1.弟子の召命
・2009年度、私たちは四つの福音書を通して、イエスの生涯を辿っています。今日は、ヨハネ1章後半を読みますが、ここにはイエスによる弟子の召命が記されています。人はどのようにしてイエスの弟子になるのか、それは今日で言えば、教会はどのように伝道したらよいのかを知ることでもあります。今日はこの弟子たちの召命記事を手がかりに、教会の基本的な業であります、伝道について学んでみたいと思います。
・バプテスマのヨハネがユダの荒野で宣教を始めた時、ユダヤ全土から多くの者がヨハネの下に集まりました。ローマの植民地支配に苦しむ人々は、聖書に預言されたメシアが来られて、イスラエルを救ってくださることを求めていました。その時、バプテスマのヨハネが荒野に現れ、「悔い改めよ、天の国は近づいた」(マタイ3:2)と呼びかけました。人々はもしかしたらヨハネこそメシアかも知れないとの期待を込めて、ヨハネの下に集まりました。アンデレとペテロの兄弟もまた、ガリラヤからユダの荒野に来ていました。ヨハネの弟子になるためです。その二人に、ヨハネは「私よりも優れた方がおられる。その方こそ神の子羊だ」として、イエスを指し示します。「その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて『見よ、神の小羊だ』と言った」(1:35)。イエスはヨハネからバブテスマを受けた時に聖霊を受けられ、自分が神の子として世に遣わされているとの使命を自覚されました。そして、神の子として何をすべきかを黙想するために、荒野に退かれ、祈りの時を持たれました。荒野の試練が終わってイエスが戻られた時、ヨハネは弟子たちにイエスを紹介したのでしょう。二人の弟子たちはイエスの後について行きました。
・イエスは自分の後についてくる二人を見て、「何を求めているのか」とお尋ねになります。二人は答えます「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」。イエスは「来なさい。そうすればわかる」と言われました。二人はイエスの泊まっておられた所に行き、おそらく一晩中イエスの話を聞き、この方こそメシアだと確信しました。翌朝、アンデレは共にユダに来ていた兄弟シモンの所に行き、興奮して告げます「私たちはメシアに出会った」(1:41)。そして、シモンをイエスのところに連れて行きました。イエスはシモンを見つめて言われました「あなたをケパ(岩)と呼ぶことにする」。イエスは青年ペテロの中に、やがて教会の土台石(ペテロ)となるべき素質を見出されたのでしょう。ケパはアラム語の岩、それをギリシャ語に直すとペテロになります。
・ヨハネ1: 43以下には、ピリポとナタナエルの召命があります。ヨハネの所には、同じガリラヤから来たピリポもいました。ピリポは「アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった」(1:44)とありますから、おそらくペテロがピリポをイエスに紹介したのでしょう。ピリポもまたイエスの招きを受けて従います。そのピリポが、今度は同郷のナタナエルをイエスの下に誘います。ナタナエルは「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と反論しますが、ピリポは「来て、見なさい」としてナタナエルを連れて行きます(1:45-46)。ナタナエルは、イエスが出会う前から自分を知って下さったことを知り、この方こそメシアであることを告白し、弟子になります。
・マルコ福音書はイエスが弟子たちを召命されたのは、ガリラヤであったと伝えます。マルコは記します「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは『私について来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った」(マルコ1:16-18)。弟子たちの召命に関して複数の伝承があったことをうかがわせます。おそらくはヨハネの弟子たちの中で、ガリラや出身の者たちがイエスに従うようになったという歴史的背景があるのでしょう。しかし、今日知りたいのはそのことではなく、「ついて来なさい」というイエスの招きに、人々が応え、従って行ったという事実です。その事実においてはマルコもヨハネも同じ証言をしています。
2.招きと応答
・今日の物語の中でまず注目したいことは、「来て見なさい」と言う言葉が繰り返し用いられていることです。イエスはヨハネの言葉を受けて自分の所に来たアンデレともう一人に「来なさい、そうすれば分かる」と言われ、二人は従い、イエスがメシアであることを知ります。ピリポもまた「私に従いなさい」(1:43)という言葉に従い、イエスの弟子となります。そのピリポが今度はナタナエルに「来て、見なさい」(1:46)と誘い、ナタナエルもまたイエスにひざまずく者になります。信仰は理屈ではなく、事実です。その人に会い、その人の話を聞き、自分で確認することにより、出会いが起こります。私たちがキリストと出会う、それが伝道の第一歩です。
