江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年11月20日献堂式礼拝(マルコ12:9-11、私たちを隅の親石として用いて下さい)

投稿日:2011年11月21日 更新日:

1.篠崎教会の歴史の中で

・今日、私たちは篠崎キリスト教会の新会堂の献堂礼拝を捧げるために、ここに集められました。篠崎の地で伝道が開始されたのは1969年、42年前です。そこに会堂が建てられたのが1973年、38年前でした。概ね40年の歴史を私たちは有しています。旧会堂は1992年に増築されましたが、耐震補強等の問題が解決されなかったため、今回の会堂建て直しに至りました。2008年に建築委員会が発足し、会堂建築の模索が始まりました。当初は5千万円位あれば建つのではないかとの大まかな計画でしたが、次に多摩川教会の白石建築士をお呼びして教会建築の勉強会を進めた段階では、やはり6千万円は必要として討議を進めました。その過程で娘の紹介で、大学(芝浦工大)の建築学の教師であられた畑惣一先生がオブザーバーとして参加され、話し合いを重ねる内に、計画が詳細化して行きました。2010年3月教会総会で新会堂建築の決議が為され、最終的な建築資金を7千5百万円として設計がつめられていき、2011年2月から工事が始まりました。最後には必要資金が9千万円にまで膨らんでいきました。
・私たちの教会は現在会員38名、礼拝出席30名の小さな教会です。年間の経常献金は7百万円にすぎません。最初から9千万円の総工費が提示されたら、「とても無理だ」と計画は頓挫したと思います。しかし建築費用が5千万円、6千万円、7千5百万円と次第に大きくなっても、必要な資金が備えられ、最後の段階で総工費が9千万円に跳ね上がった時も、資金の調達が出来ました。不思議な神の働きを私たちは見ました。
・私たちの教会の位置する江戸川区は東京東部にあり、江戸川を挟んで対岸は千葉県です。これまであまり注目されて来なかった地域だと思います。しかし、この江戸川区には70万人の方が居住し、しかも人口が増え続けています。江戸川区の中でも私たちの居住する瑞江・篠崎地区は相対的に開発が遅れていましたが、最近、市街地再開発が進み、マンションや個人住宅が増えています。ある意味で江戸川区は絶好の宣教の地です。それにも関わらず、この江戸川区には教会が30教会しかありません。仮にクリスチャン人口が1%と仮定すれば江戸川区のクリスチャン人口は7千人、それを30教会で割ると233人になります。私たちの教会は潜在可能性の高い地区に位置しています。この会堂は小さな群れには分不相応な広さと立派さを持っていると思いますが、主は将来の教会成長を見越して大きめの会堂を備えて下さった、この会堂を礼拝する人で満たしていくのが私たちに与えられた使命だと思っています。

2.棄てられた石が隅の親石になった

・今日与えられました聖書箇所はマルコ12:9-11です。そこには「隅の親石」という言葉が用いられています。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、私たちの目には不思議に見える」(12:10-11)。隅の親石、建物の土台として四隅に置かれる石のことです。マルコは「人々に捨てられて十字架で死なれたイエスが、復活してキリスト(救い主)となられた」ことの意味を、この「隅の親石」という言葉の中に見出しています。マルコの言葉は詩編118篇22節から引用されたものです。詩編118篇はバビロニアに国を滅ぼされた民が、故郷エルサレムに帰ることを許され、困難の中で国を再建していった時に歌われたと考えられています。一度滅ぼされた民族が国を再建するなど歴史上なかったことです。一度は捨てられた私たちを、主は再び用いて下さったと感謝する中で詩人は歌います「家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。これは主の御業、私たちの目には驚くべきこと」(詩編118:22)。
・私たち篠崎キリスト教会は40年の歩みの中で、旧い土地の上に新しい会堂が与えられました。教会の40年間の歩みは決して順調な歩みではありませんでした。教会の記録を見ますと、牧師交代の度に教会員が散らされていった歴史を読み取ることが出来ます。二代目牧師が辞任された1989年には礼拝参加者が40名台から20名台に減らされています。三代目牧師時に一時50名まで増やされた会員も2000年の牧師辞任時には20名台まで減らされ、2年間の無牧時代に教会はさらに試練を受けます。私が就任しました2002年には10名前後の方が礼拝に集まるだけでした。牧師辞任のたびに民が散らされたということは、教会の中に争いがあった、兄弟姉妹の関係が破れたことを意味します。私たちは罪を犯し、裁かれたのです。私たちもまた、出エジプト記や民数記に描かれた「かたくなな民」なのです。しかし主はその私たちに新しい会堂を与えて下さった、まるで主に背き続けた民に約束の地に入ることを許されたように、です。それは私たちが過去の人々に比べて、信仰が厚いとか、行いが優れているからではありません。「背いても、背いても、なお捨てたまわない神の恵み」があったからです。何度も罪を犯し、見捨てられておかしくない私たちのために、主はこの素晴らしい会堂を与えて下さった。まさに「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、私たちの目には不思議に見える」出来事がここに起こったと思います。
・ペテロは言いました「主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。聖書にこう書いてあるからです『見よ、私は、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない』」(第一ペテロ2:4-6)。このペテロの言葉をいただいて、私たちは新しい旅を始める決意です。

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