江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年2月15日説教(マルコ1:40-45、人間を大事にする共同体)

投稿日:2009年2月15日 更新日:

1.人を阻害する社会への怒り

・聖書日課に従ってマルコ福音書を共に読んでおります。イエスはガリラヤのカペナウムの会堂で説教され、そこに来た「悪霊につかれた男」から悪霊を追い出され、シモンの姑の熱病を癒されました。イエスの癒しの業は評判を呼び、多くの人が病気の癒しを求めて来ました。イエスはその人々の病を癒されましたが、ある時「病の癒し」だけを求める人々の姿勢に疑問を持たれ、「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、私は宣教する。そのために私は出て来たのである」(1:38)と宣言され、ガリラヤ伝道の旅に出られました。これはイエスが「病の癒しはどうでも良い」と言われたのではありません。「癒しは大事だがもっと大事なメッセージを私は与えられている。それを伝えに行こう」と言われたのです。それにもかかわらず、人々はなお病の癒しを求めてイエスの下に来ます。今日、ご一緒に読みますマルコ1:40-45の記事もそうです。ただ今回の出来事は今までとは異なる要素を持っています。それはイエスの癒しを求めてきた人が、「重い皮膚病を患っていた」からです。「重い皮膚病」、原語のギリシャ語では「レプラ」です。このレプラという言葉は特殊な響きを持っております。
・私が用いている聖書は1996年版の新共同訳聖書で、その聖書では1章40節は次のように表現されています「さて、らい病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、『御心ならば、私を清くすることがおできになります』と言った」。皆さんのお持ちの聖書では「らい病」ではなく、「重い皮膚病」になっているかと思います。1997年4月以降、聖書協会は「らい病」を差別用語だとして使用を取りやめたからです。その背景にありますのは1996年の「らい予防法」と言う法律の廃止です。らい病、1996年以降はハンセン病と呼ばれていますが、この病気が負ってきた重い歴史を皆さんもご存知かと思います。日本では、ハンセン病にかかった人は施設に強制収容され、病気が治っても施設を出ることは許されませんでした。ハンセン病の治療薬が発見されたのは今から60年ほど前ですが、それまでは長いあいだ「治らない病気」、また「強い伝染性」を持つ病気であるとも考えられていましたので、ハンセン病にかかっていることがわかった時点で、患者はすべての交わりを断たれ、町の外に追い出されました。日本では明治時代に「療養所」という名の、実態は収容施設に閉じ込めるということを法律で定め、その法律=らい予防法が廃止されたのは1996年、ほんの10年前です。日本だけではなく、世界中でこの病気について誤解をして、差別してきたという歴史を、私たちは持っています。
・ギリシャ語レプラは、ヘブル語「ツァラァト」の訳語です。ツァラァトとは「打たれたもの」、病人は神に打たれた者、神に呪われた者として、宗教的に「汚れた者」とされました。この病気は細菌によって皮膚の表面が壊死していく病気であり、顔や手が崩れていくその症状から人々に忌み嫌われ、また伝染する故に恐れられていました。町の中に入ることは許されず、道を歩く時には「私は汚れているから近寄らないで下さい」と言わねばなりませんでした(レビ記13:45-46)。重い皮膚病者は病気と社会的差別の双方で苦しめられていたのです。
・その重い皮膚病人がイエスのところに来たことは、「近寄ってはいけない」という境界線を超えた事を意味します。彼は命がけでイエスに近づいて来たのです。彼はイエスが町々をめぐって宣教され、病の人々をいやされるのを目撃し、「この方は不思議な力をお持ちだ。この方なら私の病気も治して下さるかもしれない」と思い、イエスのところに来たのでしょう。彼はイエスに言います「御心でしたら、清めて下さい」。彼は、「治して下さい」ではなく、「清めて下さい」と求めています。「重い皮膚病」者は、汚れているとして社会から排斥されていたからです。汚れているから「清め」が必要なのです。
・イエスは、彼の訴えの中に、この人の悲しみと苦しみを見られ、また命の危険を冒してまで自分を求めてきた行為に感動されました。「イエスは深く憐れまれた」(1:41)とマルコは書きます。「深く憐れまれた」、「スプラングニゾマイ」と言う言葉です。「スプランクノン(内臓)が痛むほど動かされた」、岩波訳では「はらわたがちぎれる思いに駆られ」と訳してあります。また別の写本では「オルギスティス」と言う言葉を用いています。「激しく憤って」という言葉で、この言葉が本来の用語ではないかと考える人もいます。この人を社会的に排除するユダヤ教の教理と律法主義に対する激しい怒りを、イエスが示されたと理解したのです。重い皮膚病の人は、超えてはいけない境界線を越えてイエスの憐れみを求めました。ですからイエスも律法の規定を超えられます。マルコは記します「イエスは手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われた」(1:41)。汚れている人に触れることは、律法が禁止していますが、イエスはあえて行動されたのです。「よろしい、清くなれ」、原文では「私は望む。清くなれ」、あなたが清められるのは私の意思だとイエスは言われているのです。苦しむ人に対する深い憐れみと同時に、この人を排除する社会に対する激しい怒りがここにあります。
・マルコは続けます「イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた『だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい』」(1:43-44)。「厳しく注意して言われた」、原文では「エンプリマオマイ=激昂して」です。重い皮膚病は病気が治されただけでは十分ではなく、彼は祭儀的な汚れを取り除かなければ社会に復帰できません。「病気は神の呪いだ」として病人を排除する人々、「愛の神を怒りの神に変えてしまう」人間の罪に、イエスは怒りを覚えておられるのです。

