1.イエスにつまずく郷里の人々
・今日私たちはマルコ6:1-6がテキストとして与えられました。イエスが故郷ナザレの会堂で説教された時、人々はイエスの教えの力強さに驚きましたが、その驚きが次第につぶやきと疑問になっていくという物語です。最初に人々はつぶやきます「この人の知恵と奇跡はどこから来るのか」。そのつぶやきはやがて疑問に変わっていきます「この人は、大工ではないか。マリアの息子ではないか」。マルコは「人々はイエスにつまずいた」と書きます。私たちの経験も、聞こうとしない人には、どのような言葉も力を持たないことを教えます。そのような現実の中で、私たちはどのように伝道していけば良いのかを考えていきます。
・イエスはガリラヤのカペナウムを中心に宣教活動をされていましたが、巡回伝道の一環として、故郷ナザレにも行かれました。それは「故郷に錦を飾る」という華やかなものではなく、人々はイエスを冷ややかに迎えたのではないかと思われます。マルコは前に、イエスがカペナウムで宣教活動をされていた時、「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。あの男は気が変になっていると言われていたからである」(3:21)と書いています。イエスの家族や親戚は、イエスが家業の大工を捨てて村を出奔し、放浪伝道者になって、ユダヤ教指導者たちと衝突を繰り返していることを、好意的には見ていなかったのです。イエスの家族や親戚はナザレに住んでいますので、村の人々も同じ見方をしていたことでしょう。しかしイエスの行われた数々の不思議な業の評判は聞いていましたので、興味はあり、とりあえず安息日に会堂で説教させてみようということになりました。
・安息日にイエスは会堂で人々を前に語られました。人々はイエスの話を聞いて驚いたとあります(6:2)。この驚きという言葉は「エクパレゾー」ですが、「仰天した」とか「唖然とした」と言う意味で、好意的な驚きではありません。「この人はこのようなことをどこから得たのだろう」、イエスはラビ(教師)になるための学びや訓練を受けていません。現代的に言えば、「神学校も出ていないのに」という驚きです。また言いました「この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か」、イエスがカペナウムで律法学者と論争して彼らを打ち負かしたこと、数々の癒しの奇跡をなされたことはナザレにも伝わっていました。その力はどこから来るのかと人々は不思議がったのです。
・イエスがここで何を語られたのか、マルコは記しませんが、並行箇所のルカでは、イエスはイザヤ61章を引用して次のように言われたと記します。「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである」(ルカ4:18)。「主が私に油を注がれた」、自分こそメシア(油注がれた者)であるとイエスは宣言されているのです。人々は唖然としました。人々はメシアを待望していましたが、そのメシアがまさかイエスとは思わなかったのです。人々の驚きは次第に反感に変わっていきます。人々は口々に言い始めます「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」(6:3)。
・「この人は大工ではないか」、この間まで私たちと一緒に仕事をしていた村仲間ではないか、その大工がメシアなどというたわけた話をどうして信じることが出来ようかと人々は言い始めています。「この人はマリアの息子ではないか」、ユダヤでは通常父親の名前を用いて人を呼びます。しかし村人は「ヨセフの息子」というべきところを、あえて「マリアの息子」と呼んでいます。当時ヨセフは既に亡くなっていたという事情もあるのでしょうが、それ以上にイエスの出生についての不信が人々の間にあったようです。この言い方は「母親だけの子、私生児である」との蔑称が含まれていると聖書学者は言います。マタイやルカに依れば、イエスは「聖霊によって生まれた」とありますが、それは人々の理解を超えており、人々は陰でイエスを私生児と言っていたようです。その男がまさかメシアとは、「冗談もいい加減にして欲しい」との意味合いがここにあります。
2.イエスは郷里では力ある業をすることが出来なかった
・人々はイエスにつまずきました。イエスはその人々に言われます「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」(6:4)。イエスの家族や生い立ち、職業を良く知っている郷里の人々は、イエスの人間と言う面が良く見えるため、イエスに聖霊が与えられて神の子として立てられたという真実が見えなくなっていたのです。彼らは自分たちの理解を超える事柄を受入れることを拒んだのです。家族はなおさらです。先に見ましたように、イエスの兄弟たちはもちろん母マリアでさえ、生前のイエスに批判的であったことをマルコは隠しません。「イエスでさえ家族伝道に失敗された」、この事実は家族伝道の難しさに悩む私たちを慰めます。しかし同時に、その家族が後に教会の柱となっていくという事実(使徒言行録1:14ではイエスの家族は弟子集団の中にいる)は、また私たちに希望を与えます。
・イエスはナザレでは「何も奇跡を行うことができなかった」とマルコは記します(6:6)。この正直な告白の中に大事な真理があります。イエスはカペナウムで12年間も出血に悩む女性を癒し、また会堂長の娘を死の床からよみがえらせました。そのイエスがナザレでは何の奇跡も行えなかった。福音書を注意深く読めば、イエスが奇跡を起こされる時には、いつも誰かを助けるため、誰かを悲しみから立ち上がらせるため、誰かの必要を満たすためでした。人々に対する愛、憐れみのゆえに、神の力(デュミナス)が働いて、そこに力ある業が起きるのです。逆に言えば、救いを求める人がいなければ、あるいはイエスの助けを求める人がいなければ奇跡は起こらないし、起こせないのです。郷里の人たちは「カペナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ」と思っていたようです(ルカ4:23)。私たちの不信仰が神を無力にするのではありません。ただ、不信仰の場においては神の業は働く余地はない、救いに対する飢え渇きのない者には神の力は与えられないのです。
