、弟子たちに受難予告をされました。イエスは「エルサレムでは受難が待っており、あなたたちもまた苦難に会うだろう。それでも従って来なさい」と言われました。弟子たちは動揺します。イエスがメシア=救い主であることを信じていましたが、その救い主が十字架で殺されるとは考えてもいなかったからです。ペテロは「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」とイエスを諌め、イエスから「サタンよ、引き下がれ」と叱責されています(8:32-33)。
・それから6日後、イエスは弟子たちを連れて「高い山」に登られたとマルコは記します。山は日常を離れた場所、「神と出会う場」です。イエスは山上で祈られました。そのイエスに、父なる神はモーセとエリヤを遣わして下さったとマルコは記します。モーセはエジプトで奴隷であった民を救い出して、約束の地に導いた預言者です。そのモーセは死なずに天に召され、終末の時にメシアとして再び来ると信じられていました。エリヤはイスラエルの王が外国から偶像礼拝を持ち込んだ時、これと戦った預言者で、モーセと同じく、生きたまま天に挙げられ、終末時にメシアの先駆者としてくると言われていました。モーセとエリヤがイエスに会うために天から下ってきた、それは今こそ約束された終末の時であり、イエスこそ預言されたメシアであることを証しする事柄だとマルコは理解しています。
・「イエスの姿が弟子たちの目の前で変わり、服は光のように白く輝いた、そして天から声が響いた」とマルコは記します。「これは私の愛する子、これに聞け」(9:7)という声です。シナイ山で神と出会ったモーセの顔は光り輝いていたと出エジプト記は伝えます(出エジプト34:29)。同じように神と出会ったイエスの姿も光り輝いていた。「イエスがメシアにふさわしく栄光の姿に変えられ、天からの声が聞こえた、イエスこそメシア、神の子であることを、天の神が確認された」とマルコは記しているのです。先に述べましたように、この出来事が本当に生前のイエスに起こったのであれば、弟子たちは根本からその人格が変えられたでしょう。「神に出会った」者は、もう以前のような生き方は出来ないのです。しかし、弟子たちは何ら変えられていない。やはり、出来事を復活のイエスとの顕現と考えた方がふさわしいと思います。弟子たちが正気に返った時、モーセとエリヤはいなくなり、イエスだけがおられました。イエスは弟子たちを連れて山を下りられます。
2.復活の光の中で物語を読む
・イエスの変貌物語は復活のイエスとの出会いが背景にあると言いましたが、復活者との出会いという物語を現代人はどのように聞くのでしょうか。ルドルフ・ブルトマンという聖書学者は言います「キリストの甦りとしての復活祭の出来事は決して史的出来事ではない。史的出来事として把握できるのは初代の弟子たちが幻影的体験によってイエスは復活したという信仰を持ったことだけである」。歴史家は、イエスが十字架で死んだこと、死後に弟子たちが復活信仰を持ったことは、歴史的な出来事として受け入れますが、復活そのものは弟子たちが体験した幻影的体験(幻視、幻覚)であり、史実とは認められないと考えます。実証できない事柄を歴史学は受け入れることができないのです。
・それに対して、カール・バルトという神学者は、聖書学者の態度を激しく批判します「復活者を信じる信仰の発生は、復活者が歴史的に出現することによって起こって来るのであり、復活者の歴史的出現それ自体が甦りの出来事である。それこそが弟子たちが宣教したことであり、現代の教会も宣教するものだ」。イエスが実際によみがえられた、それが歴史学的に証明できようが出来まいが、聖書はそう証しする、それだけで十分ではないかという考えです。人はすべてを知ることは出来ない、「わからないからといって出来事を否定していく時、人は歴史を超える真実を失うのではないか」とバルトは言うのです。
・私自身、理性的にはブルトマンに惹かれますが、信仰的にはバルトの主張に賛同します。イエスの弟子たちはイエスの十字架の時に逃げましたが、やがて復活のイエスとの出会いを通して再び集められ、イエスこそ「神の子」であったと宣教を始め、迫害されても喜んで死んでいきました。イエスは神の国を宣教しましたが、弟子たちはイエスこそ神の子だったと宣教して行きました。人は幻視や幻覚では死ねない、「イエスは本当によみがえられた」という確信こそ人を生かすものです。
3.天におられるキリストと共に生きる
・「イエスは生きておられる」という確信に動かされた人生を送った人がパウロです。今日の招詞としてパウロの書いたローマ書8:32-34を選びました。次のような言葉です「私たちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれが私たちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、私たちのために執り成してくださるのです」。
