1.水のバプテスマと霊のバプテスマ
・パウロはコリントで1年半宣教し、そこに信じる人の群=教会が出来た。その後、パウロは、エペソに来た。エペソはアジア州の州都でその地方の中心都市だった。コリントでの同労者プリスキラとアキラの夫妻が一緒だった。パウロはそこからエルサレムに戻り、プリスキラ・アキラ夫妻はエペソに残り、伝道を続けた。数ヶ月を経て、エルサレム教会での用を済ましたパウロが再びエペソに戻ってきた。プリスキラとアキラの働きにより、エペソでも信徒の群れが形成されていた。パウロはその人々と会ったが、そのうち何人かの信仰は明らかに偏っていた。パウロはその人々に「信仰に入った時、聖霊を受けましたか」と聞いた。彼らは「聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と答えた。パウロは彼らにイエス・キリストの名によって再バプテスマを施し、頭に手を置いて祈った。すると、その人たちに聖霊が下り、彼らは異言を話し始めた。これが今日、学ぼうとする使徒19章始めの記事である。この記事は私たちに何を語るのだろうか。
・最初に、パウロがエペソに来る前に、エペソ教会で起きた出来事を見てみよう。使徒18:24からの記事である。アレキサンドリア生まれのアポロという伝道者がエペソに来た。彼は聖書に詳しく、雄弁であり、主の道を受け入れ、熱心に語り、正確に教えていた。有能な伝道者であったが、何かが欠けていた。ルカは「アポロはヨハネのバプテスマしか知らなかった」と記述する。ヨハネは「悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた」(ルカ3:3)。罪を悔い改めることは救いの第一歩であるが、悔い改めても新しい命をいただかないと、本当の救いにはならない。恐らく、アポロはヨハネのように厳格な禁欲生活をしていたが、その信仰に喜びがなかった。宣教も罪を責めることに急で、救いの喜びを伝えるものではなかったのであろう。アポロの宣教を聞いたプリスキラ夫妻はアポロのために祈り、彼に教えさとした。エペソの信徒たちが聖霊を知らなかったのも、このアポロの影響かも知れない。彼らは正しい信仰教育を受けていず、再教育される必要があった。パウロは彼らに教え、バプテスマを授けた。その後、パウロが頭の上に手を置くと、彼らに聖霊が降った。
・クリスチャンとそうでない人を分けるのは、バプテスマを受けたかどうかではなく、その生活に信仰の実があるかどうかだ。信仰の実とは、罪を赦された喜びを持って、新しく生きることだ。過去の罪が赦されただけでは本当の救いではない。新しい命に生かされることがなければ、過去と同じ生活の繰り返しに終わる。水のバプテスマで救いは完成しない。そこに霊のバプテスマを受ける意味がある。もし私たちが、バプテスマを受ける前と受けた後の実際の生活が変わっていなければ、その信仰には問題があると聖書は指摘する。「世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう」(〓ヨハネ3:17)。信仰は私たちを行為に、新しい生活へと導くものだ。
2.聖霊を受けることと魔術を求めることは異なる
・では聖霊を受けると、人はどういう風に変わるのか。今日、多くの人が聖霊派とかペンテコステ派と呼ばれる信仰に惹かれて集まる。趨勢的に伝統的な教会は衰退し、聖霊派の教会が勢いを増している。彼らは聖霊を求めて熱心に祈り、異言を語り、病のいやしを行う。今では世界のキリスト教徒の三分の一から四分の一は聖霊派と呼ばれる人たちだ。不安な時代なのかもしれない。しかし、聖霊を受けるとはこのような信仰に入ることであろうか。使徒19章後半の記事は、それは違うのではないかと私たちに教える。
・エペソにはアルテミスの神殿があった。その神殿は世界の七不思議と呼ばれたほど有名で、多くの参拝客が集まり、神殿で発行されるお守りは、旅行者には安全を保証し、子供のない者には子供を授け、病気のものはいやされ、商売繁盛を願う者にはそれがかなえられるという触書で、人々は競って、呪文と魔よけを書いたお守りを手に入れた。エペソは異教的迷信、魔術の中心地であった。
