1.聖霊による中断
・先週、私たちは使徒言行録10章からコルネリウスの回心を学びました。カイザリアにいたローマの軍人コルネリウスが幻を見て、ヨッパにいるペテロを招きなさいと示され、ペテロも異邦人コルネリウスの家に行きなさいと示されました。二人は意味もわからないままに導きに従い、出会い、コルネリウスはペテロからバプテスマを受けます。ここに、福音がユダヤ人の枠を飛び出して異邦人に伝えられ、それを契機にギリシャ・ローマ世界に広がっていくようになります。しかし、ペテロの行為はエルサレム教会の保守派から非難を受けます「あなたは割礼を受けていない者たちのところに行き、一緒に食事した」(使徒11:3)。エルサレム教会の人々はユダヤ教の枠内におり、「神はイスラエルをのみ救われる」という民族主義、選民主義から自由ではなかったのです。私たちは彼らの偏狭さを笑いますが、現代の私たち自身も民族主義の枠中にあります。日の丸・君が代を敬わない教師は処罰するとの東京都教育委員会の方針は民族主義の色彩を強く持っていますし、私たちの国が移民をほとんど受け入れていないのはご承知の通りです。
・“割礼を受けなければ救われない”という、教会内の民族主義はやがて、福音の伝道を妨げるようになります。福音はエルサレムを越えて広がり始め、パウロやバルナバは異邦人伝道に積極的に取り組みますが、回心した異邦人たちに対し、母教会のエルサレム教会は「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(使徒15:1)と宣教していました。異邦人伝道の先頭に立つパウロとバルナバは憤慨し、エルサレム教会の指導者ヤコブやペテロと協議の時を持ちます。使徒会議が開かれ、「救われるために割礼は必要ではない」ことが、改めて確認されます。パウロたちはこの使徒会議の喜ばしい決定を知らせるために、キリキア・ガラテヤ・アジアの異邦人教会を訪問する計画を立てます。
・パウロたちはシリアから、キリキア・ガラテヤを通って、アジア州エペソに向かう計画でした。旅は予定通りに進み、パウロたちは諸教会を訪問し、「エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝え」ました(使徒16:4)。その後、アジア州の州都エペソに向かう予定でしたが、何らかの理由で、エペソに行くことが出来なかったようです。使徒言行録は次のように述べます「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」(使徒16:6-7)。「聖霊に禁じられて」、「イエスの霊がそれを許さず」、行程を変更すべき事情が生じたのでしょう。パウロが病気になったのではとも推測されています(ガラテア4:13)。彼らはやむなく、エーゲ海に臨む港町トロアスに行きます。そのトロアスでパウロは幻を見ました「一人のマケドニア人が立って“マケドニア州に渡って来て、私たちを助けて下さい”と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見た時、私たちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした」(16:9-10)。
・使徒言行録はこれまで三人称で使徒たちの働きを記述していましたが、16章から記述が「私たち」に変わっていきます。「私たちは出発した」、「私たちは確信した」。使徒言行録の著者ルカがこのトロアスからパウロの一行に加わったためと思われます。ルカは医者ですから、病気のパウロがルカに治療を受けたのかも知れません。いずれにせよ、パウロはトロアスでルカと出会い、ルカの要請でパウロたちがマケドニアに行くことになったのでしょう。福音がアジアから海を越えてヨーロッパ大陸に伝わっていく、歴史的な第一歩がここに始まりました。もし、“福音がヨーロッパに伝わる”ことがなかったら、歴史は大きく変わったと思われます。その後のキリスト教の発展はヨーロッパなしには考えられないからです。そのきっかけが、“聖霊に禁じられて”でした。エペソに向かうはずのパウロたちがマケドニアに向かい、そのことを通して世界史が書き換えられていきました。
2.聖霊に導かれて
・パウロたちはトロアスから船出して、マケドニアのピリピに導かれます。パウロたちはいつも通り、ユダヤ教の会堂を探しますが、ピリピはユダヤ人居住者が少なく、会堂もありませんでした。一行は安息日を待って、祈り場を探して川岸に向かいます。祈り場は会堂を持つほどにはユダヤ人がいない所に立てられる小屋で、通常は身体を清めるために便利な川のほとりに立てられました。パウロたちはそこで、礼拝を守っていた数名の婦人たちと出会います。その中にリディアと呼ばれる婦人がいました。彼女は裕福な商人で、ユダヤ教への改宗者でした。彼女はパウロたちの話を熱心に聴き、回心して、その場でバプテスマを受けます。ルカは、このリディアの回心が、パウロの説教によって起きたとは書きません。「リディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」(16:14)。「主が彼女の心を開かれた」、人を信仰に導くものは、主の語りかけです。私たちも礼拝において、あるいは黙想の時、主の語りかけを聞く経験をします。御言葉の解き明かしを聞いているうちに、あるいは聖書を読んでいる時に、突然目が開けて、言葉が自分に語られている体験をします。その時、封印されていた聖書の言葉が私へ語りかける言葉となり、回心に導かれます。