2.痛みの共有を

・重い皮膚病者の癒しはマタイ8章に並行記事があります。マタイは物語を描いた後に、このように言います「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった『彼は私たちの患いを負い、私たちの病を担った』(マタイ8:17)。イエスは重い皮膚病を患う人に手を伸ばして、その病をいやされました。それは重い皮膚病に感染する危険を犯し、それ以上に律法に反する行為でした。律法を規定するレビ記は述べます「人の汚れに触れる場合、触れた人は汚れる。・・・彼がそれを知ったときには、罪に定められる」(レビ記5:3)。イエスは重い皮膚病者に触れる事を通して、その人の病、その人の苦しみを自分のものとされて、病を癒やされたのです。つまりイエスは自らが痛むことによって、自らの身に社会的制裁を受けることによって、病む者たちの痛みを共有されたのです。この「痛みの共有」こそ、今日考えたいことです。
・今日の招詞に出エジプト記22:20を選びました。次のような言葉です「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである」。難キ連という団体があります。正式には「難民・移住労働者問題キリスト教連絡会」といい、日本にいる外国人を支援する団体です。その難キ連ニュースレター35号(2009年1月20日)で渡辺英俊牧師が次のように述べています「今アメリカ発の世界不況のあおりで、派遣労働者の首切りが大きな社会問題になっています。日本人労働者の失業が大きくなってメデイアが騒ぎ始めましたが、外国籍労働者、特に1989年~90年以後年々増えてきた日系ラテンアメリカ人労働者は、来日の初めから「派遣労働者」として雇用されてきたのです。日本の自動車産業が輸出の主力として日本経済の「繁栄」を引っ張ってきた陰には、不安定な雇用条件の下で懸命に働いてきた外国籍労働者の力があったのです。ところがひとたび「不況」の声がかかると、真っ先に切り捨てられる派遣労働者の、その最先端で外国の派遣労働者が大量首切りを受けているのです。解雇されると、家族で住んでいた社宅から追い出されるために、野宿に追いやられ、幼児が凍死したというニュースさえ伝わってきます。この国の社会の冷たさは真っ先にもっとも弱い立場の人々の上に降りかかります。この人々の叫びが教会の耳に届いているでしょうか」。
・「この人々の叫びが教会の耳に届いているでしょうか」として、渡辺先生は招詞の言葉を紹介されます。出エジプト記によりますと、主なる神はモーセに言われました「私は、エジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、私は降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地・・・へ彼らを導き上る」。父なる神は「エジプトで苦しむイスラエルの民を救い出す」ために行為されました。御子イエスは、重い皮膚病の故に社会から排除されている人を救い出すために、「手を差し伸べて」その人に触れられました。日本には今200万人の外国人が住んでいます。その中で就労している人は100万人、多くが非正規労働者であり、彼らが今回の不況で真っ先に解雇され、日本人なら受けられる社会保障も受けることが出来ず、放り出されています。好況の時には積極的に移民労働者を受入れながら、不要になるとすぐに切り捨てる、この国の冷たさに私たち信仰者は怒らなければいけません。イエスが重い皮膚病者を排斥する社会に怒られたようにです。父なる神は、そして主イエスは、「はらわたがちぎれる思いに駆られて」おられるのではないでしょうか。
・イエスが今日の物語で示されたことは、清いものと汚れたものを差別する社会に対する怒りであり、神の民と外にある人々を区別する罪です。渡辺先生の文脈に直せば、「隣人の痛みを自分の痛みとして感ぜよ」ということです。私たちは本日の席上献金を「NCCガザ市民緊急人道支援募金」にささげます。ガザでもまた「人間を大事にしない」行為が繰り返されています。その痛みをわずかでも共有したいからです。NCC(日本キリスト教協議会)から来ました支援要請には次のように記されています「12月27日から始まったイスラエルによるガザへの空爆、及びその後のイスラエル軍のガザへの侵攻によって多くの市民が殺害され、傷を負いました。傷は身体的な傷だけでなく心に深く食い込む傷もです。ガザ保健省によれば、被害者の40%が子どもと女性だといわれています。また、学校などを含む多くの建造物が破壊されました・・・現在ガザの人々に必要なものは、食糧、医薬品、医療器具、飲料水、必要なものを買うためのお金、そして精神的なケアなどです。すべてのものが不足しています。現在現地で働いているACT(教会共同行動)関係団体は、「ACTパレスチナ連絡会」をつくり、共同で食糧・医療支援などの人道支援活動に取組んでいます・・・NCCガザ市民緊急人道支援募金は、ACTパレスチナ連絡会の人道支援活動のために使われます」。わずかなお金を献金することが、イエスの為された「痛みの共有」になるのか、難しい問題です。しかし「私たちが奉げたい」と願う時、そこから何かが始まることも事実です。その何かを、教会の業として始めましょう。

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