江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2005年3月20日説教(マタイ27:32-56、イエスの十字架を負う)

投稿日:2005年3月20日 更新日:

1.イエスの十字架死

・今週、私たちは受難週に入る。今日は棕櫚の主日だ。イエスは、日曜日にエルサレムに入城され、民衆は棕櫚の枝を道に敷いて、イエスを迎えた。この民衆がやがてイエスを「十字架にかけろ」と叫び出す。人々が求めるのはイスラエルを占領者ローマから解放する王であり、イエスはそのような王ではない。木曜日の夕方、イエスは弟子たちと最後の食事をとられた後、ゲッセマネの園に行かれた。イエスはそこで捕らえられ、裁判にかけるために大祭司の邸に連れて行かれる。大祭司の邸で、次いでローマ総督の官邸で、イエスは死刑を宣告され、鞭打たれ、十字架を背負わされて、総督官邸を出られた。金曜日の朝のことである。

・十字架刑に処せられる者は、十字架の横木を担いで、刑場まで行く。徹夜の裁判や鞭打ち刑で体力を消耗されていたイエスには、十字架を担ぐ力は残っておらず、途中で倒れられた。護送のローマ兵は、通り合わせたクレネ人シモンにイエスの十字架を担がせた。一行はゴルゴタと呼ばれる刑場に着き、ローマ兵はイエスの手と足を十字架に釘付けにして、つるした。右と左には二人の強盗が十字架につけられた。朝の九時ごろである。

・イエスの十字架を見るために来た祭司長たちは、イエスを愚弄して言った「他人は救ったのに、自分は救えない。神の子なら十字架から降りるが良い」。一緒に十字架につけられた強盗たちも声を合わせてイエスを罵った「神の子なら自分を救え」。イエスは罵りの言葉に、何もお応えにならなかった。婦人たちが遠くからイエスの十字架を見守っていた。

・昼の十二時ごろ、全地が突然暗くなった。三時ごろ、イエスは大声で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。ヘブル語で「わが神、わが神、何故私を見捨てられたのか」という意味である。イエスは息を引き取られた。これが聖書の描く十字架の死である。イエスは何の抵抗もされずに捕らえられ、鞭打たれ、十字架に架けられ、死んでいかれた。弟子たちは逃げてそこにいなかった。神さえもイエスを見捨てられたかのようだ。しかし、その十字架の死が、やがて世界の歴史を変える出来事になる。イエスの死のどこに、そのような力があったのだろうか。

2.十字架で人生を変えられた人々

・今日の聖書箇所を注意深く読むと、二人の人が、イエスの十字架刑を契機に、その人生が変えられたことに気づく。一人はクレネ人シモンだ。アフリカのクレネにはユダヤ人の居住区があり、シモンは過越祭りをエルサレムで祝うために、一時帰国していたのであろう。そして運悪く、イエスの十字架の道行きに遭遇し、十字架を担ぐ羽目になった。彼は、重い十字架を担がされ、ゴルゴダまで行かされ、見知らぬ罪人の処刑を見させられた。早く忘れてしまいたいような、いやな出来事であったろう。しかし、この出来事がシモンの生涯を変えていく。

・マルコ福音書では、シモンを「アレキサンデルとルポスの父」と紹介している(マルコ15:21)。アレキサンデルとルポスは、マルコの教会では名前の知られたクリスチャンだったのだ。息子二人がクリスチャンになったということは、父シモンに何かが起きたことを推測させる。ルポスはローマ人への手紙にも出てくる。パウロはローマ教会への手紙の中で「主に結ばれている選ばれた者ルポス及びその母にもよろしく。彼女は私にとっても母なのです」と言っている(ローマ16:13)。ルポスの母、シモンの妻はかってパウロの伝道を助け、今はローマに居を構えて、教会のメンバーとなっていることを推察させる。シモンの妻もまたクリスチャンになっている。クレネ人シモンはイエスの十字架を負わされ、イエスの死を目撃した。その彼に何かが起こり、彼はイエスを神の子と信じる者にさせられた。そして妻と子供たちもクリスチャンになった。ゴルゴダで何かが起きた。

・ゴルゴダで生涯を変えられたもう一人は、イエスを十字架につけたローマの百卒長である。百卒長は指揮官として鞭打ちを命じ、十字架の道行きを導き、イエスの手足に釘を打ち込むことを命じた。これまでに何度も経験した事であり、今回の処刑が特別だったわけではない。彼はイエスが朝の九時に十字架にかけられるのを見、六時間後に息を引き取るのを見た。その彼が言う「この人は神の子だった」。百卒長にとっては、日常の延長のような処刑だったにも関らず、イエスの処刑は、この男の心を揺さぶった。ここでも何かが起こった。