・さて、このリディアがヨーロッパで最初の回心者となり、彼女は喜びの中で、自宅を伝道の拠点としてお用い下さいと提供します。このリディアの家がやがてピリピ教会となっていきます。このようにして立てられたピリピ教会は、その後、パウロの伝道を助け、支える教会になります。パウロは、後にピリピ教会に書いた手紙の中で感謝を述べています「ピリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、私が福音の宣教の初めにマケドニア州を出た時、もののやり取りで私の働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。また、テサロニケにいた時にも、あなた方は私の窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。・・・そちらからの贈り物を・・・受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」(ピリピ4:15-19)。
・聖霊がアジアに行くことを禁じなければ、パウロはルカとは出会わず、ルカ福音書は書かれていなかったでしょう。また、ピリピに渡ることもなく、ピリピに行かなければリディアの回心もなく、ピリピ教会の建設もありませんでした。聖霊の不思議な導きによって、すべては“良し”とされました。“聖霊による中断”、人間の目から見れば挫折です。私たちの思いが挫折、中断させられることを通して、新しい道が開かれていきます。人間の計画が崩れる時、神の計画が成ります。人が自分の計画に夢中である時は、神の声が聞こえないからです。ここに生き方の変革があります。「人生は偶然の連続に過ぎない」と思う時、挫折や中断は失敗です。しかし「人生は神の導きの下に在る」と信じる時、挫折や中断が新しい道を開きます。このことを知った者は、もう、いかなる時にも失望することはありません。パウロは告白します「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救って下さったし、また救って下さることでしょう。これからも救って下さるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」(〓コリント1:10)。この希望こそが信仰です。信仰は挫折さえも“良いもの”に変える力を持ちます。
3.すべてを良しとされる神
・今日の招詞にピリピ1:29−30を選びました。次のような言葉です「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。あなたがたは、私の戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです」。
・伝道の旅を重ねてきたパウロはいまローマの獄中にいます。それはキリストの福音を伝えたからです。福音は喜びの訪れですのに、何故伝えることによって迫害を受けるのでしょうか。イエスは、安息日に病人に対する治療を行ってはいけないという律法を知りながら、目の前にいる病人を憐れみ、いやされました。らい病人には触れていけないという掟があっても、愛の故にそれを無視されました。だから律法を重んじるユダヤ人たちはイエスを捕らえました。ローマ帝国は皇帝を神として拝めと強制し、パウロは拒否した故に、ローマはパウロを捕らえます。キリストに従うとする時、私たちも世から迫害を受けることはあります。迫害を受けた時、私たちは平和な生活から、非日常の苦難の中に入ります。しかし、その苦難が神ゆえのものであることを知る時にはもう怖れはありません。“神が共にいてくださる”ことを知る時、牢獄もまた喜びの場になります。
・パウロはピリピの人たちに「キリストのために私は苦しんでいますが、それを恵みとして喜んでいます」と書き送ります。獄中のパウロに接して、回心するローマの兵士たちが出てきました(ピリピ1:13-14)。投獄されることを通してさえ伝道が進むのです。こうなると、投獄もまた恵みになります。投獄さえも恵みになる時、何者もその人を押しつぶすことはもう出来ません。「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」。この信仰こそが、いついかなる場面においても、信仰者に平安を与えます。そして伝道とは、この平安を知った者が、それを隣の人に伝えていく行為です。その伝道は聖霊によって導かれます。そこでは障害や挫折さえもが良いものに変えられていきます。エペソへの伝道禁止がピリピに大きな実りをもたらせたように、です。こうして福音は新しい地に伝えられ、篠崎まで来ました。使徒言行録は閉じられていない記録であり、その記録は、私たちによって書き継がれていくのです。「この地域に福音を伝える」、そのために私たちは、今日、ここに集められていることを、降誕節第三主日の今日、改めて覚えたいと思います。