江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年7月10日説教(創世記26:15-25、柔和な人イサク)

投稿日:2011年7月10日 更新日:

1.寄留者イサク

・創世記を読み進めています。今日与えられた個所は創世記26章、イサクの記事です。創世記はアブラハム、イサク、ヤコブ、三人の父祖たちの物語を記しますが、この内アブラハムには12章から25章までの13章が当てられ、ヤコブには27章から50章までの大きな部分が割かれています。一方、イサクについて書かれているのはこの26章のみで、イサクは、アブラハム、ヤコブに比べて、影が薄い存在です。しかし26章の記事を読みますと、イサクにはアブラハム、ヤコブにない信仰の実、「柔和と寛容」があるように思います。今日はイサクの生涯を通して、信仰とは何かを学んでいきます。テキストは15節からですが、連続した物語ですので、1節から読んでいきます。
・アブラハムが死んだ後、イサクは二代目族長として牧羊民である一族郎党を率います。彼はカナン南部の山岳地帯ネゲブ地方に住んでいましたが、その地方に飢饉があったため、水と食料を求めてエジプトに避難しようとします。乾燥地帯のパレスチナでは度々干ばつが起き、水が枯れ、遊牧民は水と食べ物のあるエジプトに避難します。かつてアブラハムもそうしました(12:10-20)。エジプトに行くためには通常は「海の道」を通り、その途上のゲラル(現在のガザ地域)を通過します。ところが、ゲラルに着いた時、イサクは「エジプトに下るな」という主の命令を受けます。創世記は記します「エジプトへ下って行ってはならない。私が命じる土地に滞在しなさい。あなたがこの土地に寄留するならば、私はあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓った私の誓いを成就する」(26:2-3)。アブラハムはエジプトに下って罪を犯しています。そのような危険から身を守るために、主はイサクにゲラル滞在を命じたのでしょうか。
・しかしイサクはこのゲラルで過ちを犯します。当時の世界では、少数の寄留者が異国に滞在することは、身の危険を覚える行為した。イサクは妻リベカが美しいことに危惧感を持ち、彼女を妻ではなく妹と偽って身の安全を図ろうとします(26:7)。おそらく土地の人々の好奇の目を感じたのでしょう。父アブラハムも妻サラを妹と偽って身の安全を計ったことがありましたので(創世記12章、20章)、親子二代で同じ罪を犯したことになります。このような出来事が実際に何度も起こったのか、歴史性は不明です。これはあくまでも伝承ですが、それに相当する何らかの出来事はあったのでしょう。十分な武力を保持しない寄留者(よそ者)が他国に滞在する時の不安と怯えがこのような伝承を生んだ背景にあります。幸いなことに主の保護のもとにイサクとリベカの安全は保たれました。
・イサクたちは遊牧民ですがこの寄留地ゲラルでは耕作にも従事します。ゲラルには父アブラハムが掘った井戸があり、そこから水を得て、家畜に飲ませ、また畑を耕しました。主の祝福がイサクと共にあったので、収穫は多く、イサクは「豊かになり、ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになった」と創世記は記します(26:13−14)。すると土地の人々はよそ者の繁栄を見てイサクを妬みます。その妬みはイサクが用いていた水源である井戸を土で埋めるという行為として現れてきます。

2.柔和な人イサク

・創世記は記します「ペリシテ人は、昔、イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めた。アビメレクはイサクに言った『あなたは我々と比べてあまりに強くなった。どうか、ここから出て行っていただきたい』」(26:15-16)。乾燥地帯のパレスチナにおいて水の確保は死活問題であり、ゲラルの人々は、イサクの井戸から豊かな水が出ることによって、自分たちの水源が枯渇する懸念を持ったのでしょうか。あるいは豊かな収穫のある土地をよそ者に渡したくないと思ったのでしょうか。いずれにせよ、ゲラルの王まで乗り出して退去命令を出す騒ぎになりました。イサクにとって、それは承服できかねる圧力だったと思います。土地を明け渡すことは、ゲラルに定住して得た多くの富を失うことであり、また神からいただいた約束「これらの土地をすべてあなたとその子孫に与える」(26:3)が反故にされることでした。イサクは反論出来たはずです。しかし彼は何も言わずにそこを去り、ゲラルの谷に移動します(26:17)。
・移動した所にも、かつてアブラハムが掘った井戸がありましたが、それらの井戸もゲラルの人々がふさいでしまっていました。イサクは埋められた井戸を掘り直し、その一つから豊かな水が湧き出てきました。するとゲラルの羊飼いたちは「その水は我々のものだ」として、イサクの羊飼いと争いました(26:20)。イサクはその井戸をエセク(争い)と名づけて譲渡し、自分たちは場所を移動します。イサクはやがてもう一つの井戸も掘り当てますが、それについてもゲラルの人々は所有権を主張してきました。イサクはその井戸をシトナ(敵意)と名づけ、また場所を移動して新しい井戸を掘ります。それは大変な労苦でした。乾燥地帯ですので、どこでも水が出るわけではなく、また僅かな道具を用いて岩山を掘り崩す行為は大変な労力を要したでしょう。しかし彼は井戸を掘り続け、今度は、争いは起きませんでした。ゲラルから相当離れた場所まで来たからでしょうか。イサクはその井戸を「レホドト(広い場所)」と名づけます。創世記は記します「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」(26:22)。
・イサクはやがてその場所も離れ、かつて父アブラハムが住んだベエル・シェバに移り、そこに祭壇を築いて主の名を呼びました。その夜主がイサクに現れ彼を祝福します「私は、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。私はあなたと共にいる。私はあなたを祝福し、子孫を増やす、わが僕アブラハムのゆえに」(26:24)。イサクはベエル・シェバでも井戸を掘り、やがてそこからも水がでて、その井戸の名を「シブア(誓い)」と名づけます(26:33)。主の誓いをいただいた場所だからです。祝福がイサクにあり続けたのです。
・このイサクの井戸掘り物語を読んで、ペシャワール会の中村哲さんを思い起こしました。中村哲さんは元々医者で、パキスタン・アフガニスタン国境の町ペシャワールのハンセン病患者治療のために派遣されました。しかし、いくら治療しても患者は減らず、逆に増えて行く現実の中で、今必要なことは医療よりも、病気の原因である飢餓と不衛生な水の摂取を減らすことだと知りました。彼はまず井戸を掘って衛生的な水を供給し、次に水路建設を行って砂漠を農地にすることを自らの使命とし、以来25年実行してきました。彼は1000に近い数の井戸を掘り、また10年間をかけてインダス川支流から水路を引き、かつて「死の谷」と呼ばれた砂漠が、今では緑の地に変っています。中村哲さんの働きに現代のイサクが見えるのではないでしょうか。

