1.コリント教会への手紙
・パウロは紀元50年頃、コリントでの開拓伝道を開始、1年半後にそこに教会が生まれた。その後、彼はコリントを同労者のアポロに任せ、エペソの開拓伝道に向かった。ところが、パウロが不在の間、エルサレム教会から派遣された巡回伝道者がコリントを訪れ、パウロと異なる福音を宣べ始め、教会の信仰が次第に別のものに変わっていった。パウロが伝えた福音は、人は善行を積んで救われるのではなく、御子キリストの十字架を仰ぐことによって罪を赦されるというものだった。救いは恵みによる、人はただその恵みを受け入れれば良いのだとパウロは教えたが、エルサレムの巡回伝道者は言った「救いは恵みだが、その恵みに感謝して、決められた戒めを守らないと救いは消える」。そして人々に割礼を受け、律法を守るように指導した。
・またエルサレム教会の伝道者たちは、パウロはペテロやヨハネと違って、生前のイエスに従った直弟子ではないから使徒とは言えないのだ、また気が狂ったように自分の考えを諸教会に押し付けているとパウロを批判したらしい。コリントの人々は次第にその影響を受け、パウロに批判的になっていった。その教会に対し、パウロが涙ながらに書いた手紙が、今日私たちが読む〓コリント5章だ。
・パウロは言う「私が正気でないと批判する人がいるが、その通り、私は正気ではない。キリストの愛に駆り立てられて、狂ったようにあなた方を愛しているのだ」(5:13)と。正気ではない=ギリシャ語エクシステーミという言葉だ。エクス=外に、イステミー=立つ、外に立つ、世の常識の外に立つという意味だ。使徒言行録によると、パウロは熱心なパリサイ派であり、律法を軽んじるキリスト信徒を異端として捕縛するために、ダマスコに赴く途上で復活のキリストに出会っている。「パウロ、パウロ、何故私を迫害するのか」、この言葉でパウロに地面に倒され、回心する。そして使徒として召される。キリストの迫害者が一転してキリストの伝道者になった。だからパウロは言う「私は神に反逆すると言う罪を犯した。神はそのような私を滅ぼさないで、逆に使徒として召して下さった。このキリストの愛を知ったら、正気ではいられないではないか」。
・パウロは続ける「一人の方が全ての者のために死んで下さった。キリストは私のために死なれた、そのことをキリストに出会って知った。神が枠を外れて、外に出て立って下さった以上、私たち人間も枠を出て外に立たざるを得ないではないか」。神が人となって、人のために死なれた。この常軌を逸した神の愛を知る時、人はもはや平気ではいられない。だからパウロは言う「その時、人はもはや自分のために生きるのではなく、自分のために死んで復活された方のために生きるのだ」(5:15)と。
・パウロは以前、肉に従って人を見ていた。肉に従って人を見るとは、その人の性格や能力、学歴や出身に応じて、その人を判断することだ。そこには人間的な好き嫌いが生じる。しかし、今は人をキリストの視点から見る。「キリストは彼のためにも死んで下さった」、そうであれば、その人を好きとか嫌いとかはもう関係ない。嫌いであっても、キリストがその人のために死なれたのであれば、彼は私の兄弟だ。キリストによってそのように変えられた。そのキリストから直接の召しを受けて使徒とされた。キリストに出会った人は、彼の十字架とともに死に、彼の復活と共に生き返った。だから彼は言う「キリストと結ばれる人は誰でも新しく創造された。古いものは過ぎ去り、新しい物が生じた」(5:17)。とすれば、私が生前のキリストに従った直弟子であろうとなかろうと、エルサレム教会からの推薦状を持つかどうかは本質ではない。私はキリストから直接に召された使者としてあなた方に接したのだ。
2.和解の福音
・彼は続ける「私が伝えるように委ねられたのは和解の福音だ」。人間の和解は、調停者の立会いの下、お互いが譲り合って為される。妥協による和解だ。しかし、神が提示してくださった和解はまるで異なる。神の和解は神の側からの一方的な行為、御子の死という形で為された。人はそれを感謝して受けるだけで良いのだ。私は神に対する反逆者だった、神はそのような私を滅ぼすことをせず、キリストの愛が私を捕らえるまで、その愛を私の前に差し出された。その愛を知って、私は存在の根底から変えられたのだ。
