江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年10月22日説教(ヨハネ黙示録7:1-17、天国に市民権を持つ者)

投稿日:2006年10月22日 更新日:

1.地上の迫害と天上での準備

・先週、私たちはヘブライ人への手紙を読みました。手紙はユダヤ教からの迫害に苦しむクリスチャンに宛てられたものです。多くのユダヤ人が福音に接して、キリストを主として受け入れましたが、そのために彼らは家族から絶縁され、地域共同体から追われて、迫害されています。彼らはクリスチャンにならなければ良かった、なったばかりに迫害を受けたとしてユダヤ教に戻ろうとしています。その人々に著者は「命の源であるキリストから離れるな、この人を離れるとあなたは死ぬ、あなたは死んではいけない」と手紙を書きました。
・今日、私たちが読みますヨハネ黙示録もまた、迫害に苦しむクリスチャンに宛てて書かれた手紙です。紀元95年ごろ、アジア州の諸教会はローマ帝国の迫害に苦しんでいました。皇帝ドミティアヌスは自身の像を作って町々に置き、「神として拝め、拝まない者は殺す」という政策を取りました。国の統一のために皇帝礼拝を強制し、従わない者を排除していく国策を取ったのです。クリスチャンたちは、神以外のものは拝まないという態度を取ったため、多くの者が投獄され、ある者は殺され、黙示録の著者ヨハネもパトモスという孤島に流されています。クリスチャンたちは「神は何をしておられるのか。何故私たちを助けてくれないのか」と叫び、信仰が揺らぎ始めていました。その時、ヨハネは神の幻に接し、その見た幻を手紙に書き記し、迫害にあえぐ諸教会に送りました。それがヨハネ黙示録です。幻を描いていますから、一見わかりにくいように見えますが、当時の人々にはすぐに意味がわかりました。私たちも、時代背景や記号の意味を丁寧に読んでいけば、手紙の意味するところは明らかになってきます。
・4章から、幻の内容が語られていきます。ヨハネは天に引き上げられ、神が玉座に座っておられるのを見ます。神の手元には計画を記した巻物があり、キリストがその封印を解いていくと、不思議な出来事が起こります。最初の封印を解くと、白い馬に乗った騎士が現れます。白馬はローマ帝国の宿敵パルテイアを意味し、ローマが外敵の侵入により困難に陥ることが予言されます。次に赤い馬に乗った騎士が現れます。赤は流血であり、ローマを襲う戦争や内乱を意味しています。三番目に黒い馬に乗った騎士が現れます。彼の登場と共に、穀物の値段が高騰していますから、これはローマが飢饉に襲われることを意味します。第四の封印が解かれると、青白い馬に乗った騎士が現れます。彼はローマを襲う疫病です。つまり、ローマ帝国はこれから、外敵が侵入し、国内は内乱状態になり、飢饉に苦しめられ、疫病が蔓延して、やがて滅ぶという未来を見せられたわけです。今は勢威を振るい、暴虐の限りを尽くしていても、天では既にローマの支配を終わらせるための諸準備が為されていることをヨハネは示されました。
・第五の封印が開かれますと、殺された殉教者たちの声が響きます「いつまで不正が続くのですか。早くローマを倒して正義を見せて下さい」。それに対して「数が満ちるまで待て」と言う声が聞こえます。今しばらくは迫害により殺される者が出る、それが神のご計画だと言うのです。第六の封印が開かれると、大地震が起こり、太陽と月は光を失い、星が天から落ちます。古い天地の滅亡です。その時、讃美の声が聞こえてきます。それが第7章です。キリストに従って死んでいった者たちが、神の僕の刻印を押されて、天の礼拝堂に集まり、讃美しています。9-10節では「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ『救いは、玉座に座っておられる私たちの神と、小羊とのものである』」と歌います。殉教者たちが白い衣を着て神と御子の前に集い、讃美しているのです。それに呼応して天使たちが「然り、アーメン」と歌っています。
・地上では迫害の嵐が吹き荒れていますが、天上では神を讃美する声がこだましています。人々のまとう白い衣はキリストの血で洗い清められています。集まった者たちは地上でそれぞれ苦難を背負い、天に召されましたが、今は天上で休息を許されています。天使たちは歌います「彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。・・・小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである」(7:16-17)。地上では彼らは飢え渇きに苦しみ、涙を流して来ましたが、ここではもう飢えも渇きも涙もありません。ヨハネは地上の教会に書き送ります。「今あなたたちは迫害の中で、飢え渇き、涙を流している。しかし、天上ではそのような不義を裁くための軍勢が既に地上に派遣され、苦しみの末に天に召された民が主の前に集まり讃美している。殉教を恐れるな、彼らは肉の命を奪うことは出来るかも知れないが、私たちは永遠の命が神により与えられているのだ」と。