・パウロはダマスコ近郊で復活のキリストに出会い、その出会いが彼に、「イエスの死による贖い」と「イエスの復活による命の希望」という信仰を与えました。パウロの信仰を裁判という場面の中で考えると次のようになりましょう。まず、「イエスが十字架で死なれた」、これは客観的な、歴史上の事実です。「イエスが死よりよみがえられた」、これは目撃証言があるという意味では状況証拠となります。しかし納得できないという人も多くあります。「その死が私のためであった」、これは人間の法廷では取り上げられない主観的な事実です。最後の「キリスト・イエスが、神の右に座っていて、私たちのために執り成してくださる」という記述は、客観を重んじる歴史学者は受け入れることが出来ないでしょう。しかし、私たちはその主観的な事実を信仰と呼びます。パウロは何故この主観的な事実を信じたのか、それは復活のキリストとの出会いという体験をしたからです。復活とは理性で信じることのできる出来事ではなく、ただ経験を通してのみわかる体験的な出来事なのです。
・その復活体験の一つがマルコ9章で展開されている出来事なのではないでしょうか。ペテロは手紙の中で言います「私たちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、『これは私の愛する子。私の心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。私たちは、聖なる山にイエスといた時、天から響いてきたこの声を聞いたのです」(�ペテロ1:16-18)。
・当時のキリスト者たちはユダヤ社会からは異端として排斥され、ローマ社会からは世情を騒がす邪教徒として嫌われていました。捕えられ、裁判にかけられる者もいました。しかしパウロは言います「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです」。パウロはさらに言葉を紡ぎます「キリスト・イエスが、神の右に座っていて、私たちのために執り成してくださるのです」。地上においては聖霊がキリスト者の心の内に働いて励まし、天上においては復活されたキリストが私たちのために執り成される。神はこのような形で私たちを守って下さる、だから、たとえ地上でどのような迫害や困難があっても恐れる必要はないと彼はローマ教会に書き送ります。
・当時のローマの人々は、一日の仕事を終えて夜になってから、礼拝のために教会に集まりました。教会といっても現在のような建物はなく、カタコンベと呼ばれる地下墓地に集まり、ろうそくの灯りのもとでの礼拝を献げました。日曜日は休みではなく、彼らは仕事で疲れた身体をそのまま、地下の教会に集まり、礼拝を献げ、讃美し、祈り、御言葉を聴き、聖餐にあずかったのです。彼らは社会から疎外されていましたが、自分たちを迫害する為政者たちのためにも、神の祝福と赦しを祈りました。何故彼らは礼拝を大事にしたのか、宝物を見つけたからです。
・パウロはガラテヤ教会への手紙の中で言います「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです・・・そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:26-28)。当時、教会に加わった人々の多くは奴隷や婦人たちでした。この世の生活においては、彼らは奴隷として主人の持ち物であり、主人は彼らを生かすも殺すも自由であり、彼らの人格は認められませんでした。婦人たちは、結婚前は父親の所有物であり、結婚後は夫の所有物、老いては子に隷属する存在とみなされていました。しかし、キリストは彼らのために死なれた、だから教会は「奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません」と彼らを受け入れました。彼らはキリストに出会う前はこの世の不条理、虚無の中にありましたが、キリストとの出会いを通して神の子とされる希望を見出したのです。
・マルティン・ルーサー・キングはメンフィスで暗殺されましたが、それは彼がメンフィスのごみ収集人のストライキを支援するために当地にいた時でした。人々は人間として暮らせる賃金を求めてストライキに入りましたが、市当局は警察犬とホースと警棒で彼らを弾圧しました。その中で人々は「I am a man」、「私は人間だ」とのスローガンを掲げて戦いました。キングは暗殺の脅しを受けながら彼らと共に闘い、殺されました。キングも宝物を見いだしたからこそ、死を超えて生きることが出来たのです。聖書の信仰は、人々に「無病息災、商売繁盛、家内安全」を約束しません。約束しないどころか、キリストが苦難を受けられたのだから従うあなた方が苦難を受けるのは当然ではないかとさえ言います。誰もこのような信仰を喜びません。だからキリスト者はいつでも少数者です。しかし少数者でも良いのではないかと思います。何故なら私たちもまた「永遠の命」という宝物を見いだしたからです。