3.ろばに乗って入城されたイエス

・今日の招詞に士師記5:9-11を選んだ。次のような言葉だ「わが心はイスラエルの指揮する者らと共に、この民の進んで身をささげる者と共にある。主をほめたたえよ。栗毛の雌ろばに乗り、敷物を置いてその背に座り、道を行く者よ、歌え。水くみ場で水を分ける者らの声にのせて、主の救いを語り告げよ。イスラエルの村々の救いを。そのときこそ、主の民は、城門に向かって下って行く」。

・士師記5章はデボラの歌と言われている。イスラエルの民はカナンの地に侵攻したが、住民の抵抗は大きく、国づくりは難航した。デボラの時代、イスラエルはカナン人に軍事的に圧迫されていた。デボラはそのカナンと戦うために立てられた預言者であったが、圧倒的軍勢を誇るカナンと戦うために集まる者はいなかった。その時、一人のナジル人がろばに乗って、カナンの軍勢に立ち向かって行った。先陣に立って、敵を蹴散らすためであろうか。しかし、彼は駿馬でなく、足の遅いろばに乗る。彼の目的は敵に殺されることにある。自ら進んで死ぬことにより、味方に対して、命をかけて戦う勇気を与え、奮い立たせる。彼の死を見て、後に続く者は奮い立ち、戦いはイスラエルの勝利に終わった。デボラはそれを見て神を讃美した。私たちはこのナジル人の行為の中に、イエスの十字架を見る。

・イエスはろばに乗ってエルサレムに入城された。民衆は白馬に乗る解放者を求めたが、イエスはろばに乗って入城された。捕らえられ、裁判にかけられても、己の助命のために一言の弁明もされない。罵りの言葉にあがらうこともされず、つばを吐きかけられても忍ばれた。祭司長たちはイエスを罵った「他人を救ったのに、自分は救えないのか。神の子なら自分を救ってみよ」。罵倒の言葉がイエスの本質を浮かび上がらせる。イエスは悪霊にとりつかれている人たちや重い病を負う人たちを憐れまれ、いやされた。肉親の死を悲しむ者たちのために、肉親を死から蘇らせることもされた。それほどの力を持ちながら、自分のためには何もされなかった。「他人を救ったのに、自分は救わない」。それがイエスの生涯だった。

・「自分を救う」、人間の行為は全て、この目的によって動かされている。「自分を救え、おまえ自身のことを考えろ。お前に利益をもたらす者を、お前に生き残りを保証する者を求めよ」。自己愛、私たちの真実の姿だ。私たちが教会に来た最初の動機も自己愛だ。自分の救い、自分の満たしを求めて来た。しかし、イエスは他者の命を救うためにあれほど働かれたのに、自己の命のためには何もされない。完全な自己放棄としての死の中に、十字架に立ち会ったシモンと百卒長は、人間ならざる者の働きを見た。だから彼らは告白する「まことにこの人は神の子であった」。イエスの死を通して人は自己の罪を知り、その罪が購われたことを知る。

・シモンは無理やりに十字架を背負わされた。十字架の重みは、歩くたびに肩に応えてくる。目の前を、血とほこりにまみれたイエスが歩いておられる。この方は何をされたのか、何ゆえにこのような苦しみを負わされているのか、シモンは従いながら繰り返し考えたであろう。十字架を負わされたシモンは、イエスの痛みを知り、その痛みを避けようともされない姿を見た。彼はその姿に神を見、弟子の仲間に加わり、復活のイエスに出会う恵みを得たのであろう。その時、彼はイエスの前に膝まづいた「わが主、わが神」と。百卒長は、イエスが、自分を嘲り、叩き、釘打ちにした者たちをののしることもせず、逆に彼らのために執り成しの祈りをされるのを見た(ルカ23:34)。このような囚人は見たことがない。百卒長もまたイエスの前に跪いた。

・十字架を自分で負わない者は、目の前に苦しむイエスを見ても何も感じない。痛みがわからないからだ。自分の十字架を負う、理不尽な苦しみを負わされる、この災いが人を神に、命に導く。人は自ら選んでイエスの弟子になるのではない。弟子にさせられるのだ。家族に不和がある時、それを喜ぼう。神は家族の不和を通して、何かをされようとしておられる。教会で牧師や執事につまづき、悩む時にそれを喜ぼう。神はつまづきを通して、教会を祝福されようとしておられる。イエスを十字架に導いたのは、ユダヤ人でもなく、ローマ人でもなかった。父なる神であった。私たちの人生に苦難や災いを与えられる者も悪魔ではなく、父なる神だ。苦難や災いは神が私たちを成長させ、祝福するために与えられる。私たちもイエスの十字架を担ぐ者となろう。

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