江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年5月29日説教(創世記9:8−17、洪水の後で)

投稿日:2011年5月29日 更新日:

1、まずノアの信仰があった
・五月は「聖書教育」から創世記を学んでいます。創世記は1章から11章までが原初史で、6章からが洪水物語です。洪水物語は世界各地にあります。おそらくは氷河期が終わって温暖期に入った時に、氷河が溶けて世界を覆う大洪水が発生し、その太古の記憶が洪水伝説として残されたものでしょう。イスラエルは紀元前587年にバビロニヤに国を滅ぼされ、住民はバビロンの地に捕囚となります。イスラエルが幽閉されたバビロンの地には、有名なギルガメシュ叙事詩が残されており、捕囚の民はその叙事詩に題材を得て、創世記の洪水物語を編集していったと言われています。この物語は、自然科学や考古学と関係のある気象上の事件や、あるいは歴史上の出来事の報告ではありません。国を滅ぼされ、破局を経験した民族が、どのようにして、裁き(洪水=国の滅亡)を通して神の救いを見出していったかの信仰の記録なのです。今日学びますのは、創世記の5回目で9:8-17、「洪水の後で」がテ−マです。神は洪水の後、ノアと契約を結びました。神はノアだけではなく、生きとし生けるもの、すべてと契約を結びました。今日の説教はその契約の物語です。
・創世記によりますと、洪水を起こされたのは神です。なぜ、神は洪水を起しされたのでしょうか。神は天地を造り、人を造り、動物を造り、産めよ、増えよと祝福されました。しかし、人は地上に増えるにしたがい、神の御旨を裏切り、だんだん邪悪になりました。神は自ら造ったものを壊す決断をしました。「私は人を創造したが、これらを地上からぬぐいさろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。私はこれらを造ったことを後悔する」(6:7)。そして、神は創造されたものを、洪水でぬぐいさろうとしました。しかし、神は自ら造ったものを愛されていましたので、滅ぼし尽くすことはされず、御旨に適うものは選別して残そうとされました。そして選ばれたのがノアでした。ノアは神に従順な人でしたから、神に選ばれました。神は洪水からノアを救うため、箱舟を造るようノアに命じました。
・神の計画はノアとその家族、さらに地上にある生き物の種を、あまねく箱舟に乗せ、残すことでした。当然、箱舟は巨大なものになりました。箱舟の大きさを聖書は、長さ300アンマ、幅50アンマ、高さ30アンマと記録しています(6:15)。1アンマは45センチ、現代のメ−トル法に換算すると、長さ137メートル、幅22・8メートル、高さ13・7メートルとなります。数字だけでは、その大きさは想像できませんから、横浜の山下公園に繋留されている「氷川丸」と比べることにします。「氷川丸」は、全長163メートル、幅20メートル、吃水からの高さが9メートル。比べる「ノアの箱舟」は、長さで「氷川丸」に26メートル及ばないものの、ほぼ「氷川丸」に近い大型船ということになります。全盛期の「氷川丸」は、日本とカナダ、アメリカを結ぶ太平洋航路に就航、太平洋を往復していました。そんな現代の大型船に匹敵する、大きな船をノアは造ったのです。
・映画「天地創造」で、箱舟を造るノア一家が、人々から嘲り笑われる場面がありました。ノアは海岸ではなく、どう考えても洪水など来そうもない、野原の真ん中で箱舟を造っていたようです。そんな場所で大きな箱舟を造るのは、正気の沙汰ではありません。だから人々に嘲り笑われるのです。人々が信じない中で神の命に従い、行動することは決して生易しいことではありません。ノアは神の信頼に信頼をもって応えたのです。ヘブライ人の手紙はこう述べています「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました」(ヘブル11:7)。