・パウロが説教し、病気の者をいやし、悪霊を追い払うのを見て、人々はパウロの信じる神の威力はすごいと思い始めた。当然、それを自分のために使おうとする人々が出て来る。ユダヤ人の祈祷師でスケウと呼ばれた者の息子たちは、パウロの神の力を使おうとして、悪霊につかれた者(おそらくは精神の病にある者)に対して「パウロの述べ伝えているイエスの名によって命じる。出て行け」と言った。信じてもいないのに、イエスの名前をおまじないのように唱えた。すると、悪霊につかれた男は息子たちに飛び掛って彼らを傷つけた。この出来事が契機になって、「信仰に入っていた多くの人が来て、自分たちの悪行を告白した」(19:18)。悪行を告白するとは、魔術に頼る自分たちの生き方を悔い改めたということだ。
・迷信や魔術はどこにでもある。現代の日本でも車に神社のお守りをつけている人は多いし、結婚式に仏滅は避け、友引には葬儀をしない。占いを信じる人も多い。クリスチャンでも、病のいやしを求めて教会に来るが、いやされないと教会を去る人も多い。これも魔術を求める信仰の一つだ。魔術の背景にあるものは、救いを求める叫びだ。その意味で誰でも魔術やいやしを求める。また、いやされて治ることもある。病は気からというように、信じた時に自然治癒力が働いて病気が治ることは周知の事実だ。しかし、聖書は魔術を禁じる、魔術の本は焼けと命じる。末期癌の患者が病気からの回復を求めるのは当然だ。誰でも死にたくない。しかし、癌からのいやしを神に求めることは、他の面から言えば、神の力を自分のために使いたいと言う願望だ。神は必要であれば病をいやして下さるし、そうでなければ命を召されるだろう。「御心のままに」と言う言葉を伴わない、いやしの祈りは魔術を求める信仰と同じだ。
3.たといそうでなくとも
・今日の招詞にダニエル書3:17-18を選んだ。次のような言葉だ。「私たちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私たちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。私たちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません」
・ユダヤはバビロニア帝国に国を滅ぼされ、主だった人々は捕囚としてバビロンに連行された。バビロニアの王ネブカドネザルは神の像を金で作り、「これを拝め、拝まなければ火の燃える炉に入れて殺す」と人々に迫った。人々はみな拝んだが、三人のユダヤ人の若者は偶像を拝むことを拒否した。王は怒り「直ちに金の像に向かって拝むならば赦そう」と言った。それに対して彼らは答えた「神は私たちを救って下さいます。たといそうでなくとも、あなたの神を拝みません」。
・「たといそうでなくても」、それは神の力や意志を疑う言葉ではなく、「神の御心が私たちと違っていても」という意味だ。ダニエル書において、三人の若者は、御力によって助かったが、同じような状況の中で殺されていった人たちも大勢いる。戦前の韓国においては、日本の神社参拝を拒否して大勢の信徒が殺されていった。この人たちは無駄死にしたのだろうか。そうではない。私たちはどこまでも神を信じる。神は全能であり、出来ないことはないことを信じる。仮に神が私たちの願いに答えて下さらない時、最善の道は違う方にあると知り、御心を信じていく。ここに、自己中心の信仰から開放された、神中心の信仰がある。
・神の言葉から離れて、病気のいやしを求め始めた時、その信仰は魔術化する。もし、私たちが病のいやしを求める時、次のように祈ることが出来れば、それは聖書が教える祈りだと思う。「神様、私の病をいやしてください。健康になって再びあなたのために働ける身と為させて下さい。しかし、もし、私の病をいやさないことがあなたの御心であれば、この病を通して、あなたが何をしようとしておられるかを教えて下さい」。新生讃美歌73番「善き力に」でボンヘッファーは歌う「たとい主から差し出される杯は苦くとも、怖れず感謝を込めて、愛する手から受けよう」。受け取るものが苦い杯=十字架であっても喜んで受けようという信仰がここにある。このような信仰は今の世には不人気だが、聖書の伝える信仰だ。この信仰が2000年間の福音の継承を可能にしてきた。これが聖霊を受けた生き方ではないかと思う。魔術を捨てよう、自己中心の信仰から解放されよう。神に開かれた生活は人へも開かれていくことを知ろう。