江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年2月13日説教(列王記下18:1-20、私たちは誰を頼りにして生きるのか)

投稿日:2011年2月13日 更新日:

1.イスラエルの滅亡とユダ王国の危機
・列王記を読んでいます。今日が7回目で、列王記下18章のユダ王ヒゼキヤの記事を読みます。18章を読む前にイスラエルの歴史を総括的に振り返ってみます。先週私たちはエリシャがイスラエル王国の行く末を案じながら死んでいった記事を読みました。しかし、エリシャが心配したヨアシュ王は北の隣国アラムとの戦いに勝ち、奪われた領土を取り返します。その子、ヤロブアム二時代になると。北イスラエルは繁栄を享受します。ただ、列王記記者は全く評価しません「イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムがサマリアで王となり、四十一年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れなかった」(列王記下14:23-24)。先週申し上げたように、列王記の評価基準は、「王がどれだけ領土を広げたか、どれだけ国に繁栄をもたらしたか」ではなく、「主の前に正しかったか」、だからです。彼は王としては極めて有能でしたが、他方、国内では貧富の格差が拡大し、道徳的には腐敗した時代でした。
・ヤロブアム死後、その子が王位につきますが6ヵ月で殺され、新しく王となった者もまた殺され、イスラエルでは短期間で王権が次々に交代するようになります。罪の故に国が崩壊し始めていたのです(日本はこの5年間に5人の首相が交代しています。この状況は日本の北イスラエル化、行き詰まりを示すものかもしれません)。さて、北イスラエルに混乱をもたらした要因は、当時世界帝国への道を歩み始めたアッシリアでした。アッシリアはそれまでは従属国から貢物の支払いを受けることで満足していましたが、ティグラトピレセルという王が即位すると(前745年)、周辺諸国の併合に動き始め、シリア・パレスチナの諸国はその影響をまともに受けます。
・北イスラエルで政権が不安定化していったのに対し、南のユダ王国では安定した治世が続いていましたが、アハズ王の時代に政局が不安定化します。北イスラエルとシリアは同盟を結んで反アッシリアの動きを強め、ユダにも加わるように求めますが、ユダがこれを拒否したため戦争になったのです。この戦争はユダ王国に深刻な打撃を与え、アハズ王はアッシリアに援軍を求めます。アッシリアはこの要請を好機にシリアの首都ダマスコを攻めて占領し、さらにイスラエル王国をも攻め、サマリアを包囲します。アハズ王はアッシリアの介入により危機から救われますが、その見返りに多大の貢物と、同時にアッシリアの祭壇をエルサレムに導入することを求められました。古代オリエントにおいて征服者は自国の国家祭儀を受け入れるように従属者に求めました。ユダがアッシリアに従属するということは、アッシリアの神々をも受け入れることだったのです(これは戦前の日本が植民国となった朝鮮に神社礼拝を強制したのと同じです)。列王記はこのアハズを異教礼拝のゆえに激しく批判しています「アハズは・・・主の目にかなう正しいことを行わなかった。・・・彼は聖なる高台、丘の上、すべての茂った木の下でいけにえをささげ、香をたいた」(列王下16:2-4)。
・アッシリアは三年間の攻防の後にサマリアを滅ぼし、その住民を捕虜として自国に連れ去り、前721年にイスラエル王国は滅びます。列王記記者はそこに神の裁きを見ています。「アッシリアの王はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々にとどまらせた。こうなったのは、彼らが自分たちの神、主の御声に聞き従わず、その契約と、主の僕モーセが命じたすべてのことを破ったからである。彼らは聞き従わず、実行しなかった」(列王記下18:11-12)。アッシリアは占領地の住民すべてを別の地に移し、占領地には新しい住民を移す政策をとっており、この結果、北王国を形成したイスラエル10部族は完全に消滅し、再び歴史の舞台に上ることはありませんでした。