2、神は人を造ったことを後悔された
・ノアの洪水の記事は、東日本大震災と重なります。マグネチユ−ド9の強大な地震エネルギ−は、ついに東北沿岸部を呑みこむ津波となり、地上の家や自動車を、まるで籾殻のようにもてあそんで、多くの人命を奪いました。私たちは津波の映像を見て大きな衝撃を受けました。同じく洪水を目撃したノアとノアの家族も、大きな衝撃をうけたはずです。しかし、ノアの洪水は、東日本大震災の津波を凌ぐ大規模の洪水でした。
・「洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。水は勢力を増し、地の上にみなぎり、箱舟は水の面を漂った。およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。」(7:17-19)。東日本大震災の津波は高さ39.4メートルに達しました。ノアの洪水はさらに高く、高い山の頂を覆いました。ノアの箱舟が洪水の後流れ着いたとされるのは、トルコのアララト山でした。アララト山の高さは5,123メートルです。
・東日本大震災の死者は、4月の中間発表では約15,000人、最終的には25,000人に達するだろうと予想されています。ノアの洪水は150日続き、ノアと、その家族、選ばれた動物以外、息あるものはすべて絶えてしまいました。ノアの時代まで続いた世界はいったん、終止しました。石原東京都知事が震災は、「現代社会の我欲への天罰だ」と発言して、謝罪に追い込まれました。天災即天罰論は1923年(大正12年)の関東大震災にも発言されています。天罰論の弱点は、災害とそれを起こす社会の罪との、因果関係を証明できないところにあります。だから、誰も社会や人に対して天罰論をふりかざすことはできないのです。それでも時々天罰論が出てくるのは、天罰に結びつく罪悪感を人は持っているのでしょう。
・ノアの洪水はそれとは別で、明らかに神の審判です。だからといって、神は怒りだけで人を裁くということにはなりません。単純に天罰論をふりかざす前に、人は神の御旨を知らねばなりません。「主は地上に悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」(8:5-6)。神ご自身が創造の失敗を悔いておられるのです。人間であれば、自分のしたことを悔いることは当然です。しかし、神が悔いるとは、神の尊厳や威光を前提に考えるなら、この言葉はまったく相応しくありません。この記事を読むと、神はなんのためらいもなく、直裁的に人と世を罰するとは考えられません。神は苦悩と忍耐をもち、被造物が悔い改めるのを待っておられるのです。洪水の後、神は言われました。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。私は、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」(創8:21)。

3, 洪水の後に
・洪水が終わり、新しい世界が始まったとき、神はノアと彼の息子たちを「産めよ、増えよ、地に満てよ」と祝福されました(9:1)。しかし、その祝福は最初にアダムたちに与えた祝福とは違っていました。なぜなら、アダムを創造した時の人間は、まだ罪にまみれていなかったからです。神は祝福の言葉に罪の責任を問う戒めを付け加えねばなりませんでした。「人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する」(9:5)。
・そして神はノアとその家族、そしてすべての生き物と、新しい契約を結ばれました。「あなたたち、ならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえに私が立てる契約のしるしはこれである。すなわち、私は雲の中に私の虹を置く。これは私と大地の間に立てた契約のしるしとなる。私が地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、私は、私とあなたとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない」(9:12-15)。
・神は洪水で二度と人と生き物を滅ぼすことはしないと約束されました。その約束が洪水の後の新しい世界のしるしとなりました。神は契約のしるしとして虹を置かれました。虹は「ケシエス」といい、弓を意味します。虹を雲の中に置くのは、武器である弓を置いて、もう使わないと約束することになります。だから虹は神との間の平和が成立したことを意味するのです。これが新しい洪水後の世界の始まりでした。神の弓から再び人と生き物に向かって矢が放たれることはないという契約のしるしなのです。神は「もう人を滅ぼすことはしない」と誓われました。神は人が罪を犯し続けることを承知の上で、「もう滅ぼさない」という和解の契約を立てられ、しるしとして虹を立てられました。それは人が洪水に洗われて清くなったためではなく、人が滅びるのを見ることは悲しいからだと言われています。神が自己の正しさを放棄され、被造物がどのように罪を犯し続けても、これを受け入れると約束されたのです。洪水物語の焦点は洪水そのものにあるのではなく、洪水の後、「もう人を滅ぼすことはしない」と言われた神の言葉に、国を滅ぼされたイスラエルの民が希望を見出していった点にあるのです。
・今日の招詞は�ペトロ3:10-12を選びました。「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願ってこれを追い求めよ。主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる」。東日本大震災は日本にとって苦渋の始まりとなりました。過去の歴史では今回のような大災害は、政治の大きな変動、経済、産業の変動、社会構造の変化を招くきっかけになることを教えています。戦前の軍時国家から戦後の平和・民主主義国家への転換は戦災と広島・長崎の原爆災害という苦渋を経て為されました。
・この度の東日本大震災は戦後の東京一極集中の矛盾を、あらわにすることになりました。東北地方は食糧、労働力、さらに自動車、電気部品、建築木材などを首都圏供給してきました。そして首都圏住民に電力を供給するための原子力発電所を引き受けてきました。それは原発交付金や、原発関連企業の雇用と引換に原発のリスクを背負わされたものでした。そのリスクは想定を超えるもので、そのために東北の地は汚されました。このような現実の中で、私たちは「主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる」という招詞の言葉をどのように聞くのでしょうか。神は「もう人を滅ぼすことはしない」と誓われました。今回の洪水は天罰ではありません。バビロン捕囚が天罰ではなかったように、です。神は今回の洪水を通して、私たちが新しい世界を築くことを待っておられます。イスラエルの民はバビロン捕囚という裁きを通して、創世記という信仰の書を書き上げました。戦前の軍時国家から戦後の平和・民主主義国家への転換は戦災と広島・長崎の原爆災害という苦渋を経て為されました。同じように神は洪水後の新しい世界を、「復旧」ではなく「復興」として、期待されておられるのではないでしょうか。そのために私たちは何を為すべきかを神に呼び求めることが必要なのです。

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