・西村久蔵という人がいる。三浦綾子「愛の鬼才−西村久蔵伝」を通して知った人だ。彼は札幌商業学校の教師だった。ある時、学生達が校則を破って学校側に反抗した。このままでは彼らを退学処分にせざるを得ない。西村は校則を破った学生達を呼び寄せ、大声で激しく叱った。叱る時、彼は物差しを持って、思い切り自分の手を叩きながら叱った。学生達が校則を破り、いま退学になろうとしているのは教師たる自分の不徳による、だから自分を罰する。叱り続けながら、彼は自分の手を打ち続ける。手の皮膚は破れ、血が流れ出した。彼は次々に学生を呼び出し、自分の手を叩き続けた。それを見て学生たちは西村の前に膝まずいて言った「先生、もう止めて下さい。自分たちが悪かった」。私たちが十字架を見上げた時もこれと同じだ。私が罪を犯したのに、神は自分の身を鞭打たれ、自分の手と足に釘を打たれた。その血を見た私たちは神の前に膝まずかざるを得ないではないか。
・私が伝えるように命じられた和解の福音とはこのような福音なのだ。だから、あなた方に勧める「神と和解させていただきなさい」(5:20)。神と和解した者は人とも和解する。あなた方は激しく私を批判する。私を憎んでいるのではないかと思えるような激しさだ。もし、あなた方が私を憎んでいるならばあなた方は神と和解していない。だからお願いする、神と和解しなさい、神が道を開いて下さったのだ、その道をうけいれなさい。
3.和解した者として生きる
・今日の招詞にイザヤ49:8−9を選んだ。次のような言葉だ「主はこう言われる。私は恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。私はあなたを形づくり、あなたを立てて、民の契約とし、国を再興して、荒廃した嗣業の地を継がせる。捕らわれ人には、出でよと、闇に住む者には身を現せ、と命じる」。
・イスラエルはバビロンに国を滅ぼされ、主だった人々は捕囚としてバビロンで奴隷とされた。苦難の70年が経ち、今、神の声が捕囚民に届けられた。「あなた方は今までバビロンに閉じ込められ、闇の中に住んでいた。しかし、あなた方はもう十分に罰を受けた、苦役の時は終わり、解放の時が来た。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの時」、捕囚の民に、解放の時が来た喜びを預言者は伝えた。「エルサレムに帰り、新しい国を建てよ。古きものは過ぎ去った、新しい人生に歩み出せ」と。
・パウロはイザヤ書を引用して、コリントの人々に自分の思いを伝えた。神の救いの業がイエス・キリストを通して完成された。だから今はこの恵みを、ただ心を開いて受ければ良いのだ。私はあなた方を支配したいとも、あなた方から賞賛を受けたいとも思わない。あなた方は私の福音の宣教を聞き、それを受け入れてくれた。あなた方は「キリストが私を用いてお書きになった手紙なのだ。それは墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に書き付けられた手紙なのだ。あなた方こそ私の作品、私の推薦状なのだ。だからあなた方に言う、神の和解を受け入れなさい。今日を恵みの時、救いの日として受け入れなさい」。
・山田實という兵庫県のクリスチャンの人がいる。彼は御自分のホームページの中で「三浦文学と私」という短文を寄せておられる。その一部を、ここに引用したい(一部編集している)。
「三浦綾子さんの小説「愛の鬼才−西村久蔵伝」 のなかで、強く印象に残っている一節があります。主人公の西村久蔵さんは結核闘病中の三浦綾子さんを見舞います。手みやげに自家製のケーキを持って行かれるのですが、それを負担に思った三浦さんは、手土産は不要だと断ります。そのとき西村さんは「ハイハイわかりました。しかしね、あなたは太陽の光を受けるのに、こちらの角度から受けようか、あちらの角度から受けようかと、毎日しゃちこ張って生きているのですか」と諭されるくだりがあります。神さまの恵みは拒むと否とに関わりなく一方的に注がれる。これが神の愛であり、神の愛は信仰者を通じて私たちに注がれるのだ。私はここを読んだとき、神の愛の本質を教えられたように思いました。神様の愛は惜しみなく私たちに注がれている、私たちはそれを受けるだけで良いのだということがわかりました」。
・パウロが言う「神の和解を受け入れなさい」、それはこんなに簡単なことなのだということを山田さんは自分の体験を通して述べられている。神様はあなたの前に惜しげなく、その愛を提示されている。あなたはそれを受けるだけでよいのだ。「神と和解させていただきなさい」、この言葉を今日、私たちは、神様からの贈り物として受けよう。