2.神の刻印を受けたもの

・ヘブライ人の手紙の読者たちは、ユダヤ教徒からの迫害を受けました。クリスチャンたちはユダヤ教徒が神の住まいとして神聖視したエルサレム神殿に参拝しなかったからです。彼らは言いました「いと高き方は人の手で造ったようなものには住まわれない」(使徒言行録7:47)。ユダヤ教徒は彼らを憎み、迫害しました。黙示録の読者たちはローマ帝国の迫害を受けました。皇帝を神として拝むことを拒否したからです。それは国家反逆の行為であり、クリスチャンたちはローマの権力者から憎まれました。拝めば迫害はなかったでしょう。しかし、拝めばクリスチャンでなくなります。このように見てきますと、クリスチャンはクリスチャンゆえに迫害を受けています。まさにイエスは予言された通りです「あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。私があなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである」(ヨハネ15:19)。迫害や困難は信仰者につきものなのです。
・黙示録7章によりますと、大地は四人の天使に支えられ、大地の四隅から吹く風が抑えられています(7:1)。そして「神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない」と命じられています(7:3)。救われるべき人々にしるしがつけ終わるまで、裁きの日は来ずに、天地は支えられているというのです。そして神の僕の額には「刻印」が押されています。私たちの額には既に神の刻印が押されている、私たちは世から聖別されている、私たちは世に属さない、私たちの本国は天にある、それが聖書の示すところです。私たちは天国の市民権を持って、この地上で暮らしています。そこからいろいろな困難が生まれて来ます。

3.寄留者として生きる

・今日の招詞としてヘブル11:13を選びました。次のような言葉です「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」。
・ヘブル書の著者は迫害の中で苦しんでいる人々に、信仰の先人たちのことを語ります。「今あなたがたは迫害に苦しんでいるが、先人たちもそれぞれの困難の中で生きてきた。あなたがたの試練は、先人たちも経験したものだ。先人たちのように、与えられた約束を確信し、見えない事実を確認して行きなさい」と。その言葉の後に招詞の言葉が来ます。信仰者たちは神の約束を信じて生きました。彼らは約束の一部しか実現していない時も、あるいは約束の実現がまだ見えていない時も、約束は成就すると信じていました。自分の生きている間に約束が完結しなくともよい、人生は死では終わらないのだからという信仰を持っていました。彼らにとって地上の人生とは神の国を目指す旅であり、自身は寄留者で国籍は天にあると信じていました。
・国籍が天にあるとすれば、地上での私たちの生き方は変わって来ます。エルサレム神殿に参拝すれば迫害はなくなるかもしれませんが、参拝はしません。皇帝の像を拝めば命は助かるとしても拝みません。地上の命よりも大事なものがあることを知ったからです。明治の信仰者内村鑑三は、第一高等中学校の教師でしたが、教育勅語の発布式の時、勅語に対する頭の下げ方が足りないとして、天皇に対する不敬を責められ、教職を追われました。教育勅語よりも大事なものに忠誠を尽くしたからです。国立市の小学校教師だった佐藤美和子さんは学校の式典での国旗掲揚のときに起立しなかったために、教師として不適格とされ処罰されました。佐藤さんの父と祖父は牧師であり、二人から、日の丸の旗の下に日本が犯した数々の罪を教えられていましたので、国旗に頭を下げることが出来なかったのです。世の人は、日本人であれば国旗に敬意を払うのは当然ではないかと批判しますが、佐藤さんは日本人である前に、自分はクリスチャンであり、出来ないと拒否したのです。
・信仰を生活の中で生きようとする時、私たちは困難に直面します。先日、私たちの住む江戸川区で、区の塗装工事をめぐる談合事件が起きました。区の発注した塗装工事のほとんどが談合組織である「江戸川区塗装研究会」の会員企業により落札され、その便宜を図った区の都市開発部係長が収賄罪で逮捕されました。仮に私たちの職業が塗装工事業であり、談合に加わらなければ仕事ができないとした時、私たちはどうするのでしょうか。談合は不正だから加わらない、あるいは談合の事実を告発する等の行為をすれば、もう江戸川区では仕事が出来なくなります。逆に、世の中はそういう仕組みだから仕方がないとして妥協した時には、今度は私たちの信仰のあり方が問われてきます。難しい問題です。聖書は私たちに言います「あなた方はこの世の国家や民族に属する前に、神の民ではないか。地上の人生が全てではなく、この世を越えた大事なものがあることを知っているではないか」。私たちは拝むべきでないものは拝んではいけない。曲げるべきではない良心は曲げてはいけない。そのことによって不利益をこうむろうとも良いではないか。聖書は私たちにそう語りかけています。

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