3.柔和な人々は幸いである

・今日の招詞に詩編37:11を選びました。次のような言葉です「貧しい人は地を継ぎ、豊かな平和に自らをゆだねるであろう」。イエスは山上の説教の中で、「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐであろう」(マタイ5:5)と祝福されましたが、この「柔和」という言葉は、詩篇37篇11節70人訳(ギリシャ語)聖書の「プラエイス」から来ています。新共同訳では37:11を「貧しい人」と訳しますが、口語訳は「柔和な者」と訳します。このギリシャ語「プラエイス」はヘブル語「アナウィーム=神に身を委ねた者」の翻訳です。「神に身を委ねた者たちは約束の地を受け継ぐであろう」というのが詩編37編の本来の意味です。柔和な者とは、神に身を委ねた者であり、決して温和な、おとなしい者という意味ではありません。力ある悪人たちからの抑圧に耐え、怒りを抑制し、神の救いを待ち望む者です。そこには強い意思が必要であり、おとなしいだけでは務まりません。おとなしいだけでは、「地を継ぐ」ことは出来ないのです。
・創世記26章のイサクは譲歩を繰り返しました。現代人から見ればふがいない、自分の権利を守ろうとしない行為に思えるかも知れません。しかし信仰の目から見れば、イサクの行為こそが、「柔和な人」の有り様なのです。イサクは神が「この地をあなたとあなたの子孫に与える」と言われたその約束を信じ、周りの人たちと争いなく生活出来る場が与えられるはずだと思いました。争いが起こる間はまだそこは神が用意された場所ではない、だから譲歩して新しい井戸を掘りました。そして誰からも異議が出なくなった時、そこを自分のものとしました。信仰が本物になる時、これは自分が切り開いた畑だ、これは自分が掘った井戸だという思いから解放されるのです。これが「柔和な人」の生き方です。もしイサクの子孫である現代のイスラエル人がイサクの「柔和さ」を学んだ時、戦後60年以上も解決しないパレスチナ紛争は収まるでしょう。現代のイスラエル人は「ここは神が与えると約束された土地だ」として、武力でパレスチナ人の土地を奪い取ってきました。それに対して、アビメレクの子孫であるパレスチナ人たちは、テロ行為で反撃してきました。イサクが寄留したゲラルの地が現代の紛争地帯であるガザ地区にあるのは象徴的です。ある意味で3500年前の争いが再現されているのです。「貧しい人は地を継ぎ、豊かな平和に自らをゆだねるであろう」、信仰は自分さえよければ良いというものではなく、「共に」を忘れたとき、神に背く行為になり、平和はなくなるのです。
・イサク自身の生涯は決して恵まれたものではありませんでした。若い日には父親によって犠牲の祭壇に横たえられました。長じては家庭内での不和と軋轢に悩まされました。生まれた双子の息子たちは争いを繰り返し、弟息子ヤコブは兄から長子権を騙し取り、それがもとで家を出奔し、残った兄息子エソウは信仰を継承せず、土地の娘を嫁に迎えて異教徒になります(26:34-35)。老人になってからは、イサクは目が不自由になっています(27:1)。イサクはアブラハムのように自分の道を切り開いていった創業者ではなく、ヤコブのように多くの子どもたちを与えられ、民族を形成して行った中興の祖でもありません。しかし彼は神の祝福を継承し、それを他者に与える人になりました。神から祝福を受けるとは、幸せな生涯をおくる事ではありません。そうではなく、意味のある生涯を送ることです。自分の生涯に意味を見出した者は、神の平和(祝福)の下にあるのです。
・26節以下にかつてイサクを迫害したゲラル王がイサクを訪問する記事がありますが、ゲラル王は「主があなたと共におられることがわかった」ので、お互いに侵略しないという不可侵条約を結ぼうと提案してきます(26:28)。自分の権利を主張せず相手に譲りながら、それでも所期の目的を忘れず井戸を掘り続け、掘った井戸全てから豊かに水が与えられるのを見て、異邦人の王はそこに「神の業」を感じたのです。イサクはこの異教徒にも祝福を与えて送り出しました。ここに教会の業があるのではないでしょうか。イサクの業を現代に行うのです。声高に伝道するのではなく、礼拝に、祈祷会に集まる私たちを見て、「主があなたがたと共におられることがわかった」と近隣の方々が集う、そのような教会形成をしたいと思います。

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