2.ユダ王ヒゼキヤのためらいと信仰
・こういう背景の中で、ヒゼキヤがユダ王として即位します(前715年)。即位当初、ヒゼキヤはアッシリアへの従属を続けますが、アッシリアは王サルゴンが前705年に死んだ時、帝国内の至る所で反乱が起き、一時的にパレスチナから軍を引きます。この時、ヒゼキヤ王はアッシリアへの貢物を中止し、隷属関係を破棄し、父アハズがエルサレムに導入することを強いられたアッシリアの国家祭儀も排除していきます。列王記の記者はこのヒゼキヤの改革を高く評価します「彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた」(18:3-4)。
・ヒゼキヤはバビロニア、エジプトと関係を深めて、パレスチナの反アッシリア連合の盟主となります。そしてこれに同調しないガザを攻めて占領しています(18:8)。またヒゼキヤはエルサレムの町の防備を強化することに力を入れ、アッシリアの攻撃に備えて、エルサレム城内に水を確保するため、町の外のギホンの泉からシロアムの池まで水を引くため地下水路を作りました。これは現在も残っており、全長533メートルの地下の工事はかなり高度な技術でした。
・しかしこのヒゼキヤに試練の時が訪れます。アッシリアは政権交代でしばらく混乱しましたが、新しい王センナケリブが支配を安定させ、反乱していたシリア・パレスチナの鎮圧を開始します。前701年、ヒゼキヤの治世14年目のことでした。センナケリブはまずフェニキアの都市国家を攻撃し、そこから南に転じて諸国を次々と屈服させます。彼はさらに同盟軍を支援するために北上してきたエジプト軍を撃破し、その後ユダに侵入し、町々を征服し、エルサレムを包囲します。この時は、ヒゼキヤはアッシリアに降伏してこの難局を逃れようとしたようです。列王記は記します「ヒゼキヤ王の治世第十四年に、アッシリアの王センナケリブが攻め上り、ユダの砦の町をことごとく占領した。ユダの王ヒゼキヤは、ラキシュにいるアッシリアの王に人を遣わし『私は過ちを犯しました。どうか私のところから引き揚げてください。私は何を課せられても、御意向に沿う覚悟をしています』と言わせた。アッシリアの王はユダの王ヒゼキヤに銀三百キカルと金三十キカルを課した」(列王記下18:13-14)。ヒゼキヤは「主の神殿と王宮の宝物庫にあったすべての銀を贈った」(18:15)、国庫を空にするほどの膨大な貢物をアッシリアに納めて、やっと国の滅亡を免れたのです。
・しかしこの妥協は最終的な解決にはなりませんでした。アッシリア軍は数年後に再びパレスチナを攻め、エルサレムを大軍で包囲して降伏を求めました。列王記は記します「アッシリアの王は、ラキシュからタルタン、ラブ・サリスおよびラブ・シャケを大軍と共にヒゼキヤ王のいるエルサレムに遣わした。彼らはエルサレムに上って来た」(18:17)。このたびはヒゼキヤも覚悟を決めました。アッシリアが望んでいるのはユダ王国を単に支配下に置くことではなく、ユダ王国を滅ぼしてその領土を帝国に取り組むことであることがはっきりしたのです。
・籠城したエルサレムの人々にアッシリアの将軍たちは降伏を呼びかけます。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王はこう言われる。なぜこんな頼りないものに頼っているのか。ただ舌先だけの言葉が戦略であり戦力であると言うのか。今お前は誰を頼みにして私に刃向かうのか」(18:19-20)。21節以下にその詳しい呼びかけがありますが、論点は4つです。先ず「エジプトに頼っても何もならない。彼らは折れかけの葦だ」(18:21)。次に「主により頼むと言うが、主は何をしてくださるというのか」(18:22)。三番目は「お前たちの軍事力は貧弱だ」という嘲笑です(18:23-24)。そして最大の挑戦が18:35にあります「国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国を私の手から救い出したか。それでも主はエルサレムを私の手から救い出すと言うのか」。

3.歴史から何を学ぶのか
・今日の招詞にイザヤ30:15を選びました。次のような言葉です「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた『お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と。しかし、お前たちはそれを望まなかった」。
・アッシリア軍がエルサレムを包囲し、降伏を迫った時、圧倒的武力を誇る敵軍の将はエルサレムの住民に言いました「お前たちは主に頼ると言うが、その主が何をしてくれると言うのだ」、「国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国を私の手から救い出したか」。「お前たちの神は無力だ。無敵の我々こそ神だ」。大国アッシリアに小国ユダは武力では対抗できません。ユダ王ヒゼキヤはこの屈辱の言葉を預言者イザヤに訴え、「神にとりなして欲しい」と願います。それに対して語られた預言の一部がこの招詞の言葉です。「立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」。
・ヒゼキヤはこのイザヤの言葉に励まされて、アッシリアに屈しませんでした。その結果、ユダ王国は滅びを免れ、それから130年間生存を許されました。聖書が私たちに伝えますことは、ユダ王国も世界帝国アッシリアの前に滅びる寸前であったが、そこに一人の信仰者ヒゼキヤがいたため、神はその裁きを130年間延ばされたということです。これは歴史的に重大な意味を持っています。もしユダがこの時アッシリアに屈していたら、北イスラエルの諸部族同様、ユダ民族もまた歴史から姿を消していたでしょう。そうであれば、ユダヤ人の子として生まれられたキリストも来られなかったし、ペテロやパウロも存在せず、私たちの教会もなかったかもしれません。しかしユダ王国は滅びを免れた、ここに神の経綸、歴史を支配される神の働きがあります。
・私たちは今、列王記を読んでいます。表面的には準拠する聖書教育が列王記を選んでいるためですが、実はそれ以上に、今の私たちに列王記の記事が必要だからではないでしょうか。ヒゼキヤに与えられた試練はまた私たちの試練でもあるからです。アッシリアの大軍を前にして、なおかつ「主に頼ることができるのか」、「本当に大丈夫なのか」とヒゼキヤは疑い、私たちも疑っています。世の人たちは、お金や富や力という目に見えるものに頼ります。私たちは「必要なものは主が与えてくださる」と信じますが、それでもどこかに一抹の不安を抱えています。ヒゼキヤも一度は賠償金をアッシリアに支払うことで問題を解決しようとしました。しかしそれが根本的な解決でないことを知った時、「主により頼む」という決断をしたのです。
・私たちも、お金や富や権力に頼った生き方がやがては破たんすることを知ったゆえに、「主に依り頼む」という決断をしました。世の人にとって、「主に依り頼む」生き方は、愚かな生き方に見えましょう。信じていても病気になるし、災いが無くなるわけでもない。また子供たちが立派に育つという保証もない。なぜそのような「虚しいものを信じるのか」と世の人は言うでしょう。しかし私たちは、病気もまた神が下さったものと受け入れた時、そこから見えてくるものがあることを知っています。災いが与えられることを通して、その災いがやがて祝福に転じて行くことを体験してきました。私たちはキリストを通して、「天地を支配される神」に出会い、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」(第一コリント1:25)ことを知りました。だから私たちは「主に依り頼んで」生きるのです。

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