1.イエスへのつまずき
・イエスは、伝道活動を故郷のガリラヤで始められた。病人をいやし、聖書の教えをわかりやすく説かれたので、イエスが行かれる所には多くの群集が集まり、進んで弟子として従う者たちも与えられた。イエスがガリラヤ湖のほとりで5千人にパンを与えられた時が、その人気の絶頂期であり、人々はイエスを王にしようとしたほどである(ヨハネ6:15)。しかし、一つの出来事をきっかけに人々は離れていった。それが今日学ぶ「生命のパン」騒動である。
・人々は5つのパンで5千人を養われたイエスの力に驚き、もっとパンを欲しいと求めてきた。イエスはその人々に言われた「肉のパンは食べてもすぐなくなる。朽ちるパンではなく、朽ちない生命のパンを求めよ。私こそが生命のパンであり、私の肉を食べ、私の血を飲む者は永遠に生きる」(6:55)。多くの人々が、イエスの言葉を聞いてつぶやき始めた「実にひどい話だ。誰がこんな話を聞いていられようか」(6:60)。
・人々はイエスが「私の肉を食べ、血を飲め」と言われたことをグロテスクな、非道な話として、拒絶したのではない。イエスが生命のパンの話を通じて、自分はこれからエルサレムに行き、十字架にかかって死ぬが、その十字架こそがあなた方を生かすと言われたことにつまずいたのだ。人々が求める救い主とは、征服者であるローマを倒して、イスラエルを解放してくれる力強い王であり、十字架で死ぬことを通して救いを与えるような弱いメシヤではなかった。誰が十字架で死ぬと預言するような者を救い主と信じることが出来よう。「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」(6:66)とヨハネは記す。
・元々、福音の中には生まれながらの人間をつまずかせるものが含まれている。神の子が人になった(受肉)、神の子が十字架で死ぬことにより救いが与えられた(贖罪)、神の子が復活することにより人は永遠の命を得る(救済)等の教えは、いずれも理性では信じることが難しい事柄だ。「こんなものを信じろと言うのか、馬鹿らしい」と言うのが生まれつきの人間の反応だ。パウロが言うように「私たちは、十字架につけられたキリストを宣伝えるが、それはユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなもの」(1コリント1:23)なのだ。人は福音に接しているうちに、それを信じるか、つまずくかのどちらかを選ばざるを得なくなる。
・イエスは弟子たちの多くが去っていくのをご覧になり、残った12人にも問われた「あなた方も離れて行きたいのか」(6:67)。立ち去りたいなら行くが良いとイエスは言われた。それに対して、ペテロが答えた「主よ、私たちは誰のところに行きましょう」(6:68)。あなたこそが永遠の命の言葉を持っておられ、あなたこそメシヤなのですから。「私たちはあなたのもとに残ります」とペテロはその信仰を告白した。人々はイエスから何かを得るために、いやしや救いや栄光を得るために来た。そして、イエスがそれらのものを与えてくれないことがわかると、イエスから離れていった。しかし、この12人はイエスのもとに留まった。「私たちは残ります」と答えた。何が彼らに、イエスと共に留まることを決意させたのだろうか。
2.イエスと出会った人々
・今日の招詞にマタイ11:28―30を選んだ。有名なイエスの言である。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」
・先日、板橋・蓮根バプテスト教会の教育牧師として按手礼を受けた片岡順子先生から、手紙をいただき、その中に先生の信仰経歴が同封してあった。信仰経歴を見ると、片岡先生は次のような経歴の持ち主だ。彼女は1943年生まれ、今年61歳であるが、高校卒業後、銀行に入り、職場でご主人と知りあい、結婚された。やがて、子供が産まれ、幸せな生活が続いていたが、1歳を過ぎたころから子供に異常が目立ち始め、専門医の診断を受けたところ「ガイゴリズムハンター症候群」という先天性の代謝異常で、寿命は10歳までと宣告された。折から、銀行に勤めるご主人も過労が原因で休職になった。次から次に災いが与えられ、悶々としている時に、羽仁もと子さん(自由学園創立者)の本に出会い、その本を通してイエスを知り、教会に行き、バプテスマを受けられた。
・しかし、平安は与えられなかった。そのような苦しみの時、彼女は一つの経験をした。彼女は次のように語っておられる。「それは憲吾(子供)が5歳くらいだったと思います。近くのスーパーに買い物に行った帰り、重い野菜をたくさん買って、憲吾も重くて道に座り込んでしまって動けなくなってしまったことがありました。何より、今振り返って見ると、自分の心が一番重かったのだと思います。何故なら、その時、私は憲吾を愛していなかったからです。憲吾は私にとって重荷でした。子供と共に道端に座り込んで途方にくれた私は、心の中で『もういやだ、助けて』と叫ぼうとした途端に、『イエス様、この十字架を負います。もう決して逃げません。あなたが降ろせと言われるまで降ろしません。負って行きます』と祈っていました。この時の驚き、まるで昨日のことのように、思い出すことが出来ます。もっと驚いたのは、私の心がさっきまでとはぜんぜん違っていたと言うことです。全てが軽くなっていました。買い物の荷物も、憲吾も、私の心も」。彼女はその時、イエスに出会った。そしてイエスの言葉を、真実だと信じることが出来た。そのイエスの言葉が、今日の招詞の言葉、「私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである」という言葉だった。彼女の息子は16歳で亡くなったが、子供の死は彼女の信仰を失くすどころか、強め、そして機会が与えられて、神学校で学び、このたび牧師となった。
3.イエスのもとに残る者
・ペテロを始め、12人の弟子たちは、他の弟子たちが去っていく中で、イエスのもとに残った。恐らくは、それぞれが、片岡先生が為されたような体験、イエスとの忘れがたい出会いがあったのであろう。彼らはイエスの血を飲み、肉を食べる経験をしたのだ。イエスの言葉は、人の心に入り込むと、必ず生命の業を行う。それはその人を清め、いやし、希望と力を与える。だから、他の人がみんないなくなっても、イエスと本当に出会った人はそこに留まるのだ。それが狭い道であっても、イエスと共に歩むのだ。その時、平安が与えられる。
・しかし、仮に留まることが出来ても、救いは一直線ではない。ペテロはイエスが捕らえられた時、イエスのことを知らないと三度否定した。イスカリオテのユダはイエスを祭司長たちに売って、自殺した。私たちも、「残ります」と信仰告白をした後で、それを否定するような悲しい出来事に見舞われるだろう。しかし、それでも留まり続けよう。ここにこそ生命があるのだから。
・私たちが自分の幸せ、自分の満たしだけを求めて、キリストに来ても、そこには失望があるだけだ。何故ならば、魂の世界では、人は自分の命を捨てた分だけ、他人を生かすことが出来、他人が生きることを通して自己も生きる存在だからだ。親は子の為に生命を消耗した分、子は生きる。教師が生徒のために自分の命をすり減らした分だけ、その生徒を生かす。医者は患者のために自分の命を使い果たした時に、患者は生きる。そして他人が生きることによって、私たちも命を与えられる。これが真理であることを私たちは知っている。イエスは私たちのために命を使い尽くし、そのことによって私たちは生きるものになった。だから、私たちも他者のために自分の命を差し出すのだ。そして、私たちは言うのだ「主よ、私たちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています」。私たちも、今日、この信仰告白をイエスに捧げたい。