江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2005年6月26日説教(1テモテ2:1-8、荒海に架ける橋)

投稿日:2005年6月26日 更新日:

1.迫害する者のために祈れ

・先週、私たちは、初代のキリスト者たちが自分の持ち物を売り、その代金を使徒たちの足元に捧げて、全てを共有したことを学んだ。「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」(使徒4:32)。彼らは所有から解放されたが、私たちはまだ所有から自由になれない。キリストの群は成長していった。それと共に支配者であるユダヤ教当局と対立するようにもなり、信徒たちはユダヤの外に追い払われた。逃れた信徒たちはシリアにアンテオケ教会を形成し、アンテオケが基地となり、アジア州やマケドニア州にまで教会は広がっていった。海外伝道の主力になったのは使徒パウロであった。彼はエペソに教会を立て、その運営をテモテに委ねて、マケドニアやアカイアの宣教に出かけていった。パウロはやがて捕らえられ、ローマで投獄された。そのローマからエペソにいる弟子テモテに対して、教会とは何か、信仰とは何かについて手紙を書いた。それがテモテへの手紙だ。

・その中で、最も大事なこととして、祈りが取り上げられている。教会は何を祈るべきか、テモテ2章の中で、パウロは言う「願いと祈りと執り成しと感謝とを全ての人に捧げなさい」(2:1)。全ての人のために祈りなさいとパウロは教える。全ての人、善き人のためにも、悪しき人のためにも、キリストを受け容れた人のためにも、受け容れない人のためにも祈れ。何故ならば、神は「全ての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられ」(2:4)、「仲保者キリストは全ての人のために贖いとして御自身を捧げられた」(2:6)からだ。パウロはローマの皇帝や総督のために祈ることを求める(2:2)。為政者の判断と賢明さに、国家の秩序と平和がかかっている。だから彼らのために祈れ。手紙で執り成しの祈りをするように求められた皇帝や支配者たちはクリスチャンではない。それどころか、彼らは教会に敵対する者たちであった。敵のために祈れと命じられている。

・人は誰も敵の為には祈れない。何故自分たちを殺そうとする者のために祈らなければいけないのか。しかし、イエスは十字架上で、自分を殺そうとする者のために祈られた「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)。イエスが祈られたのだから、あなた方も「王達や全ての高官のために執り成しの祈りをしなさい」。ローマ皇帝はやがて「自分を神として拝め、拝まなければ殺す」と信徒たちを脅迫し始めた。その時、ある信徒は祈った「皇帝は人であり、神ではない。だから私は彼を拝まない。しかし、皇帝のために祈る。皇帝が神によって任命された事を知るからだ」。皇帝礼拝を拒否した結果、ある者は投獄され、ある者は十字架に架けられて死んだ。彼らは為政者を呪わず、為政者のために祈って死んでいった。

・パウロは続ける「男は怒らず、争わず、清い手を上げて祈りなさい」。ユダヤ人は祈る時に両手を挙げて祈った。その手が清い=血に染まっていないことを示すためだ。清くなければ祈りは拒否される「お前たちが手を広げて祈っても、私は目を覆う。どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。お前たちの血にまみれた手を洗って、清くせよ。悪い行いを私の目の前から取り除け」(イザヤ1:15-16)。清くない手で祈ることは出来ない。心に憎しみを抱き、相手を赦そうとしないで、どうして神の赦しを求めることが出来よう。兄弟たちに赦しを拒否しておきながら、どうして主の晩餐において罪の赦しを主から受けることが出来よう。祈りなさい、祈りを通して、怒りと争いから解放されなさいとパウロは勧める。

2.敵のために祈れない私たち

・祈りは力だ。祈りが聞かれるからではなく、祈る私たちを根底から変えるからだ。私たちが敵のために祈り始める時、その人は敵ではなくなる。そうしないと祈れないからだ。2001年9月11日、イスラムのテロリストたちにより、ニューヨークの世界貿易センタービルが破壊され、3000人の人が殺された。何が起きたのか、最初はみんなが驚き恐れた。やがて起きた事が解り始めると怒り出した。復讐を求める声が日増しに高まった。

・「グランド・ゼロからの祈り」と言う本を読んだ。貿易センタービルと同じ地域にあったオールド・ジョン・ストリート・合同メソジスト教会の2001年9月16日から10週間の礼拝説教の祈りを集めた本だ。グランド・ゼロとは爆心地、テロ攻撃を受けた事故現場に立つ教会が、この出来事をどのように受け止めていったのかが祈りの形で記されている。事故から5日後の9月16日、犠牲者の多くはまだ瓦礫の下におり、教会は電気が止まっている中で、ろうそくの明かりの中で礼拝を持つ。広島やベルリンで起きたことが今自分たちの上に起こったことを悲しみ、亡くなった人に哀悼を捧げながらも、教会は祈る「仕返しと報復を立法化せよと要求する怒りの声が悲劇の現場から教会の説教壇に至るまで鳴り響いています。・・・復讐を求める合唱の中で『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』と促されたイエスの御言葉に聞くことが出来ますように」。

