江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2010年5月30日説教「天の国のたとえ」(マタイ13:31-33)

投稿日:2010年5月30日 更新日:

1 からし種とパン種のたとえ

 私たちは聖書教育に従って聖書を読んでいますが、今日の箇所は天の国のたとえの場面です。マタイによる福音書13章には「天の国のたとえ」が集められています。13章は「天の国のたとえ」と、イエスによる「たとえの解説」で成りたっています。最初に「種をまく人のたとえ」、次に「毒麦のたとえ」、最後が今日学びます「からし種とパン種のたとえ」です。いずれも種をたとえに用いて、「天の国」とは何かを教えています。
 最初にからし種のたとえの意味を考えてみます。イエスは言われます「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」(13:31-32)。
 まず初めに、私たちは「天の国」の意味について、はっきりと認識しなければなりません。ここでイエスが説いている「天の国」は人が死んでから行くと信じられている「天国」の事ではありません。「天の国」、マルコやルカでは「神の国」と言われますが、神の支配するところを意味しています。ルカは記します「イエスは、「神の国」はいつ来るのかというファリサイ派の人々の問いに答えて「神の国は見える形では来ない。『ここにある』『あそこある』と言えるものでもない。実に、あなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:20-21)と教えています。イエスが来られて神の国が来た、その国は実は私たちの生活のただ中にあるのだと言われています。
 からし種のたとえは「人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」と説明されています。からしは初夏になるとラッパ型の黄色の花を咲かせ、秋に実を結び、袋の中に砂粒ほどの小さな種をたくさん残します。からし種は直径1ミリメートルくらいのごく小さい種ですが、その種を地に蒔くと2~3メートルほどの見上げるような大きさになります。小さな種からは考えられない成長力です。「神の国」はそのような成長力をもっているとイエスは言われます。
 多くの解釈者はここに教会の成長を読み込みます。すなわち、教会はその初めはイエス・キリストに従う小さな群れに過ぎなかったのに、2000年後の今日、世界宗教に成長した、キリスト教をその初期から今日をみると、「からし種のように小さな群れだったのに見上げるほど大きな木に成長した」と言えるではないかと。しかし私たちはこのような見方をしません。なぜならイエスはそのようなことを期待されたのではなく、弟子たちの群れも、まだ種のような、有るか無いかわからないほどの小さな存在であったからです。人々はイエスにローマを追放し、イスラエルを独立に導く「メシア」となることを期待しました。しかし、イエスはそのようなメシアであることを拒否され、社会から疎外された貧しい人々や罪人、取税人といわれる人々に福音(神の種)を蒔き続けました。その地道な福音伝道の業にこそ、神の国は働いていると信じ、希望をもって働かれました。そのイエスの業は弟子たちに継承され、福音の種は絶えることなく、人々の心のなかに成長していったのです。ですから私たちも教会の数的な成長をここに読みこむのではなく、種の力を信じてなすべきことをすれば良いのだとのメッセージをここに見ます。
からし種の成長が「神の国」の成長力だとしたら、「パン種」は「神の国」の質を示すたとえのように思われます。イエスは言われました「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる」(マタイ13:33)。パン種はイ−ストというパン酵母です。当時の人々はパンを焼く時、少量の練り粉を次のパン焼きのために取っておきました。その練り粉は保存している間に発酵し、次のパンを焼く時に、それを練り粉に混ぜると、柔らかくふわふわしたパンが出来ます。しかしここで言われていますのは、家庭の炊事場の話ではありません。「三サトンの粉」、40リットルの小麦粉は100人以上が食べることのできるパンの量を示します。ここでは天国の祝宴が想定されています。世界に福音というパン種を混ぜると、その発酵作用により、「神の国」というパンは、大きく、またおいしいものになります。イエスが残されたのは、わずか12人の弟子たちでした。しかし、この弟子たちが神の国を形成していくパン種になったのです。だから私たちの教会もこのパン種のような存在になりたいと思います。
 