・次に証言の連鎖によって伝道が為されているのに気が付きます。バプテスマのヨハネはイエスを「見よ、神の子羊」と弟子たちに証言し、その言葉が二人をイエスに導きました。導かれたアンデレは自分の兄弟ペテロを探し「私たちはメシアに出会った」と証言し、その証言がペテロをイエスに導きます。そのペテロはピリポに証言し、ピリポは更に知人のナタナエルに証言し、彼をイエスの下に導きます。伝道の二番目は、自分が出会ったもの、見出したものを、隣人に伝えていくことです。ヨハネからアンデレへ、アンデレからペテロへ、ペテロからピリポへ、ピリポからナタナエルへとキリストが証言されていき、やがて彼らが弟子から使徒となり、教会を形成する者になって行きます。
・三番目に、そしてもっとも大事だと思われるものは、「留まる」という言葉です。弟子たちがイエスに「先生、どこに泊まっておられますか」と尋ねた時の「泊まる」と言う言葉は、メノーと言うギリシャ語です。このメノーはヨハネ福音書に40回用いられる鍵となる言葉で、「泊まる」と言うよりも「留まる」という意味を持っています。二人は「今夜どこに宿泊するのですか」と言う表面的な問いと同時に、「神の救いの計画の中であなたはどこに留まっているのですか」という内面的な問いをイエスにしているのです。ですから、その日、彼らは「ついて行って」、「イエスがどこに留まっているか」を見届け、「彼らもそこに留まり」、「私たちはメシアにあった」と証言するようになるのです。
3.キリストの下に留まる
・今日の招詞にヨハネ15:4を選びました。次のような言葉です「私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、私につながっていなければ、実を結ぶことができない」。
・「私につながっていなさい」という言葉の「つながる」は、ヨハネ1章で見た「留まる=メノー」です。木の生命は根であり、その根から幹が伸び、幹から枝が分かれます。枝は根や幹から栄養分や水分をもらうことによって、実を結ぶことが出来ます。幹から離れた枝は枯れるばかりです。私たちは幹であるイエスに留まり続けることによって、豊かな実を結ぶのです。イエスの宣教としるしによって、多くの者がイエスこそ神の子と信じ、教会が生まれて来ました。しかし、生まれたばかりの教会はユダヤ教からは異端として迫害を受け、ローマ帝国からは邪教として弾圧され、その中で多くの人々が教会から脱落していきました。本当にイエスにつながっていなかった、留まっていなかったからです。それに対し、危機に直面してもなお、イエスをキリストと告白し神の子と信じる者は、殺されても信仰を曲げませんでした。その弟子たちの死をも恐れない信仰を見て、多くの人々が福音を信じていきます。このような歴史の中で、証人=ギリシャ語マルテースという言葉が、やがて殉教という意味を持つようになります。留まり続けた人々の存在によって伝道の業は進められていったのです。
・私たちはぶどうの幹ではなく、枝です。「イエスに留まる」、イエスを離れて人は信仰を維持することができず、信仰の実は枯れてしまいます。どうすればイエスに留まり続けることが出来るのでしょうか。イエスからその宣教を委託されている教会に留まり続けることによってです。ある人は言うでしょう「私は教会に失望している。私は自分で聖書を読み、祈ることによってイエスに留まり続けることが出来る」。私たちの知る範囲では、教会を離れた人は信仰からも離れます。教会の中に罪が残り、悪があるのは事実です。多くの人々は牧師や信徒の罪を見て、教会に失望し、教会から離れていきます。しかし、教会から離れた時、教会の頭であり命の源であるキリストからも離れるのです。伝道とは新しい人が洗礼を受け、あるいは転入し、信仰の仲間が増えていくことですが、それ以上に、教会に招かれた人々が教会に留まり続けるために、私たちが働くことが大事なのです。
・先週、私たちは押川信子姉の葬儀を執り行いました。押川姉は生前、押川方義の家系につながっていることを誇りにしておられました。押川姉の夫・押川春隆兄は押川方義の孫になられます。押川方義は1852年(嘉永4年)、当時の松山藩の武士の家に生まれ、明治維新の後、藩からの留学生として東京の開成学校(東京大学の前身)に学び、やがて横浜英学校に移り、そこで宣教師バラの導きで洗礼を受けます。明治5年、まだキリスト教が耶蘇教と呼ばれ、邪教として禁止されていた時です。この時受洗した11人によって日本最初の教会であります日本基督公会(現・横浜海岸教会)が創立され、押川方義は植村正久たちと共に教会の中心になっていきます。押川方義はその後、東北地方を中心に伝道活動を行い、「仙台神学校(現・東北学院)」「宮城女学校(現・宮城学院)」を創設し、多くの人をキリストに導きました。その押川方義の信仰が子の押川春浪に、更には孫の押川春隆兄へと継承され、押川春隆兄の信仰が妻の信子姉に継承されたのです。そして押川信子姉の二人のお子さんも洗礼を受けられました。ヨハネ福音書では、ヨハネからアンデレへ、アンデレからペテロへ、ペテロからピリポへ、ピリポからナタナエルへと信仰が継承されていきますが、押川家においてもこの信仰の継承がありました。親から子へ、子から孫へ、夫から妻へ、妻から娘へ、キリストの下に留まり続けた信仰の有様を押川信子姉は見せてくださったのです。ヨハネが私たちに教えます伝道とは、「私たちがまずキリストに出会うこと」、「出会った者が伝えていくこと」、「招かれた者が留まり続けるために祈る」ことです。そのことを通して、福音が次から次に伝えられていく。「イエスに出会い、告げ知らせなさい」、ヨハネの描く偉大な物語が私たちにも起こった、そのことを喜ぶと同時に、今度は私たちがその物語を語っていくことを願います。