・次の週、町には星条旗があふれ、国内のイスラム教徒はテロのとの関連を疑われて次々に拘束されていく。アメリカに忠誠を誓わない者はアメリカの敵だとの大統領声明が出される。その中で教会は祈る「戦争の風が勢いを増しています。どうか私たちに聖霊を吹き込んで下さい。・・・私たちの怒りと復讐の要求を平和への切望に取り替えて下さい」。やがてアフガニスタンに対する報復攻撃が始まる。テロの首謀者とみなされたビン・ラディンがアフガンにいると思われたからだ。教会は祈る「現在起きている事件の中で、全ての人々への同情心で私たちを満たすよう、聖霊を送って下さい。その人々とはアフガニスタンの罪なき子ども達、女や男達です。おお神様、あなたの愛に満ちた霊を全ての悩める心に吹き込んで下さい」。世の人々は同胞を殺された怒りと怖れの中で、アフガニスタンを憎み、攻撃する。その中で教会はアフガニスタンの人々のために祈る。何故ならば、神は「全ての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられ」、「キリストは全ての人のために贖いとして御自身を捧げられた」からだ。キリストはアフガニスタンの子供や女や男のために死なれた。神はアフガニスタンの人々が空爆で死ぬことを望んでおられない。国は間違っている、神様、為政者のこの悪を善に変えて下さいと教会は祈る。ここにテモテ2章を祈る教会の姿がある。

3.荒海に架ける橋

・今日の招詞として、ヨハネ黙示録21:3−4を選んだ。次のような言葉だ。「そのとき、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』」。

・9/11テロの現場の中で、犠牲者を追悼する集会の中で、終には教会の礼拝の中で歌われた歌がある。ポール・サイモンが作った「明日に架ける橋」だ。「明日に架ける橋」、原語ではBridge over troubled water、明日に架ける橋ではなく、荒海に架ける橋だ。こういう歌詞だ『あなたが疲れてどうしようも無くなった時、涙があふれて止まらない時、私がその涙をぬぐおう。私はあなたの側にいる。つらい時、友があなたを見捨てて誰もいなくなった時、私は自分の身を投げて、この荒海の上に橋を架けよう』。それはヨハネが歌った、来るべき神の国の有様に他ならないことに気がついた。「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」。そして「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」。何故なら、キリストが全ての人の贖いとして自分の身を投げて下さった、神の側から私たちの方に橋を架けて下さった。だから私たちもこの荒海に、怒りと悲しみが分断してしまったこの海に橋を架ける、そういう歌だ。この歌は讃美歌なのだ。何故人々がこの歌を礼拝の中で歌い始めたか、わかったような気がした。

・人は自分を殺そうとする者のために祈ることは出来ない。しかし、教会は出来る。何故ならば、キリストが私たちのために死んで下さった、そのことによって現在を生きていることを知るからだ。生かされていることを知る者は使命を持つ。分断された荒まく海に、身を投げて橋を架けることだ。キリストが神と私たちの間の仲介者になってくださったから、私たちも人と人との争いの仲介者になるのだ。

・アメリカは何故アフガニスタンを爆撃し、イラクに攻め入ったのか。孤独と恐怖からだ。神が守って下さると信じられなくなった時、人は孤独になる。自分は敵に囲まれており、危害を加えられようとしている。このままでは殺される、この孤独と恐れが人を過剰に攻撃的にし、「やられる前にやれ」という行為に追い込む。アフガニスタンとイラクに攻め入ることで自分の身を守ろうとしたアメリカの行為の背景には、孤独と恐れがある。孤独と怖れは現代の日本にもある。山口の高校生はいじめられた仕返しに爆弾を作り、相手を殺傷しようとした。自分の身を守るためだ。板橋の高校生は、父親の荷重なしつけの中で自分は殺されると思い、その前に殺そうとして両親を刺殺した。兄にいじめられていた弟は包丁で兄を刺殺したが、兄が生き返ることを恐れた。報復で殺されると思ったからだ。いずれの行為も誤った自己防衛だ。神なき世界、自己=私しかない社会は怖い。隣の人を信じられない恐怖の世界だ。今改めて、神に対する信仰が必要な時だと思う。神が守って下さる、神は全ての人が救われることを願っておられる。このことを知る者は敵のために祈ることが出来る。私たちはそのように招かれている。

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