2.天の御国とは何か

「天の国」と「神の国」の意味は同じです。「御国」も同じ意味です。私たちが「主の祈り」で「御国が来ますように」と祈るのは、「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ることです。そして神の国がくるために私たちをお用いくださいと私たちは祈るのです。
からし種とパン種のたとえが示しますことは、この世界に、私たちの心に、イエス・キリストというまことに小さなからし種がまかれ、その種はパン種のように人々の心を変革する力をもつということです。この種は、本当に小さなもので、これが蒔かれたところでこの世界がどうなるものでもない、何の力も影響もないと思われるようなものです。私たちは今、教会に集められて礼拝をしていますが、一歩教会の外へ出れば、世界は、イエス・キリストとは何の関わりなく、何の関心もなく、そんなことは無視して動いています。
しかし私たちは今、このたとえによって、神の国の秘密を示されました。この小さな、取るに足らない、目立たない種が、空の鳥が来て枝に巣を作るほど大きな木になるのです。このパン種が私たちの心という、またこの世界という、まことに頑なな粉を、やわらかく発酵させ、よい香を放つおいしいパンにしていくのです。
そのために、からし種は蒔かれてその姿を失っていきます。パン種も粉の中に混ぜられ、隠されて、見えなくなります。どちらも、自らの姿を失い、消えうせていくのです。そのことを通して、大きな木が育っていき、おいしいパンが膨らんでいくのです。それは、イエス・キリストが、十字架にかかって死んで下さったことを象徴しています。イエスご自身がからし種として、あるいはパン種としてこの世に蒔かれたということは、ただこの世に来られたというだけではなくて、私たちのために、私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さったことを意味しています。
イエスは言われました「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12:24)。天の国、神のご支配は、このイエスの十字架の死を通して、私たちの中で、育っていくのです。そのことの一つの現れが、私たちが神の支配を信じて、洗礼を受け、教会に加えられることです。洗礼を受けるということは、私たちも十字架の前に死ぬということです。そのようにして私たちの中で、天の国、神の支配が進展していくのです。そしてこの神の支配は、やがていつか、鳥が巣を作るような大木となり、粉の全体を脹らませ、おいしいパンにします。
そのことを、私たちはまだ見てはいません。私たちが目にしているのは、小さなからし種であり、ひとつまみのパン種です。しかしそれは天の国の、神の支配の種です。それは神によって必ず、大きな木へと成長させられていくし、私たちの心とこの世界全体によい影響を及ぼしていくのです。そのことを信じることが信仰です。

3.からし種一粒の信仰があれば

 今日の招詞に、マタイ17:20を選びました。次のような言葉です「イエスは言われた。『信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、ここから、あそこに移れと命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことはなにもない』」。からし種一粒ほどの小さな信仰が山をも動かすとイエスは教えています。私たちは大いに希望を持っていいと思います。
 さて、「篠崎キリスト教会は天の国の中にある」と言って良いでしょうか。天の国が「神の支配のおよぶところ」であれば勿論、篠崎キリスト教会は信仰を持つ者の群れですから天の国と言っても良いはずです。では篠崎教会にからし種やパン種のような天の国の成長力が働いているでしょうか。
 5年前になるでしょうか。私が神学生だった頃、礼拝の奏楽者として招かれました。あのころは、奏楽する方がだれもいなく、讃美の伴奏はCDでした。今では5名の奏楽者が与えられていますし、聖歌隊もあります。また聖歌隊の指揮者もいます。また、当時の礼拝出席者は20名弱でしたが、今では礼拝出席者は40名に近づいています。からし種が成長するように、篠崎キリスト教会の群れが増えています。天の国のたとえにあるように篠崎キリスト教会は成長を続けています。
今、私たちの中で起こっている「新会堂建設の計画」はどうでしょうか。この会堂は築40年で、外見は何ともないようですが、実は増築部分からは雨洩りがあり、また耐震構造になっていないため、大地震が来れば倒壊可能性があります。そのため、「教会堂の建て直し」計画が3年前に始まりました。当初は手持ち資金ゼロで、また設計や工事を誰に頼んで良いのかもわからず、どうなるかと計画は危ぶまれました。しかし不思議なご縁で、畑先生という設計者が与えられ、先生を囲んで構想を話し合う内に、計画は具体化され、本年6月に予定されている建築委員会では最終設計図に近いものが提示されるまでになりつつあります。また資金計画も月約献金、特別献金、教会債、連盟借入金と練られ、だんだん具体化しています。パン種が膨らむように教会堂建設の計画も膨らんできました。これからも資金が足りないとか、計画の一部を変更しなければいけないとかの問題は起きてくるでしょうが、私たちは動揺しません。何故ならば、からし種のように教会の群れが成長し、パン種のように会堂建設の夢が具体化しつつある姿を見てきたからです。そして、「からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、ここから、あそこに移れと命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことはなにもない」との約束を戴いているからです。
イエスが言われましたのは、からし種のような小さい種も成長すれば大きな木になる、また極少量のパン種が粉全体を大きく膨らませるように、イエスの言葉、福音の種は、成長するということでした。それを信じて教会形成を行えば、本当にそのようになることを私たちはこの目で見ています。ですから、私たちは現在の小ささ、あるいは不足に失望する必要はありません。「あなたがたにできないことはなにもない」、その約束を信じる信仰さえあれば、私たちはどのような時にも希望をもって教会形成に励むことができるのです。
(協力牧師 水口仁平)

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