・マルコは、イエスは故郷では、「何も奇跡を行うことが出来なかった」と正直に記しますが、マタイはこの箇所を「人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった」(マタイ13:58)と修正します。イエスが何も出来なかったと書くのは畏れ多いと思ったからでしょう。しかしマタイの記述では真理は伝わりません。信仰のないところでは何の奇跡も起きない、そのことを私たちは心に刻むべきなのです。私たちはイエスの言葉の奥深さに惹かれ、イエスの優しさに感動して、イエスを敬愛します。しかしイエスが単なる敬愛の対象であれば、私たちもまたイエスにつまずくでしょう。イエスが私たちに求められるのは「自分の十字架を背負ってイエスに従っていく」(8:34)ことです。それはイエスが十字架で迫害されたように、私たちもこの世で苦難を負う生き方です。そこまで関わりたくないと私たちが思った時、イエスは私たちに無縁の存在になられます。
・生前のイエスに従った弟子たちも、「そこまでは関わりたくない」と思っていました。だから彼らも十字架につまずき、「そんな人は知らない」とイエスを否定してしまうのです。その弟子たちが変えられたのは、復活のイエスに出会った後でした。弟子の一人トマスはイエスを深く敬愛し、イエスのためならば死んでも良いと思っていました(ヨハネ11:16)。しかし、彼もまたイエスにつまずき、弟子集団から離れ、復活のイエスが弟子たちに現れになった時、その場にいませんでした。彼はイエスの復活を否定しますが、次の安息日にイエスが再び現れになった時、イエスの前にひざまずき「私の主、私の神」と告白します(ヨハネ20:28)。そうです、イエスを主と呼び、その前にひざまずかない限り、イエスの真実は見えないのです。
・イエスの真実が見えた時、神の国の真理が見えてきます。イエスは言われました「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(ヨハネ11:25-26)。この言葉は理性で受入れることは難しいと思いますが、わからないものを含めて信じていく時に、私たちの人生は変えられていきます。永遠の命を信じることによって、この世の出来事は全て相対化され、「私が、私が」と執着して生きる生き方から解放されていきます。
3.日常から離れないと神の国は見えない
・今日の招詞にイザヤ50:5-6を選びました。次のような言葉です。「主なる神は私の耳を開かれた。私は逆らわず、退かなかった。打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた」。
・イスラエルは紀元前589年に国を滅ぼされ、主だった人々は捕囚として敵国バビロンに連れて来られました。それから50年、希望と信仰をなくした無力な捕囚の民に、「解放の時が来た。お前たちは祖国に戻れるのだ」という主の言葉が臨みます(イザヤ40:1-2)。事実、東から起こった新興国ペルシャがバビロンを滅ぼし、人々に祖国帰還の道が開かれます。しかし捕囚から50年、人々は既にバビロンに生活基盤を築いていました。現在の生活を捨ててまで、廃墟の祖国に帰って国を再建しようという者は少数派でした。多くの者は生活の現状維持を望んだのです。預言者は、帰国を喜ぼうとしない人々に、「あなたたちは神が救いの御手を差し伸べておられるのにそれを拒絶しようとしている」と説いて、祖国帰還を勧めます。反対者たちは預言者に肉体的な危害を加え、精神的な屈辱を与え、更にはつばを吐きかける等の侮蔑行為も行ったようです。しかし預言者は嘲笑の言葉に逆らわず、しかも退きません。何故なら預言者は朝毎に神の言葉を聞き、神が日常を離れて行為するように求めておられると信じるからです。預言者に従った者は少数でしたが、この少数者によって新しい国が造られました。
・人が求めるのは生活の安定です。日常の安定を捨ててまで、神に従いたくない。ルカは興味深い例えをイエスが話されたと紹介しています「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った」(ルカ14:15-20)。何があっても主日礼拝を守る、それは私たちの日常生活にある種の犠牲をもたらします。しかし、私たちはどこかで日常を捨てなければ、神の国を見ることは出来ないのです。
・「イエスは故郷では何も奇跡を行うことができなかった」、もし人々が日常を離れて、イエスを信じたのならば、ナザレでも偉大な業が為されたことでしょう。日常を離れるとは、自分が神に生かされている存在であることを知り、人生を神と共に歩むことです。具体的には人生を自分のためだけに用いない。持てるものの一部を神と、そして隣人と共有していく。信仰的には十分の一を捧げて生きる生き方になります。時間の十分の一、お金の十分の一、何よりも思いの十分の一を捧げていく。その時マラキの預言した言葉を私たちは実感するでしょう「十分の一の献げ物をすべて倉に運び、私の家に食物があるようにせよ。これによって、私を試してみよと万軍の主は言われる。必ず、私はあなたたちのために、天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう」(マラキ3:10)。この言葉を信じた時、私たちは神の偉大な業をこの目で見るようになります。そして、信じない時には何も起きません。神の救いへの飢え渇きが私たちに信仰を与え、信仰が偉大な業を可能にすることを今日は覚えたいと思います。