1)皇帝アウグストウスと住民登録
・2011年のアドベントの四本の蝋燭が灯され、今年も、主イエス・キリストのご降誕の前夜を迎えることができました。今夜、イエス・キリストの祝福がわたしたち一同の上に豊かにあるようにと祈りつつ、メッセ−ジを始めます。ルカ2章1−3には「そのころ、皇帝アウグストウスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これはキリニュウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。」と述べられています。聖書の記述はきわめて簡潔です。これを読んだだけでは、なんの為の住民登録なのか。また、その住民登録の背景に何があったのか。わかりません。せいぜい今の私たちが区役所でする住民登録をおもいだすくらいです。しかし、ひるがえって考えてみますと、詳細な記述のないぶん、そして記述が簡潔であればあるほど、書かれている言葉の、その一つ一つは、抜き差しならない必要不可欠なものだと考えられます。それはイエスが産まれる直前のイスラエルが置かれていた政治、社会情勢を物語っているのです。ルカはイエス・キリストの誕生をロ−マの支配下にあつたユダヤを背景に語ろうとしているのです。
・皇帝アゥグストウスはロ−マの初代皇帝で、元の名前はオクタビアヌスでした。彼は紀元前62年ロ−マの貴族の家に生まれ、母はカエサルの姪でした。カエサルは英語読みではシ−ザ−、ジュリアス・シ−ザ−と言えばもう、みなさんよくご存じでしょう。アゥグストウスにとってシ−ザ−つまり、カエサルは大叔父でした。アゥグストウスは志半ば暗殺されたカエサルの後を継ぎ、内乱を勝ち抜き、「パックス・ロマ−ナ」つまりロ−マの平和を打ち立てました。ロ−マ元老院は彼の功績を讃え、尊敬し、彼に称号としてアゥグストウスの名を贈りました。その意味は「崇高なる者」です。
・イエスが誕生したころ、その初代ロ−マ皇帝アゥグストウスが君臨し、地中海を囲むヨ−ロッパの国々、北アフリカ諸国、小アジア、パレスチナ、シリアなどの国々を支配下に収め、統治していました。ユダヤもまた、ロ−マの統治下の国の一つで、ロ−マの属州でした。属州としてのユダヤは小さいけれど、ロ−マにとって、エジプトに向かう途中にある大切な陸路を確保できる、軍事的に重要な位置にありました。住民登録は皇帝アゥグストウスが、これら統治下の国々の住民すべてを、自らの民として承握し、税を取り立て、徴兵を行うための調査でした。したがって、この住民登録は強制的で、故意に免れることは許されない厳しいものでした。ヨセフとマリアはこのような当時の時代背景のもとにナザレからべツレヘムへ旅立つたのです。
2)飼い葉桶を囲んで
・「ヨセフもダビデの家に属し、血筋であったので、ガリラヤの町ナザレからユダヤのべツレヘムというダビデの町へ上って行った。」これはダビデがべツレヘムの出身だからです。「身ごもっていた、いいなずけのマリアといっしょに登録するためである。ところが彼らがべツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊る場所がなかったからである。」(2:4−7)ナザレからべツレヘムまでは約120キロはあります。120キロと言えば東京から西へ向かうとおよそ三島くらいの位置になるでしょう。
・身重のマリアをロバに乗せ、ヨセフが手綱を取り旅を行く画をよく見ます。それですと、早くは歩けませんから、およそ4日か、5日はかかるでしょう。そして、長旅のあげく、べツレヘムに着いてみれば、「宿屋に泊れ」ませんでした。「産まれたイエスは布にくるまれて飼い葉桶に寝かせた」べツレヘムは住民登録の人たちであふれていたのです。イエスの生涯のほとんどは貧しい人々のためにささげられました。そのイエスの生涯も、また貧しい馬小屋から始まったのです。
・イエスが産まれたという馬小屋は、今もべツレヘムの聖誕教会の地下にあります。私も聖誕教会を訪ね、その場所に立ちました。しかし、最初私が想像していたのとはまったく異なり、日本で目にする木造りの馬小屋ではありません。それは岩屋です。馬を繋いでおく岩穴でした。今はイエスの降誕の場所として聖別され、祭壇が設けられていますが、かつて岩屋であったしるしの岩が、天井に壁に床に、むき出しになっていました。置かれていた飼い葉桶は、日本で見る丸い木の桶ではありません。大きな長方形の石をくり抜き、飼い葉を入れるものでした。わたしがべツレヘムで見たイエス誕生の場所は、クリスマス物語や、絵画でよく見るような、ファンタジックな場所ではありません。住民登録のための、ヨセフとマリアが長旅の末に、やっと休むことができたのは岩屋でした。布にくるまれた赤ん坊の、イエスが寝かされたのは、石の飼い葉桶だったのです。
・岩窟と石の飼い葉桶のごつごつと固く冷たい感触は、人として産まれたばかりのイエスを取り巻く時代の厳しさを、じゅうぶんに感じさせるものでした。フィリピの信徒の手紙2:6−8は「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わずかえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも、十字架の死に至るまで従順でした。」と、述べています。
3)羊飼いと天使たち
・神の救いのしるしとしての、イエスの誕生を、誰よりも早く知らされたのは、羊飼いたちでした。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の番をしていると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に怖れました。」(2:8-9)当時羊飼いは貧しい者として、世の底辺にいる人たちでした。そんな羊飼いたちに世界で最初に、救い主誕生の知らせが届いたのです。天使は怖れる羊飼いたちに「怖れるな。私は民全体に与えられた大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたの為に救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。と告げました。そして突然この天使に天の大軍が加わって、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」羊飼いたちはこの後、乳飲み子を探しあてました。(2:10−14)
・イエスは平和を地上にもたらすために、来られました。この天使の歌「神には栄光、地に平和」は、イエスが神と人との仲立ちをするため、世に来られた使命を表しています。聖書で言う平和はたんに戦争がない状態ではありません。「パックス・ロマ−ナ」(ロ−マの平和)にならった、アメリカの「パックス・アメリカ−ナ」(アメリカの平和)は国と国との武力の均衡による平和にすぎません。人間の世界の平和を破壊する原因は、自然災害や疫病などもありますが、それ以上に戦争による破壊の方が多いのです。国家間の戦争は二度の世界大戦に代表されますが、銃後の国民まで巻き込む総力戦にまで発展しました。そして勝敗にかかわらず戦争で国家も国民も疲弊しました。さらに核兵器の脅威は、人間世界そのものを破壊すると考えられます。
・現在も国家間の軍事力の均衡でかろうじて戦争が抑止されている状態は変りません。戦争をしていなくても、外交や経済で国家間の生存競争は続き、国境を挟んでの軍事的緊張など、軍事的均衡がまったくない平和は存在しないでしょう。国内治安についても暴動や革命、内乱などもあり、特にテロは平和に対する大きな脅威になっています。平和を妨げているのは、人間の内なる欲望、自分だけ良ければ良いという利己心から起こります。ヤコブ4:1-2は「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがおこるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなた方は欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。」と、述べています。
・このクリスマス・イヴを記念して、平和を祈りたいと思います。エフェソの信徒への手紙2:14-16は「十字架によって敵意は滅ぼされる」と次のように述べています。「実にキリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(協力牧師 水口仁平)